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5-4 トオル
「とにかくな、先生。あの美少年がアキちゃん狙 いなのは事実やねん。涎 垂 らして狙 っとんねん。今でももうすでに、犯 されてるかもしれへんで。俺は帰れ言われてもうたし、もう帰らなあかん。先生だけが頼 りやねん。頑張ってくれへんか。アキちゃんショックで、絵描けへんようになるかもしれへんで」
がたんと驚いたように、苑 先生は立ち上がった。
結局、絵なんか。お前らは。絵さえ描ければそれでええんか。
ちょっと様子見てくるわ言うて、苑先生はCG科にいくつもりみたいやった。俺は最後に一個カリントもらって、先生と部屋を出た。
このカリント美味い。ちょっとハマったで。どこで買うたんやて訊 いたら、伊藤軒のソバ花林糖 や。そんなんどうでもええやろと、苑 先生はくよくよ言った。
そして小走りに、おっちゃんは研究室棟 を出ていった。
苑 先生は、濡 れ場を止めたいんか、それとも見たいんか、どっちなんやろ。見てへんと、止めろよ、エロオヤジ。
俺は正直、かなり本気で危 ぶんでいたんやけど、それでも、おっちゃんはちゃんと仕事したらしい。
家に帰ってきたアキちゃんが、なんや今日、教授が気持ち悪かったわ、用もないのにずっと作業室におってな、なんやソワソワしてたで、気になってしゃあなかったわと、いかにも気持ち悪そうに俺に話した。
それで、グッジョブ、ホモ先生と、俺は思ったもんやった。とにかく、あの犬が、アキちゃんといい雰囲気 にならなかったことは確実や。
ならせてたまるか。いい雰囲気なんて。何が瑞希 って呼んでください、先輩や。お前なんかポチかジョンでええねん。犬やねんから。
アキちゃんが名前呼び捨てで呼ぶのって、たぶん寝たことある相手だけなんやで。そういう気がする。
ていうことは、や。アキちゃんは姫カットのことも、名前呼び捨てで呼んでたんやろなあ。あの女、何て名前なんやったっけ。中のブスも、名前調べといたろと思ってて、忘れてた。アキちゃんといちゃつくので忙 しくて。
あの刑事なら知ってるんちゃうかな。もう一人分、骨出てきたいうて、慌 てとったくらいやから。誰の骨なんか、いくらなんでも名前くらいは分かってるやろ。
ブサイク猫、飯 食ったかなと、俺は晩飯 のごはんを茶碗 によそいながら、ふと思い出した。
今日は和食にしましたえ。
ベタやとアキちゃんは思うやろけど、でもええねん。
俺が料理をおぼえたのはな、昔ちょっと暇 やったんで、レストランの厨房 で、コックさんごっこしてたことがあってん。
でもそこは、基本、イタリアンの店やってん。せやから俺は、ティラミスとかパスタとかは自分で作れるけど、肉じゃが作ったことはない。
せやし、しゃあないから、インターネットでレシピ見て、なんとか作ったで。和食の定番といえば肉じゃが。
それがな。いまいち不味 い。なんでやろ。ネットのレシピを公開してたやつの舌が腐 っとったんか。ほんま恨 むわ。
晩飯 の肉じゃがに箸 つけたアキちゃんは、正直なもんで、不味 いという顔をした。それでも文句言わへんかった。黙々 と食っていた。いつもなら、一回くらいは、美味 いなて言うのに。
まあでも確かに不味 いわ。自分で食っても不味 いと思ったわ。けど、どうやったら美味 くなんのか、わからへんかってん。
おかんが言うように、俺は精進 が足らんみたいや。精進 せなあかん。いろいろ。
別に料理なんて、そんなん簡単や。それでアキちゃんが喜ぶんやったら。
それであなたのお役に立つなら、うちは幸せどす、ってやつや。
確かにまだまだ、姫カット・ウィズ・ブスに勝ててないかもしれへん。駅の改札で一日二回、通り過ぎる姿を見るだけで幸せやなんて、俺にはそんなふうには思われへんもん。
抱いてほしい。俺が好きやて言うてほしい。いつも、そればっかりやで。
「アキちゃん、出町 の駅に、黒い猫おるの知ってるか」
食い終わって、まだ残ってたビール飲みながら、俺は試しに訊 ねてみた。どうせ知らんやろと思いながら。
アキちゃんは、疲れたんか、テーブルについたまま、なんやボケッとしてた。酔 ったわけやないやろ。酒豪 やねんから、ビール一缶くらいで酔うわけあらへん。
「黒い猫って、切符 売り場んとこにいる、めちゃめちゃブサイクなやつか」
アキちゃんは、ボケッとしたまま、そう答えた。
知ってたんや。俺はそれに、驚 いた。アキちゃんがあんなブサイクな猫を意識してたなんて、ありえへん。見えてても見てないかと思ってた。
「なんで知ってんのん」
「なんでって……。あいつ、俺が通ると、いつもじいっと睨 みよるで。それが何や、気になるねん」
気になんのか、アキちゃん。それ、アキちゃんが前に、このテーブルで一緒に飯食ったこともある女やで。
あいつ料理もしよったんかな。和食かな、やっぱ。料理上手かったんか。なんか、そんなような気もするなあ。アキちゃんが半年も付き合ったんやから。
「俺も今日、じいっと見られたわ。ほんま、ブッサイクな猫やなあ。ようあんな醜 い顔になれんで。おかんの腹ん中にいたときに象 に踏 まれたんかなあ」
俺がそう罵 ると、アキちゃんは苦笑した。
その話、『エレファント・マン』ていう、古い、えげつない、ホラーっぽい映画やで。ものすごい醜 い男が、みんなに憎まれて、見せモンにされたりして、ひどいめにあわされる。そういう話や。
アキちゃんは相当の映画好きらしい。ひとりででも映画館に行くし、家でもDVDで映画観てる。
ボンボンやからレンタルやないで。山ほどDVD持ってるで。その映画も、アキちゃんのライブラリーにあったんで、暇 やったから俺は勝手に観てみたんや。いろんな映画観て暇 つぶししてんねん。
変な映画やなあって、アキちゃんに感想言うたら、可哀想な男の話やて、アキちゃんは言うてた。面食いのアキちゃんが、あんな壊れたみたいな特殊メイク顔の男のことを、可哀想やて言うのが、俺には不思議に思えて、なんとなく憶えててん。
なんでアキちゃんが、あれに感情移入してんのか、今ではよくわかる。たぶん自分に似てると思ったんやろ。化けモンや言われて、いつもひとりで居 る。人から理解されない、孤独な男やねんで。
「猫ってな、見た目悪いと、なんでか仲間に虐 められるらしいで。それで傷だらけになってな、どんどんブサイクに磨 きがかかるんや」
アキちゃんは珍しく饒舌 に、そんな話をしてた。もしかして、猫好きなんかな。
「そうなんか。可哀想やな。駅の猫、ブサイク度では最強レベルやから、実はけっこう苦労してんのかな」
「そうかもしれへんな。なんであいつ、俺をじっと見るんやろ」
分からんというふうに、顔をしかめて、アキちゃんは首をかしげていた。
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