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4-4 アキヒコ

「お堅いなあ、アキちゃん。サンドイッチ食おか」  唇を離して、まだ抱き合ったまま俺の(ひたい)(ひたい)()り寄せ、亨は物分かりのいいことを言った。家では強引でも、外では聞き分けがいい。それでもこんな(さそ)いはかけてくるけど、俺が困れば、さっと離れるのが、亨の(つね)やった。  亨は、がたんと音を鳴らして、元いた自分のほうの椅子に戻った。俺は気まずい恥ずかしさで、むすっとうつむいていた。濡れた唇を手で(ぬぐ)っていると、亨がまたかすかな笑い声を立てた。 「平気か、アキちゃん。()めたろか」 「うるさい、俺をからかうな。黙って飯食え」  早口に俺が説教すると、亨ははいはいと言って、大人しく二個目のサンドイッチを食い始めた。俺はそれが、(うら)めしかった。他に方法はないけど、なんでこんなところで俺を誘うのかと思って、亨が憎ったらしくなる。  早よ帰ってこいて、お前は言いたいんやろ。そして、まる一日()めた欲求不満を晴らせって。  でも俺は、嫌なんや、今日は。だって、人ひとり死んだ日なんやで。それも俺の後輩の子や。俺ももしかしたら、何か関係ある話なのかもしれへん。  そんな日に、俺はお前と組んずほぐれつか。どこまで狂ってんねん。俺は。  お前はどうせ、人でなしなんやろうけど、俺は一応、れっきとした人間なんやで。道徳ってもんがあるやろ。今さらそんなこと、我に返って思っても、とっくに手遅れかもしれへんけどな。  前に警察に呼ばれて、守屋のおっさんから、前の女が死んでた話を聞かされた日の夜も、その女の遺影を拝んだ日の夜も、俺はお前を抱いてた。何も気にせず、めちゃくちゃにやりまくってたで。  付き合い始めて間がなかったからか、とにかくあの頃は、お前とやりたくて(たま)らんかった。抱き合ってないと怖くて、正気でいられんような気がするときもあった。ちょっとでも手を離したら、さっと横から、誰かに持っていかれそうで。  今ではそれが、ちょっとばかし自信がついて、抱いてくれ言うお前を拒んでも、きっとちゃんと家で俺を待ってるって、そういうつもりでいる。でもそれは、自惚(うぬぼ)れというか、俺の根性試しかもしれへん。  亨はきっと、家で待ってる。そう思って帰っても、ドア開けた先にお前がちゃんといるのを見ると、毎日猛烈にホッとする。  そんなこと、いつまで繰り返してんのかな。  いつか、ドア開けたら部屋が真っ暗で、お前がいないっていう日も、来るんやろうか。  来るんやろうな、いつか。でも、お前がおっさん趣味でよかったわ。若いのでないとあかんて言われたら、俺の寿命も短いで。俺が真っ暗な部屋に呆然とする日も、そう遠くない。  今日を楽しめばええんかな。たぶん、そうなんやろけど。俺はいろいろ考え過ぎか。  せやけど、お前と過ごせる一日一日が、いくら惜しいからって、後輩死んだ日にもやるのは、どうやろ。でもきっと、今夜もやるんやろ。めちゃめちゃやるんやで。そういう自分が、俺は恥ずかしい。 「どしたん、アキちゃん。めちゃめちゃ暗い顔して。もう一個食わへんか。チキンも美味いで」 「食欲ないんや……」  コーヒー飲もうと思って、俺は魔法瓶(まほうびん)(ふた)を開きながら、うっそりと答えた。暗い。我ながら。 「どないしたん。なんで落ち込むの。せっかくラブラブしたのに。幸せすぎて怖いんか」 「そんなところや」  亨が()れたコーヒーを飲みながら、俺は渋々(しぶしぶ)答えた。熱くて美味かった。 「死んだんて、アキちゃんの何?」  亨が唐突(とうとつ)に、それを()いてきた。俺はコーヒー飲みながら、顔をしかめた。 「何て。後輩やで。一緒に作品作ってたんや。毎日、この部屋でな」 「こんな狭い部屋に、ふたりっきりでか」  亨はサンドイッチ食いながら目くじら立ててた。 「いいや。三人でや。さっき言ってた勝呂(すぐろ)と、亡くなった中谷由香ちゃんと、俺と、三人チーム」 「ははあん、三角関係や」  分かったような、冷ややかなジト目になって、亨は言った。アホかお前は。そういう事しか考えられへんのか。  俺はそんな亨が嫌んなってきて、顔をそむけた。 「そんなこと考えんの、やめてくれへんか。由香ちゃんとは何でもなかったわ。それでも死んだら可哀想やねん。そういうもんや、人間心理っていうんは」 「アキちゃんは優しいからな」 「優しくないわ。俺は鬼畜やで。お前がほんまもんの鬼畜やから分からんだけや」  くよくよ言う俺を、亨は目を細め、笑って見ていた。 「ほんなら俺とデキてて良かったやん。俺にはアキちゃんは優しい子やで。いっつも優しいで。心配せんでええよ。時たま意地悪やけどな。でもそれもまあ、味のうちやで。意地悪されたあとに優しいと、よりいっそうメラメラ燃えるっていうんか、なんて言うんかなあ、胸キュン?」 「言わんでええから」  俺は項垂(うなだ)れた。  恥ずかしいっていうより、もう、情けない。こいつの恥知らずなところが。  でも、何やろ。いつもその強引さに、救われてる気がする。こいつは俺が好きなんや。そう思えるから、俺も安心して、お前は俺のもんやって自惚(うぬぼ)れていられる。 「俺にもコーヒー飲まして」  笑って強請(ねだ)る亨に、俺は持ったままやった魔法瓶(まほうびん)を渡した。亨はそこから飲んで、まだ薄笑いしていた。  もうずいぶん見慣れてきた、綺麗な顔やった。でも、見る度いつも、綺麗やなと思う。手を伸ばして触りたくなるような白い(ほほ)も、まっすぐな長い指の手も。いつも抱いてたいと思うけど、俺はそれを我慢してる。  我慢せんといてと亨は言うけど、我慢せんかったら一体俺はどうなるねん。際限(さいげん)ないわ。  結局は、やりまくってた初めの頃と、全然変わってへん。我慢するコツを、(つか)んだだけで。

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