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4-3 アキヒコ

「食ってからでいいから、して。俺ここで待っといたるし」 「待たんといてくれ、頼むから。俺、ひとりやないねん。後輩が戻ってくる」 「ほんなら急いで食わな、アキちゃん。俺、キスしてもらうまで、どかへんし」  にこにこ言っている亨は、どう見ても本気やった。どかへん言うたら、亨はどかへんねん。力ずくでどかそうったって、それは無理や。見た目華奢(きゃしゃ)やのに、亨は怪力で、やろうと思えば簡単に抱き上げられる程度の体格でも、こいつが本気になれば岩のように重かった。  今は別に、岩のようではない。見た目どおりの重さやったけど、それが(ひざ)のうえで、猛烈な存在感やった。  亨はそこから楽しそうに、サンドイッチ食ってる俺を見下ろしていた。そして、早よ食え早よ食えと歌うように言って、()んでる俺の(ほほ)を指でつついた。それがちょっと、可愛い。そう思う自分のアホさに打ちひしがれながら、俺は泣きそうな気分で海老マヨの最後の一口を食った。  やっと飲み込んだのを待ちかねたように、亨は自分からキスしてきた。亨の舌からは、照り焼きの味がした。照り焼きのほうも美味い。照り焼き味の亨の舌も。  海老マヨも美味いと、亨のほうも思ってるんか、いつもより長く、亨は舌をからめるキスをしていた。何かムラムラしてヤバいと、俺が思う寸前まで。  そしてまた自分から唇を離して、亨はまだ鼻をくっつけたまま、熱いような息をついた。 「アキちゃん、今日は早う帰ってきてえな。俺、寂しいわ。ここんとこずっと、帰って飯食って風呂入って、ちょっとヤって寝るだけ生活やで。朝は朝で、つれないし……」 「そうやな……今日は、もう、仕事にならへんわ」  作業はぜんぜん進んでなかった。やる気も()()えや。  由香ちゃんの死で、展示会そのものがどうなるんか、教授はまだ何も言うてこなかった。作品出す学生ひとりが死んだからいうて、展示会そのものが無くなるわけではないのかもしれへんけど、彼女と三人でやってたうちのチームについては、話は別かもしれへん。  とにかく今日は、アートどころやない。 「大丈夫やったか、アキちゃん。守屋のおっさん来たんやろ」  唇を寄せたまま、(ささや)く声で亨が()いてきた。心配げな口調やった。 「なんで知ってんねん」 「俺も出町(でまち)の駅前で()うたわ。お前が殺した可能性もあるて、言われたわ」  俺はその痛い話に、顔をしかめた。なんでそうなるねん。 「なんて言うたんや、お前」 「俺が殺したら、血も骨も残らへんて言うといたわ」  にやにや笑っている亨の返事に、俺は眉間(みけん)(しわ)を寄せて見上げた。 「ふざけたらあかんで、亨。調べられたら、厄介(やっかい)やで」 「大丈夫や、アキちゃん。もしそうなっても、俺は自分でなんとかする。アキちゃんに迷惑はかけへん」 「そういう問題やないねん、亨」  お前がどこかに消えなあかんような事になったら、どうしようかって、俺は心配してるんや。その切なさが、なにか独りよがりに思えて、俺は目を()らそうとした。けど、顔をそむけかけた俺に先回りして、亨はまた、唇を寄せてきた。 「俺が心配なんか、アキちゃん」 「わからへん。お前には俺の心配なんか要らんのかもしれへん。俺は、お前がいなくなるのが心配なだけやねん」  視線の逃げ場を探して、俺の目は伏し目に泳いでた。亨は笑って、触れるだけのキスをしてきた。 「俺はどこにも行かへん。アキちゃんが(そば)()らせてくれる限りは」  そう言う亨と、俺は間近に見つめ合った。底知れないような、淡い色合いの亨の目が、すぐ目の前にあった。幻惑するような、その綺麗な目を見つめていると、なぜか悲しいような気がした。  こいつは俺が年取って死んだあとも、このまま変わらず、ずっと生きていくんやろなあ、と思えて。そしてまた、違う誰かを好きになるんやろか。そう思うと悲しい。 「なんでそんなこと言うんや。ずっと(そば)にいてくれ」  俺の(わき)に添えられていた亨の白い手をとって、俺はそれを(にぎ)った。亨の手は、なんとなく、ひんやりとしてた。ベッドで抱き合ってるときは、燃えるように熱かったそれが、俺には懐かしく思えた。  抱いてやると亨は、ものすごく寝乱れる。俺の名前を呼んで、その熱い手で、切なそうに抱きついてくるのが、俺には(たま)らなく気持ちいい。 「ずっと(そば)にいてええんか」  亨は切なそうに()いてきた。こいつは何を思ってるんやろ。見当もつかへん。  俺は曖昧(あいまい)(うなず)いた。(そば)にいてくれという意味で。亨はそれに、ますます切なそうに顔をしかめて笑った。 「キスして、抱いてくれ、アキちゃん」  そう言って、また唇を押し当ててきた亨を、(こば)もうという気も起きなくて、俺は亨にキスしてやり、そのまま抱きついてきた体を強く抱きかえした。亨からは、かすかに甘い果物のような汗の匂いがした。いい匂いやと思って、俺は亨の喉を貪りたくなった。何もかも貪りたい。  でもそれは、我慢せなあかん。ここは家やないし、早く離れなあかん。こんなことするような場所やないんやで。  そう思うと、自分の欲と理性の板(ばさ)みで、猛烈につらく、自然と眉間(みけん)に深い(しわ)が寄った。亨はそれが、悲しいみたいで、キスしながら、ふふふと苦笑する声を()らしていた。

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