18 / 103
4-4 アキヒコ
「お堅いなあ、アキちゃん。サンドイッチ食おか」
唇を離して、まだ抱き合ったまま俺の額 に額 を擦 り寄せ、亨は物分かりのいいことを言った。家では強引でも、外では聞き分けがいい。それでもこんな誘 いはかけてくるけど、俺が困れば、さっと離れるのが、亨の常 やった。
亨は、がたんと音を鳴らして、元いた自分のほうの椅子に戻った。俺は気まずい恥ずかしさで、むすっとうつむいていた。濡れた唇を手で拭 っていると、亨がまたかすかな笑い声を立てた。
「平気か、アキちゃん。舐 めたろか」
「うるさい、俺をからかうな。黙って飯食え」
早口に俺が説教すると、亨ははいはいと言って、大人しく二個目のサンドイッチを食い始めた。俺はそれが、恨 めしかった。他に方法はないけど、なんでこんなところで俺を誘うのかと思って、亨が憎ったらしくなる。
早よ帰ってこいて、お前は言いたいんやろ。そして、まる一日溜 めた欲求不満を晴らせって。
でも俺は、嫌なんや、今日は。だって、人ひとり死んだ日なんやで。それも俺の後輩の子や。俺ももしかしたら、何か関係ある話なのかもしれへん。
そんな日に、俺はお前と組んずほぐれつか。どこまで狂ってんねん。俺は。
お前はどうせ、人でなしなんやろうけど、俺は一応、れっきとした人間なんやで。道徳ってもんがあるやろ。今さらそんなこと、我に返って思っても、とっくに手遅れかもしれへんけどな。
前に警察に呼ばれて、守屋のおっさんから、前の女が死んでた話を聞かされた日の夜も、その女の遺影を拝んだ日の夜も、俺はお前を抱いてた。何も気にせず、めちゃくちゃにやりまくってたで。
付き合い始めて間がなかったからか、とにかくあの頃は、お前とやりたくて堪 らんかった。抱き合ってないと怖くて、正気でいられんような気がするときもあった。ちょっとでも手を離したら、さっと横から、誰かに持っていかれそうで。
今ではそれが、ちょっとばかし自信がついて、抱いてくれ言うお前を拒んでも、きっとちゃんと家で俺を待ってるって、そういうつもりでいる。でもそれは、自惚 れというか、俺の根性試しかもしれへん。
亨はきっと、家で待ってる。そう思って帰っても、ドア開けた先にお前がちゃんといるのを見ると、毎日猛烈にホッとする。
そんなこと、いつまで繰り返してんのかな。
いつか、ドア開けたら部屋が真っ暗で、お前がいないっていう日も、来るんやろうか。
来るんやろうな、いつか。でも、お前がおっさん趣味でよかったわ。若いのでないとあかんて言われたら、俺の寿命も短いで。俺が真っ暗な部屋に呆然とする日も、そう遠くない。
今日を楽しめばええんかな。たぶん、そうなんやろけど。俺はいろいろ考え過ぎか。
せやけど、お前と過ごせる一日一日が、いくら惜しいからって、後輩死んだ日にもやるのは、どうやろ。でもきっと、今夜もやるんやろ。めちゃめちゃやるんやで。そういう自分が、俺は恥ずかしい。
「どしたん、アキちゃん。めちゃめちゃ暗い顔して。もう一個食わへんか。チキンも美味いで」
「食欲ないんや……」
コーヒー飲もうと思って、俺は魔法瓶 の蓋 を開きながら、うっそりと答えた。暗い。我ながら。
「どないしたん。なんで落ち込むの。せっかくラブラブしたのに。幸せすぎて怖いんか」
「そんなところや」
亨が淹 れたコーヒーを飲みながら、俺は渋々 答えた。熱くて美味かった。
「死んだんて、アキちゃんの何?」
亨が唐突 に、それを訊 いてきた。俺はコーヒー飲みながら、顔をしかめた。
「何て。後輩やで。一緒に作品作ってたんや。毎日、この部屋でな」
「こんな狭い部屋に、ふたりっきりでか」
亨はサンドイッチ食いながら目くじら立ててた。
「いいや。三人でや。さっき言ってた勝呂 と、亡くなった中谷由香ちゃんと、俺と、三人チーム」
「ははあん、三角関係や」
分かったような、冷ややかなジト目になって、亨は言った。アホかお前は。そういう事しか考えられへんのか。
俺はそんな亨が嫌んなってきて、顔をそむけた。
「そんなこと考えんの、やめてくれへんか。由香ちゃんとは何でもなかったわ。それでも死んだら可哀想やねん。そういうもんや、人間心理っていうんは」
「アキちゃんは優しいからな」
「優しくないわ。俺は鬼畜やで。お前がほんまもんの鬼畜やから分からんだけや」
くよくよ言う俺を、亨は目を細め、笑って見ていた。
「ほんなら俺とデキてて良かったやん。俺にはアキちゃんは優しい子やで。いっつも優しいで。心配せんでええよ。時たま意地悪やけどな。でもそれもまあ、味のうちやで。意地悪されたあとに優しいと、よりいっそうメラメラ燃えるっていうんか、なんて言うんかなあ、胸キュン?」
「言わんでええから」
俺は項垂 れた。
恥ずかしいっていうより、もう、情けない。こいつの恥知らずなところが。
でも、何やろ。いつもその強引さに、救われてる気がする。こいつは俺が好きなんや。そう思えるから、俺も安心して、お前は俺のもんやって自惚 れていられる。
「俺にもコーヒー飲まして」
笑って強請 る亨に、俺は持ったままやった魔法瓶 を渡した。亨はそこから飲んで、まだ薄笑いしていた。
もうずいぶん見慣れてきた、綺麗な顔やった。でも、見る度いつも、綺麗やなと思う。手を伸ばして触りたくなるような白い頬 も、まっすぐな長い指の手も。いつも抱いてたいと思うけど、俺はそれを我慢してる。
我慢せんといてと亨は言うけど、我慢せんかったら一体俺はどうなるねん。際限 ないわ。
結局は、やりまくってた初めの頃と、全然変わってへん。我慢するコツを、掴 んだだけで。
ともだちにシェアしよう!