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4-6 アキヒコ

 それは今まで見たような気のしない、俺がまだ知らない亨の顔で、禍々(まがまが)しいような美しさやった。  誘うような目をして、亨は俺に何かを強請(ねだ)っていた。 「アートもええけど、家の仕事も大事やで、アキちゃん。悪いワンちゃん退治せな」  亨は俺の手を握ってきて、それに(ほお)ずりした。何となく亨は、飢えてるように見えた。俺の指から何か(したた)り落ちてるみたいに、亨はその見えない(しずく)が惜しいというふうに、俺の指を(くわ)えて吸った。  指先に舌の感触がして、俺はなんとなく呆然とした。  こいつはほんまに、人間やないんや。俺の精気を吸って生きてる。抱いてやらんと腹が減るんや。  いじましいように俺の指を()めてる亨を見て、つらいような、愛しいような気持ちがした。 「やめろ、亨。変なことすんな」  手を取り上げると、亨は顔をそむけて、小さくはあはあと飢えたような息をしてた。 「早う帰ってきてほしい、アキちゃん。俺、我慢すんのいやや。切ないわ」  それでも我慢はするらしい様子で、亨はくよくよ言った。 「分かった。ごめんな……ごめん」  俺は顔をしかめたまま、亨に(あやま)った。  こいつは、俺と寝るのが、腹を満たすことやと思ってるらしい。  でも、ほんまにそうやろかと、時々思う。アキちゃん抱いてくれ言うて、しなだれかかってくるときの亨は、別に必ず欲情してるわけやない。  こいつはただ、寂しいんやないか。こいつが飢えてる精気なるもんは、ただの愛情のことなんやないかって、そういう気がするときがある。  別にいいねん。お前が抱き合って(もだ)えたいなら、俺もお前を(よろこ)ばせたい。でも何や、それは本体やないという気がするんや。  愛か。と、俺は悩んだ。苦手や。それを、ストレートに表現するのは。  でも亨、お前が欲しいのは、それなんやろ、結局。 「どしたん、アキちゃん。困った顔して」 「亨。あのな、俺はお前が好きや」  意を決して言うと、亨はぽかんとして、それからちょっと赤くなった。 「な、なに。なんやのん、急に。俺も好きやで」  もじもじしながら、亨はまた、にこにこしはじめた。 「寂しならんでええねん。帰ったら、久しぶりにのんびりしよか」  うんうん、と、嬉しそうに言って、亨は()り寄ってきた。()り寄るな、家の外で。  そういう言葉が舌先まで出てきたけど、俺は我慢した。言うたらあかん。亨は寂しいらしい。ちゃんと毎晩抱いてやってんのに、腹減った腹減ったって言うてるで。愛に飢えてんねん。たぶん。  分かるけど、ここでは味見程度にしといてくれへんか。外やし。家の外なんやし。亨。  戻ってきたらしい勝呂(すぐろ)の、今いいですかみたいな咳払(せきばら)いの音をドアの外に聞いて、俺はぐんにゃり嬉しそうに甘えている亨を、必死でぐいぐい押し返した。亨は未練がましく、めそめそ言うてた。 「先輩、ツレに頼んで、おにぎり買いにいかせたんですけど。もう腹いっぱいですか」  勝呂(すぐろ)は、どうしたらええんかなという顔で、戸口から言った。 「いや、食う。ありがとう。すまんかったな、さっきは」  俺はほとんど反射的に、そう答えてた。道義心が俺を(しゃべ)らせてたんや。  だって悪いやろ。せっかく昼飯を調達してきてくれたのに。気まずいやろ、食わへんかったら。  勝呂(すぐろ)はそれには何も答えず、コンビニの袋をさげたまま、つかつかと部屋に入ってきた。  そして、空いてる椅子をとりあげて、どかんと俺の横に置き、亨と反対側に座った。しかもそれが。近い。 「アイスコーヒー買うてきてもらいました。駅前の、いつもの店のです」  氷の入った、美味そうに見えるアイスコーヒーのプラスチックカップを俺の目の前に差し出して、勝呂(すぐろ)は言った。なんとなく、お前はこれが欲しいやろと言われてるような気がした。 「おにぎり、明太子(めんたいこ)昆布(こんぶ)と、紅鮭(べにざけ)でいいですよね。先輩は、和食が好きなんですよね」  和食が好き言うところを、勝呂(すぐろ)はむちゃくちゃ強調して言った。亨に。  亨はゆっくりと、ガーン、みたいな顔になった。 「アキちゃん……そうなんか」  亨はよっぽどショックだったんか、呆然とした小声で()いてきた。  そうやとは、言いにくかった。亨は洋食系ばっかし作るからや。たぶん得意な料理がそういう系統のばっかりなんやろ。でも別に、俺は和食でないと死ぬわけやないから。 「知らんかったんですか。変やなあ。一緒に住んでる人が知らんなんて。俺はすぐ気づいたですけどね」  お茶もありますよ先輩、と、勝呂は愛想良く言った。 「こいつ、こいつ、なんやねん、アキちゃん……」  頭をかかえて、亨は俺にお茶のペットボトルを見せてる勝呂(すぐろ)のことを()いてきた。 「CG科一年の後輩で勝呂(すぐろ)や」 「瑞希(みずき)って呼んでください、先輩」  にっこりと愛想良く、勝呂(すぐろ)強請(ねだ)るみたいな口調で言った。 「いや、それは変やろ。普通は名字(みょうじ)やろ」  俺は動揺して、いつも勝呂(すぐろ)に言っていることを、また言った。 「なんやねん、こいつ……」  わなわなして、亨は身を起こし、勝呂(すぐろ)の顔を震えてるみたいな指で指さした。 「美少年やないか!!」  それがとんでもない俺の罪みたいに、亨は(なじ)る口調の大声やった。  それに勝呂(すぐろ)は、ふっふっふっと笑った。 「美少年ですけど、何か」  亨は口元を(おお)って、青い顔をしてた。  亨が指さしたままの、勝呂(すぐろ)の顔は、確かに綺麗やった。男にしとくの勿体(もったい)ないみたいな、そういう系統の。しかもちょっと髪長くて、天然やいう(くせ)のある巻き毛が、肩にかかってて、ちょっと触りたいような(やわ)らかそうな感じやった。  俺は何となく、気が遠くなってきた。そして、なんで気が遠いのか、なんとか考えないようにするには、どうすればええのかな、と思っていた。 ――――第4話 おわり――――

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