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3-4 トオル
「すまんすまん、念のため訊 いただけや。本間さんは犯人やない。朝方、本人と話してそう思ったんや」
「なんやと、アキちゃんとこにも行ったんか。懲 りんやつやな、もう殺さなあかん」
涙出たまま、俺は凄 んだ。若い方の刑事が、ひっと喉で呻 いてたじろいでいた。
もちろん俺は本気やったで。俺の目に、ただならぬ光があるように見えたんやったら、それは夏の眩 しい日射しのせいやない。アキちゃん困らせるやつは、俺には本気で許されへんのや。
「あかんあかん、公務執行妨害。仕事やねんから、堪忍 してくれ。泣かんでも本間さんは、二股 かけたりしてへんよ。あんたを庇 ってた。昨夜のアリバイ訊 いたとき、答えとうない言うてたわ」
守屋 のおっさんは、迫 る俺を押し返そうというように、両手を物凄い勢いで、ぶんぶん振 っていた。
アキちゃんが俺を庇 ってくれてたって。ほんまかそれは。俺は、はっとして、たぶんちょっと赤くなってた。
若干もじもじして、俺は上目遣 いに訊 ねた。
「嘘やん。俺と騎乗位でやった話をしたくなかっただけとちゃうんか」
「そらそんな話はしたくないやろな! 普通はな!」
刑事は慌 てて、そう言っていた。
なんで。俺はみんなに教えたいくらいやで。
アキちゃん俺と毎晩やってるねん。気持ちいいんやって。俺が好きやねん。俺、アキちゃんに愛されてる。お願いやから誰も邪魔せんといて。
「でもあれは、人を庇 ってる目やったで。刑事の勘 や。せやからな、泣かんでええよ……」
辟易 したふうに、守屋のおっさんは言い、俺の肩を叩くかどうしよか迷った顔して、結局叩かへんかった。
「お時間とらせて、すんませんでしたな。びびらせて悪かったけど、念のため訊 いただけやしな。たぶんこれもまた事故やで。被害者は、野犬かなんかに、襲 われたらしいわ。狂犬病やら流行ってるからな。気つけなあかんで」
ズボンのポケットから取り出したハンカチで、汗をふきふき、守屋のおっさんは言った。
「暑いなあ、しかし。京都の夏やで」
愚痴 っぽいおっさんの口調が、いかにもこの土地の夏の雰囲気やった。年々暑くなってきてる気がする。空鍋 で煎 られるような暑さやと、昔からこの街の連中は、京都の暑気 のことを言うてた。
気の狂うような暑さやで。よそから来たモンには耐え難い。住み慣れたやつでも、毎年きつい。じりじり体の中から灼 かれるような熱や。
一年かけて溜まった障気 が、ぐつぐつ飽和して煮えてんのかもしれへん。この時期の京都は魔を祓 い疫神 を追いやるための祭りが目白押 しや。ひと月かけて、いろんな神様が街を縦横 に練り歩く。守護する都を浄 めるためやで。
外道 にとっては厳しい夏や。弱っちいのは消え失せる。根性あるのでも逃げ失せる。居残れるのは、清廉潔白なのか、よっぽど根性汚い執念のあるやつだけやで。
俺は例年なら、神戸に逃げてた。何か嫌やねん。鳴り物入りでコンチキチンと練り歩く神さんに、お前はどっちやと睨 め付けられて、嫌な思いすんのはご免 やで。追い出されるより自分で出ていくわ。
胸くそ悪いくらい煮えたぎる京都より、神戸はええで。涼しいし。海もあるし。神戸牛も美味い。六甲あたりの避暑地でまったりひと夏過ごして、そろそろ秋や、都には美味いモンがあるやろなと懐かしくなるころに舞い戻れば、紅葉の頃合いや。夏の終わりに振 られて寂 しゅうなったやつを、先付け代わりに食うのも乙 やし。
でも今年は、そんな例年とは違う。
俺はアキちゃんと京都にいて、祇園祭 見て、貴船 の川床 で鮎 食うねん。おかんも来るらしいで。邪魔やなあ。
邪魔やなあて、向こうも言うてはったわ。それでも大文字の送り火眺める上席は、亨ちゃんの分もとってあるえ、って言うてた。
去年までの、俺とは違うんや。幸せなんやで、今年は。アキちゃんのおかげで。
「なあ、刑事さん。犬が人食うなんて、おかしないか。普通、犬は人食うたりせえへんで」
立ち去りがたいんか、そわそわ立っていた二人連れに、俺は話した。
なんや、と訊 ねる目で、守屋のおっさんは俺を見た。
「狂ってるんとちゃうか、その犬は。普通の犬やないで、たぶん。初めは大阪におったんやろ。インターネットにそう書いてあったで」
「狂犬病の話か? そうらしいな。京都まで拡がってきたんやろ」
守屋のおっさんは、興味ないふうに相槌 打ってきた。
「病気の犬が京都まで走ってきたんか。元気な病気の犬やなあ」
首をひねる俺を、ふたりの刑事は、ぽかんと見ていた。
「そないに漫画 みたいに考えんでも。走る以外にも感染経路があるんやろ」
「病気の犬が車乗ったり電車乗ったりして、京都まで来たんか。犬って電車乗ってええんか」
俺が真面目に訊 いてると、守屋は笑った。なんか変やったらしい。
「犬猫用の切符もあるんやで。せやけど、狂犬病の犬が切符買って電車乗りはせんわな。飼い犬が知らん間に感染しとって、それを連れて引っ越した奴でもおったんちゃうか。そんなとこやで」
ふうん、と俺は答えた。
病気は一種の魔物やで、刑事さん。疫神 や。疫病 みにかかると、人はおかしなるんやで。それは時々、外道 もや。俺かて時には病気になるんやで。そしたら狂う。おとなしい無害な神から、荒ぶる神へ。精霊から悪魔へ。人を食らう鬼へ。
噛みつくとうつる、水を恐れるようになる病は、何とも言えず、怪しいで。
今の人はそれを、ワクチンで防ぐらしいけど、昔なら加持祈祷 や、陰陽師 呼んで来い言う話や。
おかんはこの話、知ってるんかな。何か妙なもんが、京都に入ってきたで。
「おっさん。変な事故続くようやったらな、ここに電話してみ」
ジーンズのケツに入れてたカードケースから、おかんに貰 ってた名刺 を出して、俺は守屋のおっさんに渡してやった。
細長い朱色の紙に、白抜きで電話番号が入ってて、名前は、登与 とだけ書いてあった。まるで、舞妓 か芸姑 が配るやつみたいや。おかんも洒落 っ気あるわ。まあ、あの人もある意味、踊るのが商売やからな。舞妓 さんみたいなもんか。
「なんやこれ。祇園 のか」
受け取った艶 やかな名刺の裏表を眺めて、守屋は不思議そうに訊 いた。
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