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5-1 トオル

 あいつが犬や。  俺は直感的にそう思ってた。  嫉妬(しっと)やないで。外道(げどう)(かん)や。あいつは同じ穴の(むじな)。人やない。俺とおんなじ、人でなしや。  しかも犬やで。見た目は、いかにも可愛い愛玩犬(あいがんけん)で、マルチーズです、チワワです、トイプードルです。さあ抱き上げてスリスリしてください、みたいな(つら)しとるけど、中身は凶暴な(けだもの)なんや。アキちゃん美味そうって、(よだれ)垂らしてハアハアしてるねんで。  なんでそんなことも分からへんのや、アキちゃんは。鈍いで、鈍すぎる。  そんな(てい)たらくで、普通の人間やったら、とっくに食われてたやろう。  それでもアキちゃんはいっぱしの(げき)やった。本人は、力の使い方がわからんなんて言うてるけど、要所要所では無意識に使えてる。今にも食らいつこうっていう犬を、その力で押しとどめてる。  食いとうても、触れることもでけへん。それに()れた犬が、アキちゃんの周りをうろうろしてる。飢えて、とりあえず他のんを襲う。そしてその血まみれの口を(ぬぐ)って、またマルチーズみたいな顔して、戻ってきてるんやで。  こいつを追い(はら)ってくれ、アキちゃん。もう殺さなあかん。こいつは、まともやないで。  俺は親切にそう教えてやったけど、アキちゃんはそれを、うるさそうに聞くだけやった。  俺が焼き(もち)焼いて、そう言うてると思ったらしい。  ()いてるよ、それは。でもそれとは関係ないねん。俺の目に狂いはないで。  それでも、出ていけ、家で待ってろて命令するアキちゃんの言葉に、俺は逆らえへんかった。  ひどいわ、アキちゃん。なんでそんなこと俺に命令すんの。せめて(そば)で守らせて。  まっすぐ家に帰らなあかん。そう思えたけど、でもそれはアキちゃんの呪縛(じゅばく)や。自分の意志やない。  せやから俺は、なんとかそれに抵抗して、CG科の作業室から追い出された後も、大学の中にいた。帰ることは帰る。ただ、道草食うだけや。道草食うな、すぐ帰れとは、アキちゃんは命令せえへんかったしな。  そこまでの権利無いと、アキちゃんは思ってる。  俺が帰り道にどっか寄り道してようと、(ひま)やなあて散歩に行こうと、おかんに呼ばれて嵐山(あらしやま)までふらふら行こうと、それは俺の自由やからって、アキちゃんは思ってる。元々持ってた携帯電話も取り上げへん。ほんまはそうしたいんやろうけど、でも、我慢してる。  出ていきたいんやったら、俺の自由や。他のと付き合いたいんやったら、それも俺の自由。(しば)る権利はない。アキちゃんは、なんでか、そう思ってるらしい。  それは時々、確かに好都合やった。一歩も家から出るなて言われても、俺も気詰まりや。退屈したら遊びに行きたい。今までせっかく手なづけた連中に、たまには電話の一本もかけてやらなあかん。それは俺の手駒(てごま)で、いつかアキちゃんの役に立つこともあるやろうから。もちろん俺の役にも立つ。  せやけど俺は切ない。もっと(しば)ってくれていいのに。  お前は俺のもんや、どこへも出さへん言うて、閉じこめてもええんや。だってアキちゃんは俺のご主人様やろ。俺を支配してる(げき)なんや。  おかんはそれを(わきま)えてて、支配した(しき)を勝手にうろうろさせたりは、せえへんで。がっつり家に()らえてる。(まい)かて、おかんのお(つか)いやなかったら、奥座敷(おくざしき)の庭から出ることもでけへんのや。  そういうもんやろ、支配するていうのは。それでも舞は、うっとり奥様にお仕えしてんで。幸せなんや。おかんは舞を可愛がってる。ほんまの娘みたいに、髪の毛といてやったり、いっしょにお手玉して遊んでやったりしてる。それで舞は幸せやねん。  それでもあの顔無し女、今は顔有りやけど、アキちゃんが来たら、若様若様言いよるわ。それだけアキちゃんの力が強いていうことやねん。  おかんはそう言うてた。アキちゃんはうちより力が強い。せやからあの子が帰ってくると、()らえてある(しき)たちが、そわそわしよる。もっと力のある巫覡(ふげき)に身を任せとうて、切のうなってくるんや。  せやから、どうにも仕方なしに、うちはあの子を家から出したんえ。そうやなかったら、可愛いひとり息子や。ずっと(そば)に置いておきたかった。せやけどもう、あの子も一人前になる歳で、悪い子や言うて蔵に閉じこめるくらいでは、ちょっとも言うこときかへん。悪さしてばっかりや。  そうやろう、亨ちゃん。そう言うて、おかんはにやにやしてた。  やっぱ見とるんやな、おかん。悪趣味やで。のぞきは。アキちゃん知ったら発狂すんで。  俺がそう言うても、おかんはにやにやしてるだけやった。にこにこしてるだけ、というか。あの人、顔可愛いから、そういうふうにしか見えへん。  とにかく、アキちゃんが俺を支配すんのに本腰入れへんのは、俺の精進(しょうじん)が足らんのやないかと、おかんは嫌みを言っていた。嫁いびりやで。嫁やないけど。(しき)いびりやで。  あんたに魅力が足らんから、アキちゃんは血道(ちみち)を上げてあんたを支配しようとまで思わんとちがうやろか。もっと可愛がってもらえるように、精進(しょうじん)せなあかんのとちがうか、亨ちゃん。  そもそも男の(なり)やのがあかんのや。うちの息子には、そんな趣味ないのや。  女になったらもっと可愛がってもらえるえ。うちも孫の顔見たいし。早いとこアキちゃんを一人前に(きた)えて、女に変えてもろたらよろし。  最後は本音を吐いたみたいやったけど、おかんの言うことにも一理あるように思えてならん。  アキちゃんは、おかんの(しき)である舞の顔を、のっぺらぼうに変えたこともあるんやで。(ねら)ってやなく、無意識でや。そんだけの力があるんやで。  だから、ほんまはアキちゃんが、自分の(しき)である俺を女に変えることぐらい、力量的には朝飯前らしいで。ただアキちゃんには、そのやり方がわからへんのや。  でも、もしかしたら、アキちゃんは別に、そんなこと望んでないのかもしれへん。別にかまへんのやないか。俺がどっちでも。男でも女でも、人でも鬼でもどっちでもかまへん。俺が俺なら、それでええのや。  そんなふうに思うのは、俺の自惚(うぬぼ)れか。ただの期待か。そうやったらええのに、っていう。  俺は今の自分で満足してる。今あるままで、アキちゃんに好かれたい。気に食わんところを、ちょっと作り替えよかなんて、そんなふうに(あつか)われたくない。愛してほしいねん、ありのままで。  そんなところが、可愛くないんか、俺は。わがままなんやろか。

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