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3-1 トオル

 そうやそうや、コーヒーも()れていったらなあかんと、俺は思いついた。  アキちゃんは、カフェイン切れると機嫌(きげん)悪いねん。  大学行くときはいつも、駅のコーヒー屋で一杯買ってから行くけど、学内の自販機で買えるコーヒーはコーヒーやないし、絵描いてる時に自分で()れるのは、集中とぎれて嫌やからやらへんのやと、確かそう話してた。  ほんなら、そろそろコーヒー切れてるんちゃうかと、俺は時計見て思った。もう昼やし、朝買ったコーヒー終わる頃やろ。  また店で買ってってやればええんかもしれへんけど、アキちゃんはいつも、俺の()れたコーヒーのほうが美味(うま)いて言うてた。そりゃそうやで。練習したんやもん。  お店の人も精魂(せいこん)こめてはるやろうけど、俺がアキちゃんのために()れるんは、その精魂(せいこん)()めぐあいがハンパ無いんやって。  愛ですよ、愛。  そう思って、俺はにやにやコーヒーをドリップした。  何か最近、俺ってひとりでにやにやすんのが(くせ)んなってきてる。危ない感じやでえ。  でも幸せなんやから、しゃあないなあ。もう。  アキちゃんの昼飯には、サンドイッチを作ってやった。照り焼きチキンと海老(えび)マヨやで。野菜もいっぱい(はさ)んだよ。アキちゃんはいつも、俺の作るサンドイッチは美味(うま)いて言うてた。そうやろ。それも愛なんやで。  さあ、愛情弁当もできたし、熱いコーヒー魔法(びん)に入れたら、とっとと出かけよう。うっかりアキちゃんが先に昼飯食ってたら、むかつくからな。  電話かメールして、弁当持っていくって知らせればええんやけど、それよりは、突然持ってって(おど)かしてやろかと思って、俺は大急ぎやった。  それに時々は奇襲(きしゅう)しとかなな。アキちゃん、誰と浮気してるか分かったもんやないで。身持ち固そうなくせに、油断できへんからなあ、アキちゃんは。  時々、おかんに呼ばれて嵐山の家に俺だけ行くけど、はじめて行った時にアキちゃんに抱きついてた、例の(まい)っていう顔無し女、あのあと、おかんに顔戻してもろたんや。顔有り版と後日ご対面してみたら、えげつないぐらいアキちゃん好みの可愛い顔やった。もう殺そか思たわ。この植物系が。  向こうは向こうで、若様若様言うて、俺をジト目で見るしな。見たきゃいくらでも見るがいいよ、俺様のこの美貌を。(にら)んだところでお前に勝ち目はないんや。アキちゃんは俺が好きなんやで。お前みたいな光合成するやつはお呼びでないんや。庭に立っとれ、この寒椿(かんつばき)が。  俺がそうやって勝ち誇っていると、舞はぐすんと涙声で、俺に言い返してきてん。  いややわ。ちょっと若様にお(なさ)頂戴(ちょうだい)したから言うて。(いや)しい長虫(ながむし)ふぜいが汚らわしい。  そう言うて、あいつは庭に逃げたんやで。  長虫(ながむし)て、何。  なんやろと思うて、アキちゃんに()いたら、蛇のことやと言うてた。  俺って、蛇なん。そうなんかな。自覚ないんやけど。  でも、舞がそう言うんなら、そうなんかもしれへん。俺があいつは寒椿って思うんやから、舞が俺を蛇やて言うなら、そうなんかもしれんやろ。ほんまに舞は寒椿なんやで。おかんが大事にしてる庭の植木やねん。おかんには実の娘みたいなもんや。  それで何や、そわそわしてきて、アキちゃんに、アキちゃんは蛇は好きかて()いてみた。  そしたらな。嫌いや言うてたわ。  気持ち悪いんやって。(うろこ)が。  そういや今年の初夢、白蛇の夢やったわと、アキちゃんは怖気(おぞけ)だったみたいに身震いして言った。夢見(ゆめみ)悪かったで、と。きっと今年は、ろくな年やない。ろくでもない(すべ)り出しやったしな。  そうかなあ、と、俺は怒っていた。いい年やと思うけど。だって俺とラブラブやん。アキちゃんは何が不満なん。俺、なんか、切ないわ。  なんやろ、うっかり、嫌なこと考えたと思って、俺は(あわ)てて、荷物を(つか)んだ。  夏やしラクでええわ。Tシャツとジーンズで、裸足のまま靴ひっかけて部屋を出た。  鍵かけへんでも、銀のキーチェーンに繋いである鍵が、勝手に反応してドアを施錠(せじょう)した。便利な時代や。  そのままエレベーター降りて、玄関のエントランスにある自動ドアの前に立つと、いつもそこにある、熱いゼリーみたいな、おかんの張ってる結界(けっかい)が感じられた。前はこれも、俺を(はば)障壁(しょうへき)やったんやけど、今ではおかんは俺を受け入れたらしい。せやから出るのは簡単やった。  けど、戻ってくるのは、未だに大変なんやで。  ここのエントランス、顔認証とかいうて、入ってきたやつの顔をビデオカメラで隠し撮りしてな、それをコンピューターが解析して、登録されてる住人の顔やったらドア開けて、知らん顔やったら足止めすんねん。  俺は本来、鏡やらカメラやらには写らへんのやけど、一時期、アキちゃんとデジカメでさんざん遊んだ時に、いろいろ試して、コツを(つか)んだんや。普段は写らんもんに、写る方法を会得(えとく)した。それで、エントランスの顔認証もクリアしたんやけど、一人やと今でも時々失敗する。アキちゃんがいたほうが、上手にできるみたい。  アキちゃんは、そのほうが、嬉しいみたいやった。俺がひとりで出かけたら、浮気すると思ってるらしい。なんでそんなこと思うんかな。俺はアキちゃん一筋やのに。自分がやましいからちゃうか。  それでも、おかんが俺を日中呼び出すもんで、帰られへんと不便やしということで、アキちゃんは渋々俺の顔を、住人リストに登録してくれた。おかんが言ってなかったら、たぶん今でもしてないんちゃうかな。アキちゃんてそういう、独占欲強いところある。俺を閉じこめといて、どこにも行かせへんみたいなな。  うふっ。まあ、それはそれでええんや。その緊縛(きんばく)感がな、けっこういいねん。だからまあ、顔認証は正直いって、なあんや登録してもうたんか、という気がしなくはないな。そのせいで、お前先帰っとけ言われるようになったしな。アキちゃんと一緒やないと帰られへんて言うてた頃が、ちょっと(なつ)かしいわ。  でもまあ、そうも言ってられんか。買い物行って飯作ってやってんのやし。気晴らしの散歩にも行ける。アキちゃんに気取(けど)られないように、大学にこっそり偵察(ていさつ)にも行けるんやで。  さああ、今日も突撃やと思って、俺は足早にすたすた叡電(えいでん)の駅へ向かった。  そしてそこで、声をかけられた。おっさんに。

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