20 / 103
4-6 アキヒコ
それは今まで見たような気のしない、俺がまだ知らない亨の顔で、禍々 しいような美しさやった。
誘うような目をして、亨は俺に何かを強請 っていた。
「アートもええけど、家の仕事も大事やで、アキちゃん。悪いワンちゃん退治せな」
亨は俺の手を握ってきて、それに頬 ずりした。何となく亨は、飢えてるように見えた。俺の指から何か滴 り落ちてるみたいに、亨はその見えない滴 が惜しいというふうに、俺の指を銜 えて吸った。
指先に舌の感触がして、俺はなんとなく呆然とした。
こいつはほんまに、人間やないんや。俺の精気を吸って生きてる。抱いてやらんと腹が減るんや。
いじましいように俺の指を舐 めてる亨を見て、つらいような、愛しいような気持ちがした。
「やめろ、亨。変なことすんな」
手を取り上げると、亨は顔をそむけて、小さくはあはあと飢えたような息をしてた。
「早う帰ってきてほしい、アキちゃん。俺、我慢すんのいやや。切ないわ」
それでも我慢はするらしい様子で、亨はくよくよ言った。
「分かった。ごめんな……ごめん」
俺は顔をしかめたまま、亨に謝 った。
こいつは、俺と寝るのが、腹を満たすことやと思ってるらしい。
でも、ほんまにそうやろかと、時々思う。アキちゃん抱いてくれ言うて、しなだれかかってくるときの亨は、別に必ず欲情してるわけやない。
こいつはただ、寂しいんやないか。こいつが飢えてる精気なるもんは、ただの愛情のことなんやないかって、そういう気がするときがある。
別にいいねん。お前が抱き合って悶 えたいなら、俺もお前を悦 ばせたい。でも何や、それは本体やないという気がするんや。
愛か。と、俺は悩んだ。苦手や。それを、ストレートに表現するのは。
でも亨、お前が欲しいのは、それなんやろ、結局。
「どしたん、アキちゃん。困った顔して」
「亨。あのな、俺はお前が好きや」
意を決して言うと、亨はぽかんとして、それからちょっと赤くなった。
「な、なに。なんやのん、急に。俺も好きやで」
もじもじしながら、亨はまた、にこにこしはじめた。
「寂しならんでええねん。帰ったら、久しぶりにのんびりしよか」
うんうん、と、嬉しそうに言って、亨は擦 り寄ってきた。擦 り寄るな、家の外で。
そういう言葉が舌先まで出てきたけど、俺は我慢した。言うたらあかん。亨は寂しいらしい。ちゃんと毎晩抱いてやってんのに、腹減った腹減ったって言うてるで。愛に飢えてんねん。たぶん。
分かるけど、ここでは味見程度にしといてくれへんか。外やし。家の外なんやし。亨。
戻ってきたらしい勝呂 の、今いいですかみたいな咳払 いの音をドアの外に聞いて、俺はぐんにゃり嬉しそうに甘えている亨を、必死でぐいぐい押し返した。亨は未練がましく、めそめそ言うてた。
「先輩、ツレに頼んで、おにぎり買いにいかせたんですけど。もう腹いっぱいですか」
勝呂 は、どうしたらええんかなという顔で、戸口から言った。
「いや、食う。ありがとう。すまんかったな、さっきは」
俺はほとんど反射的に、そう答えてた。道義心が俺を喋 らせてたんや。
だって悪いやろ。せっかく昼飯を調達してきてくれたのに。気まずいやろ、食わへんかったら。
勝呂 はそれには何も答えず、コンビニの袋をさげたまま、つかつかと部屋に入ってきた。
そして、空いてる椅子をとりあげて、どかんと俺の横に置き、亨と反対側に座った。しかもそれが。近い。
「アイスコーヒー買うてきてもらいました。駅前の、いつもの店のです」
氷の入った、美味そうに見えるアイスコーヒーのプラスチックカップを俺の目の前に差し出して、勝呂 は言った。なんとなく、お前はこれが欲しいやろと言われてるような気がした。
「おにぎり、明太子 と昆布 と、紅鮭 でいいですよね。先輩は、和食が好きなんですよね」
和食が好き言うところを、勝呂 はむちゃくちゃ強調して言った。亨に。
亨はゆっくりと、ガーン、みたいな顔になった。
「アキちゃん……そうなんか」
亨はよっぽどショックだったんか、呆然とした小声で訊 いてきた。
そうやとは、言いにくかった。亨は洋食系ばっかし作るからや。たぶん得意な料理がそういう系統のばっかりなんやろ。でも別に、俺は和食でないと死ぬわけやないから。
「知らんかったんですか。変やなあ。一緒に住んでる人が知らんなんて。俺はすぐ気づいたですけどね」
お茶もありますよ先輩、と、勝呂は愛想良く言った。
「こいつ、こいつ、なんやねん、アキちゃん……」
頭をかかえて、亨は俺にお茶のペットボトルを見せてる勝呂 のことを訊 いてきた。
「CG科一年の後輩で勝呂 や」
「瑞希 って呼んでください、先輩」
にっこりと愛想良く、勝呂 は強請 るみたいな口調で言った。
「いや、それは変やろ。普通は名字 やろ」
俺は動揺して、いつも勝呂 に言っていることを、また言った。
「なんやねん、こいつ……」
わなわなして、亨は身を起こし、勝呂 の顔を震えてるみたいな指で指さした。
「美少年やないか!!」
それがとんでもない俺の罪みたいに、亨は詰 る口調の大声やった。
それに勝呂 は、ふっふっふっと笑った。
「美少年ですけど、何か」
亨は口元を覆 って、青い顔をしてた。
亨が指さしたままの、勝呂 の顔は、確かに綺麗やった。男にしとくの勿体 ないみたいな、そういう系統の。しかもちょっと髪長くて、天然やいう癖 のある巻き毛が、肩にかかってて、ちょっと触りたいような柔 らかそうな感じやった。
俺は何となく、気が遠くなってきた。そして、なんで気が遠いのか、なんとか考えないようにするには、どうすればええのかな、と思っていた。
――――第4話 おわり――――
ともだちにシェアしよう!