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6-1 アキヒコ
キッチンで亨が歌っている声が聞こえてた。
鼻歌なんやろけど、異様に上手い。俺はそれを聞くともなく聞きながら、リビングで絵を描いていた。亨の声が、I want to hold your hand.(君と手をつなぎたい)と、ビートルズの古い曲を歌うのに、なんとなく、にやりとしながら。
亨の英語は、めちゃめちゃ発音がよかった。上手いなと褒 めたら、昔ちょっと住んでたことあるからと、亨は困ったように笑い、それだけ言葉少なに答えた。
たぶんそれには、長い話がくっついてるんやろうけど、俺には話したくないていう事なんやろ。きっとそれは、俺も聞きたくない話なんや。こいつはどうせ、そんなんばっかりや。慣れるしかない。
そんな、ぼんやりとした嫉妬 にとろ火で焼かれつつ描いている絵は、化けモンの絵やった。祇園祭 合わせのイベントで、会場のどでかいスクリーンに出すというCGで使う映像の素材で、大学で勝呂 や由香 ちゃんと作ってたもんや。今も作ってる。
祭りの山鉾 と囃子 に追われて、妖怪どもが祓 われる映像を作るということで、やられ役の妖怪を俺が描かなあかん。祭りの時期が迫 り、作品は大体できあがってきたんやけど、地味やし妖怪もうちょっと足そかということで、描き足すことになったわけなんや。
ほんまやったら大学で描くところなんやけど、ちょっと事情が変わった。
由香 ちゃんの死が、京都の事件の皮切りやということで、美大にマスコミがうようよ押し寄せてきよってん。
犬が人を襲う事件は、その後頻繁 に続いた。すでに他で三人死んでるそうや。連続猟奇 殺人か、夏の化けモンか言うて、マスコミはそれに祭りのように騒 いでる。
大学側はもちろん取材拒否の構えやったけど、妖怪並みにしつこい連中が、こっそり入り込んだり、時にはヘリを飛ばして空撮 までした。
被害者の女の子と前夜まで一緒やったし、日頃から付き合いがあったということで、俺にも取材を受けろと、うるさいのが付きまとってきた。嫌やて答えたら、今度はそれが盗撮に空撮、マンションの前にもべったり張り付いてて、お前ら変態かみたいな連中や。
そんなストーカー被害に辟易 する俺に、大学は自宅学習なるものを特別に許した。勝呂 にも同様や。
あいつはよっぽど逃げ足が速いんか、いっぺんも写真撮られたことない。どうやって逃げ隠れしてんのか、俺にも教えてほしい。
某写真雑誌に俺の写真が載 ってたいうて、おかんからお叱 りの電話がかかってきた。
アキちゃん、ひとりで大丈夫か、ウチが助けに行ってもよろしおすえと、心配げに話すおかんの口調は、あたかも幼稚園についてこようとする親みたいな甘さで、俺をがっくりさせた。
大丈夫や、おかん。俺ももう大学生やから、ひとりで学校行けるわて答えたら、おかんにはマジな声で、ほんまに大丈夫やろかって言われた。
それで多分、おかんが大学に電話の一本もかけたんやろ。それで特別に自宅学習ってわけや。きっとそうなんや。
大丈夫やないんか、俺は。学校ぐらいひとりで行ける。
小学生のころ、心配して学校までついてこようとするおかんを振り切って、俺は走って逃げたこともある。恥ずかしいねん。みんな普通にひとりで歩いて学校行ってんねんから、平気やねん。俺だけ学校の行き帰りに変なモンに会ったりせえへんよ。
しかし今にして思えば、おかんが心配してたのは、俺が人ならぬ変態に遭遇 する可能性のことやってん。世の中、変態ばっかりやからな。人も、人でなしも、変なのばっかりやで。
幸い、今まで俺は無事やった。実はそれは、おかんの加護 やったんかもしれへん。亨はこのマンションに、おかんが結界を張っていると言うてたし、俺が京都から出られへんかったんも、おかんの仕業 やと決めつけてた。俺が遠くへ行かんように、閉じこめてたんやて言うんや。
そうかもしれへん。俺が何か悪さした言うて、おかんはよく俺を家の蔵 に閉じこめてた。何のことを叱られてんのか、よう分からへんで、俺は蔵ん中でめそめそしとったもんやった。蔵ん中には、なんや変なもんがうようよおって、俺は怖かったんや。
けどそれも、今にして思えば、別に悪いモンやなかった。あの蔵は、訳の分からん古道具類といっしょに、おかんが自分の式 を棲 ませてる場所やったらしい。うちの家に代々憑 いてる連中や。
そいつらは、まあ、一種の化けモンやけども、忠実らしい。せやからあの蔵は、おかんにとって、子供を閉じこめとくにしても、下僕 どもが見張ってくれる安全圏やということやった。
まあ、そんなふうに俺は、妖怪変化に子守されて育った餓鬼 やったということや。認めてしまえば、それがいちばん腑 に落ちる。
俺が餓鬼 のころに一緒に遊んでた遊び仲間が、学校の友達には見えてへんかった。それで俺は嘘つきやて、そやなかったら頭がおかしいて言うて、みんな気持ち悪がったもんや。
見えてても、見えてないふりせなあかんもんが、世の中にはあるて、俺はそういうふうに自分を戒 めた。それができへんかったら、世の中に受け入れてもらえへん。学校で友達もできへんし、まさか初デートした彼女に、肩に見えへんカナリア止まってるでって、言うわけにもいかへん。
せやけど、もしかしたらカナリアは、言うてやったらよかったか。あれはあの子の守護霊なんやで。たぶん昔飼ってたて話してたペットの鳥なんや。そいつが死んでも肩に止まってて、彼女を守ってた。大した助けにはならんやろけど、それでも守ってたんやろ。
そういうのが見える自分を、いっぺん許してしまうと、これまで見えへんお約束やったはずのもんが、不意に見えたりして焦 る。今後まともに生きていかれへんのちゃうかと思えてきて。
疫神 てどんなんやろと空想して、それを絵に描いてると、こいつどっかで見たことあんでと、思い出したらあかん記憶が蘇 ってきて、なんか気が滅入 る。ひとりやったら悶々 としてきたやろ。
それでも、亨の暢気 な鼻歌を聴きながらやと、まあ、こんなんも世間 にはおるやろ、それがどないしてんて思えるから不思議や。
血を吸う化けモンと住んでんねんで。道ばたに疫神 が座ってても、そら、そういうこともあるやろ。大した問題やないって、そんなふうに思えた。
「アキちゃん、飯食うか」
にこにこ顔で、亨がリビングに顔を出した。どうも今回の料理は、うまくいったらしい。
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