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6-2 アキヒコ

 亨はこのところ、和食を作るのに必死になっていた。  それを猫から、習ってるんやて言うてる。  出町柳(でまちやなぎ)の駅におった、ブサイク顔の黒猫を(ひろ)ってきて、飼うてもええかて(たの)むんで、別にええけどと俺は許した。亨はその猫をトミ子と名付けて、ときどき訳のわからんことを話しかけたりしてる。  猫にトミ子て。タマとかクロとか、猫らしい名前がほかにあるやろ。なんでトミ子やねん。  俺はそう思うけど、でも猫はその名前を気に入ったんか、トミ子て呼ばな無視しよる。顔も見れば見るほどブサイクやし、太ってるし、傷だらけやしで、見た目のいいとこ何にもないんやけど、なんでか俺にもなついてて、(ひざ)に乗ってきたりする。  ごろごろ甘えられると可愛い気がして、思わず(なご)むんやけど、そうやって(ひざ)()でてやってたりすると、亨が焼き(もち)焼いてうるさい。しゃあないから隠れて可愛がるんやけど。なんか、猫と浮気してるみたいで変や。  そんな猫と、時々ガチのデスマッチをするので忙しい亨は、それでも前ほど焼き(もち)焼かんようになった。飢えたみたいにガツガツせんようになった。急に恥ずかしなったらしくて、前みたいに、毎晩抱いてくれって(せま)ってきたりせんようになった。  せやから時にはこっちから誘わなあかん。それが俺には途方(とほう)もない試練(しれん)や。  なんで俺が亨を口説(くど)かなあかんのや。そんなんできへん。それは無理。  俺が絵描いてるソファの横に、亨が座ってきた。もちろん近い。(さそ)わへんけど、亨はべたべたしたがるようになってきて、意味なくくっつこうとする。  にこにこ愛想よく、肩をくっつけてくる亨の顔は、(うれ)しそうやった。  血吸いたい言うて、すごい目してた夜には、こいつはこの先ずっとこの目のままなんかと思ったけど、亨はその朝にはもう、いつもの顔に戻ってた。そのほうが、生活に支障ないからええんやけど、俺はちょっと残念やった。あの金色の眼、もういっぺん見てみたい。  けど、亨が言うには、血吸うのはちょっとで腹一杯になるし、腹持ちがええらしい。せやから、時たまでええねんと、亨はもじもじして言っていた。  何が()ずかしいんか俺にはよくわからんのやけど、亨とっては血を吸うのは()ずかしいことらしい。なんでやねんお前、人前でいちゃついたり、どう考えても()ずかしい変態プレイが平気なお前が、なんで血吸うぐらいのことが()ずかしいんや。意味わからへん。  それでも、()じらってもじもじしてる亨はなんや新鮮で、正直ちょっと可愛(かわい)かった。  可愛(かわい)い。  なんでそんなふうに思うんやろ。俺のアホ。お前は変態や。亨は男なんやで。男やのに。俺はいったいどうなってもうたんや。  あの夜から、もともと好きやった亨が、可愛(かわい)くてしゃあないような気がして、俺は内心メロメロやった。言うとくけど、あくまでも内心だけやで。  可愛(かわい)いなって思えて、抱きしめたかった。今も。(となり)でにこにこしてる亨を、抱きしめてキスしたい。いっぱいしたい。  けどな、それやると、ああなって、こうなるやろ。でもまだ昼なんやで。晩飯(ばんめし)ちゃうで。亨は昼飯(ひるめし)作ってたんや。まだ、ものすごく本格的に昼やねん。むしろ午前中や。人によっては朝なんやで。そんな微妙なブランチ時間帯から、お前を抱きたいなんて言われへん。口が()けても無理。  そんな昼間っからムラムラしてる自分が(なさ)けななってきて、俺は(にが)い、悲哀に満ちた表情やったらしい。亨が目をぱちくりさせていた。 「どないしたん、アキちゃん。暗い顔して。悩み事でもあんのか」 「悩み事なんかない。お前こそ、なんでそんなにこにこしてるんや」  悲哀に満ちたまま、俺は(かたむ)いて(たず)ねた。もちろん亨から離れるためや。それと、絵を描くため。くっつかれると描きにくい。 「なんでって。(うれ)しいねん。アキちゃんずっと家におるし」 「俺は頭おかしなりそうや。何日も家に閉じこめられて」  ひたすら妖怪の絵描いて。お前が、アキちゃん抱いてほしいて言うてくるのを、ただ待ってるような感じなのは。  学校行って、作業進めたい。展示会にはもう間に合わへんのちゃうかという気がしたし、間に合っても、いわくつきの連中が作ったモンなんか使えへんて向こうが断ってくるかもしれへん。  けど、それでも作りかけたもんは完成させへんと気のすまん性分(しょうぶん)なんや、俺は。完成させてやらんと、絵が可哀想(かわいそう)な気がして。  死んだ由香(ゆか)ちゃんも無念やったんちゃうかという気がするし。それに、勝呂(すぐろ)にも悪いやろ。  あいつはほんまに、頑張(がんば)っていた。朝早く来て、夜遅くまでいて、週末も休まんと、ずっと作業してたで。せやから俺も先輩として、それを放っといて自分だけ帰ろうっていう気がしなくて、何となく付き合ってたんやけど。  あいつが作る動く絵が、面白かったのもあったかもしれへん。  今までパソコンで絵描くっていうても、3D(スリーディー)はやったことなかった。電子的な紙ペラ一枚に描くだけしかやったことない。  勝呂(すぐろ)は立体物を構築して、それを動かす分野のやつで、モデリングしたのに俺の絵を()り付けて、画面の中で動き回らせた。それが単純に、俺には面白かったんや。  ハマったっていうのかなあ。まあ、とにかく、新鮮やってん。  にこにこしてる亨の顔が、幸せそうなんを見て、俺は複雑な気分になった。  新鮮て、何が。何が新鮮やったんやろ。  亨は勝呂(すぐろ)があんな奴やったんを見て、ものすごく怒っていた。焼き(もち)焼いてたらしい。なんで()く必要があるんやって、俺は思ったけど、でもちょっと、怖くもあった。  アキちゃん面食いやのに、あいつの顔見て何も思わへんかったんかと、亨はすごい剣幕(けんまく)やった。  何も、って。何を思うんや。綺麗(きれい)やなと思ったけど。でも、それだけやで。それだけ。  綺麗(きれい)やなと思って、つい顔をじっと見ると、勝呂(すぐろ)はいつも真顔(まがお)で、じっと俺を見た。そして、先輩、俺の顔、綺麗(きれい)でしょ。けっこう好きでしょ。(さわ)っても、ええんですよ、と言った。  何言うとんねんお前はと、俺は(あき)れてたけど、たぶんほんまは(あせ)ってたんやないか。なんでこいつは俺に、そんなこと言うんやろ。変やないかと思って。  そんなん変やろ。普通、そんなことせえへんで。  由香(ゆか)ちゃんいてくれて、良かったわって、時々そう思った。

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