19 / 103

4-5 アキヒコ

「あんまり深く考えへんほうがええよ、アキちゃん。考えすぎんのが、アキちゃんの悪い癖やんか。その、由香ちゃんも気の毒やったけど、事故なんやろ。運がなかったんや。アキちゃんが悩まなあかんようなことは、なんもないよ」 「俺がもっと早く来てて、助けてやれればよかったんかな」  ずっと悶々(もんもん)と思ってたことを、俺は亨に言った。亨は苦笑したみたいに声もなく笑った。 「そんなん言うてたら、キリないやん。狂犬病の犬とデスマッチするんか、アキちゃんが?」 「狂犬病なんか、その犬」  当たり前のように言う亨に引っかかって、俺は(たず)ねた。亨はきょとんとした。 「そらそうやろ。まともな犬やないで。普通、犬は人間食わへんで。頭おかしなってるから、人襲ったんやろ」  亨の言うことは、なんの裏付けもないのに、きっとそうやという気がした。狂った犬が、京都の街をうろうろしてる。それが今朝、ついそこに来て、女の子ひとり食い殺していった。これはもう、放っとかれへん。何とかせなあかん。そういう気がして、俺は不思議やった。  何とかって、何や。俺がいったい、何するっていうねん。 「その犬、どこいったんやろ。守屋のおっさんたち、ちゃんと探してんのか」  魔法瓶(まほうびん)(ふた)閉めて机に戻し、亨は足を組んだ。  パイプ椅子の背に腕を乗せて、何となくしどけないように身をよじる座り姿は、組んだ長い足が綺麗で、そのまま絵のモデルみたいやった。絵になるやつ。俺は描きたい衝動(しょうどう)を感じて、それもまた、我慢させられた。  お前と()ると、我慢ばっかりせなあかんから、俺はつらい。 「探してるらしいで。見つけて処分せなあかんて。教授が張り紙作って、暇なやつに張って回らせてたわ。危険な犬が出没しています、くれぐれも注意して、って」 「どないして注意すんのん。ガルル、みたいな犬に出くわしたら」 「逃げるしかないんちゃうか」  言われてみりゃそうやと思って、俺は苦笑して答えた。逃げるしかあらへん。 「それもええけど。おかんに()いてみたらどうや。そういう時、どうすりゃええのか」  にやにやして、亨は教えてきた。何かを匂わせる、意味深な口調やった。 「普通の犬とちがうんか」  亨が示唆(しさ)する意味に察しがついて、俺はうっすら顔をしかめた。  おかんは巫女(みこ)や。そんなようなもんや。不思議な力を持つ舞いで、不浄を(はら)い、幸福を呼べるというので、人には登与(とよ)様と(あが)められている。  俺はその一人息子で、登与(とよ)様の跡取り。皆はそう期待してるらしい。  俺にはそんな力はあらへん。俺は長年、そう思ってきたけど、どうも、あるらしい。ただその使い方が、(いま)だにわからへん。  修行せなあかんえと、おかんはこの半年、ことあるごとに言ってきた。そして亨を手なずけて、何やかんや、こいつに指図(さしず)してるらしい。 「普通の犬とちがうやろ。狂ってんで。それに、足が強いわ。大阪から京都まで、走ってくるようなやつやもん。人食うて、もっと強うなったかもしれへん。やばいなあ、アキちゃん。誰かが、なんとかせなあかん」  日ノ本(ひのもと)を、厄災より守るが、我が血筋の(つと)め、と、おかんが亨を介して寄越してきた手記に記されていた。俺のおとんが、若い頃に書いてたもんらしい。若い頃いうても、おとんは若いまま死んだ。俺と同じ、二十一の歳にはもう、おとんは死んでた。  せやけどその頃にはすでに、ひとかどの(げき)やったと、おかんは話してた。天地(あめつち)におわす神々の力をお借りして、戦うこともできたんや。その血を引いて生まれたんやから、あんたにもできますえと、おかんは俺を()き付ける。  (とら)の子が、(ねこ)のふりして生きていくんか。それであんたは、情けなないんか。あんたが好きでたまらんらしい、あの子を捕まえておくには、相応(そうおう)の力が必要どす。(しき)()らえて、満足させておくのは、うちらの(つと)めやで。  強い(しき)が必要どす。強い巫覡(ふげき)として立つには。  あの子なら、申し分ない。あんたはやっぱり、秋津の子どすなあ。うるそう言われへんでも、ちゃんと血筋の(つと)めを果たしてます。あとはどうやって、あの子を支配するかや。  お父さんのお書きになったものを、しっかり読んで、おきばりやすと、おかんはそう言ってよこした。電話でもメールでもない。渡された古いノートの間に、切り紙細工みたいな人型の紙ペラがはさまってて、それがはらりと床に落ち、ひょこっと立ったかと思うたら、おかんの声でぺらぺら話したんや。  怖い。怖くてたまらん、うちのおかんが。  紙ペラはしばらくうちにいて、亨とテレビ観てたりした。刑事ドラマ観たい言うてた。  そのうち動かんようになったんで、亨がキッチンで焼いて、流しに捨てた。まあこれも一種の水の流れやから。トイレよかマシやんね、アキちゃんと、ちょっと悪戯っぽく言って、亨は笑っていた。  おかんが言う、あの子って、亨のことやろ。  俺はこいつを、()らえようとしてるんか。()らえて、支配して、逃げんように満足させとこうって、そういう腹なんか。自分では、そういう自覚ない。でも結局、俺は自分の血筋に(あやつ)られてるだけなんか。 「なんとか、ってな……亨。おかんは、お前を戦わせろて言うてんのやで」 「そうや。それは俺も知ってんで」  薄い笑みのまま、亨は待っている顔で俺に答えた。 「そんなこと、させられへん」 「なんでや。俺、アキちゃんの役に立つんやったら、嬉しいで。戦えいうなら、死ぬまででも戦う」 「やめてくれ、そんなん。俺はいやや。なんでお前をそんな危ない目に()わせなあかんねん」  俺は怖くなって、小声で答えた。それは、いかにもびびったような早口で、自分でも、逃げ腰やと思った。 「血筋の定めらしいで、アキちゃん。俺は別に、それでええよ。戦うんやったら、いっぱい抱いてくれ。力が要るんや。腹ごしらえしとかんと」  にやりと白い歯を見せて、亨は笑った。どことなく陶酔(とうすい)したような、淫靡(いんび)な笑みやった。

ともだちにシェアしよう!