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5-3 トオル
俺は頷いて、部屋んなかに入った。アトリエ兼 ねた十畳 くらいの部屋で、デスクと扉付きの本棚がある以外は、がらんとしていて、床にも、壁に作りつけられた戸棚にも、画材が散乱 してる。
相談に来た学生を座らせるためやという、小さな丸椅子を、苑 先生は俺にすすめた。学生やないけど、相談に来た俺は、おとなしくそこに座った。そしてカリント食った。甘くて美味 い。
「先生んとこにも刑事来たんか」
「来たな。ほんまに参ったわ。まさか警察のお世話になるなんてなあ」
頭をがしがし掻 いて、苑先生は参っていた。
「やっぱり先生が犯人やったんか」
俺はもちろん冗談で言ったんやけど、苑 先生は泣いていた。
「なんで冗談にもそんな事言うんや。そんなわけあらへんやろ。なんで先生が学生殺すねん」
「わからんで。痴情 のもつれかもしれへんやん。アキちゃんと痴情 をもつれさせたいようなホモ先生やから、他の学生とも、いろいろもつれてるかもしれへんやん」
「もつれてへん。誰とももつれてへんから。君も時々チェックしにくるの、やめてくれへんか」
空になった湯飲みを握 りしめて悔 やんでいる苑 先生は、まるで飲み屋でくだを巻いている酔ったおっさんみたいやった。
「ほんまか。そんなら先生に関しては別にええんや」
カリントくわえたまま、俺は許してやった。今日のところは。
苑 先生は、アキちゃんに手を出すつもりはないらしいで。本人の証言やから信用でけへんけどな。アキちゃんは何や、眩 しいんやって。先生には。
才能あって、描きたいもんがガンガン描けて、それがいちいち上手くて、教えてやるもんなんか何もない。どう描いたらええのかななんて、迷ってることがいっぺんもない。
描きたいもんを、ガーッと集中して描いて、それで幸せ。その絵が人にも評価される。そういうのがな、眩 しいんやって。
まあ、しゃあないわな。アキちゃんて、一種の天才なんちゃうかと、俺は思うわ。しかも本人がそれに全然気づいてへんしな。
気づいてへんから、鼻にもかけへんし。当たり前やと思ってて、誰でもやれると思ってるんやな。そのへんが、自分にはでけへんと思ってる人間から見ると、むかつくし、切ないし、眩 しいんやろな。
だから変やけど、ホモ先生にとっては、アキちゃんは憧 れの人らしいで。眩 しいけど、見つめていたいんやって。どんな絵を描くのか、見てたいんやって。
それって恋やろ、ホモ先生。ええかげんにしてくれへんか。アキちゃん知ったら卒倒 すんで。なんで担当教授のおっさんに純愛されなあかんねん。気持ち悪いわ言うて、他の科に転向してまうで。
俺がそう忠告してやると、苑 先生は、そうやなあと言って困っていた。
「死んだ女は、俺には別にどうでもええねん。可哀想やけどな、もう死んでるから悪させえへん。もう片方の、勝呂 て言うやつ、先生はどう思う」
遠慮なく先生のおやつのカリントを減らしてやりながら、俺はむかむかして訊 ねた。
「勝呂 君か。顔綺麗 な子やなあ」
「美少年やで。あいつホモなんかホモ先生。ぜったいアキちゃん狙 いやで」
「その呼び方、頼むからやめてくれへんか……」
ほんまに泣いてるみたいに、苑 先生はうなだれて肩を震わせていた。
「ほな、苑 先生」
「うんうん。勝呂 くんな……。彼はほんまにそうらしいよ」
まるで自分は違うみたいな言い方で、ホモ先生は解説した。お前も同類項 やろ。アキちゃん眩 しいねんから。逃げようとすんな。
「勝呂 くんは、刑事にも、そう言うたらしい。せやから女には興味ない、死んだ中谷さんとは、ただの友達やったって。飲み会断られたくらいで、友達殺したりせえへんてな」
「飲み会断られたから殺したん?」
俺は顔をしかめて、苑 先生に訊 いた。そういえば詳 しい背景、知らへんかったで。
そういう顔してる俺を見て、苑 先生は、あ痛という顔をした。単に俺の顔を見てもうたんが痛かっただけか。
「知らんかったんか……迂闊 やで。本間くんから話聞いてるんやと思てたわ。人に言わんといてや。教授が部外秘の話を部外者に喋 ってもうたなんて、懲戒 もんやわ」
「喋 らへんよ、苑 先生。俺も刑事に会ったんやで。連中、アキちゃんが犯人やと思ってる節 もあんで。それってどうなん。まずいんちゃうの。マスコミにでもネタにされて、アキちゃんの将来に傷がついたら、先生も困るんやろ」
かりかりカリント食いながら、俺と苑 先生は真面目 に話していた。
「困る言うか、勿体 ないわな。せっかく才能あんのに、それがもとで潰 れたら」
そう言っている苑 先生は、アキちゃん犯人説には全く信憑性 を感じてないらしかった。なんでや。何を根拠にそう思うんや。惚 れてるからか。
俺でもちょっとは思ったで。まさか何かの間違いで痴情 がもつれてもうて、アキちゃんがほんまに殺 ったんちゃうかって。
顔見たら、そんな気はどっかに消えたけどな。だって、人殺せるような男やないで、アキちゃんは。時々鬼やけど、そういう類 の鬼やない。
「どう考えてもあいつや。あいつが殺 ったんや。それは間違いないで、先生」
「あいつって誰やねん」
目をぱちぱちさせて、苑 先生はほんまにびっくりしたらしかった。
「あのなあ亨くん、犯人なんかおらへんよ。事故や。不幸な事故やったんや。中谷さんは、犬にやられたんやから」
「その犬や。勝呂 がその、犬やねん、先生。意味わからへんやろけど、アキちゃんのこと、気いつけたって。ヤバいねん、あの美少年は。アキちゃんとあいつを、ふたりっきりにさせんといて」
俺はお願いポーズで、苑 先生に頼 んだ。ほかに頼 めるやつおらへん。
この人おっても、いざという時には何の役にも立たへんのやけど、それでもアキちゃんが血迷 うのは避けられるやろ。
アキちゃんて、押しの強い相手には弱いから、あの美少年が本気で迫 ってきたら、案外ころっと行くかもしれへんで。でも、人目があれば、それはない。気にする質 やからな。
「そう言われてもなあ。そんなん君の妄想 やろ」
「先生。アキちゃんが美少年に押し倒されて、べろべろ舐 め回されてもええんか……」
俺が具体的な危機について教えてやると、先生は、うぐっと呻 いた。
微妙なところらしかった。まさか見たいんかオノレは。どこまで腐 ったホモ先生や。
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