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6-4 アキヒコ

 (わけ)わからんか。そうか。そうやろな。お前みたいに、なんの(はじ)も感じんと、やりたい抱いてて言えるやつには。  俺はな、()ずかしいんや。お前とやりたい言うのが、死ぬほど()ずかしい。  せやからお前が誘え。今までずっとそうやったやろ。  なんで急に、ちょっと血吸ったくらいで、(さと)りをひらいたんや。お前の無限の煩悩(ぼんのう)はどこへ消えたんや。俺だけエロエロ地獄においてけぼりか。  まさに鬼や。鬼の所行(しょぎょう)や。 「やらへんの?」  全然欲情してない顔で、亨はけろりと()いた。 「やらへん」 「なんで怒ってんの。やるの面倒くさいんやったら、()めたろか。絵描きたいんやろ?」  描きながらお前に食われろいうんか。どこまで変態やねん俺は。その想像だけで俺は泣きそうやった。 「やめてくれ。そんなんせんでええねん。おかしいんや、俺は最近ちょっと。前はそうでもなかったのに、なんか今さらアレやねん……」  ちょうどいい言葉が見あたらんで、俺は眉間(みけん)(しわ)寄せて口ごもった。しばらく続きを待ってた亨が、俺が黙ってるのを見つめて、ちょっとしてから話を()いだ。 「色狂(いろぐる)い?」  真顔で言われて、俺はぱくぱくした。 「そ……そこまでやないで」 「そうなんか。ほな好色(こうしょく)ぐらいか」  亨は別に悪気はないみたいやった。俺はますます、青い顔でぱくぱくした。  それは何となく否定でけへんレベルの適語に思えた。俺って実は、好色(こうしょく)なんちゃうの。 「普通やで、それは。アキちゃん。俺が欲しいんやろ。みんなそうなるんや。俺の飲んだやろ。混ざってきてんねんて。それに俺の(とりこ)になりかけ中」  亨は気まずそうに、俺の目を見てそう言った。俺はますます愕然(がくぜん)としてきた。 「な……なんやて。そんなん聞いてへんぞ」  俺は(あわ)てて()いた。 「お前並にエロエロになるなんて聞いてへん。それにお前……の、飲ませてたんか。誰にでも」  俺がワナワナ来ながら()くと、亨はまずいなあというように、自分の顔を両手で(おお)って、目を()んだ。 「いや。誰にでもっていうか……誰にでもやないよ。役に立つやつだけやで」 「俺はお前の役に立つやつか」  そう言われて、俺は猛烈(もうれつ)にムカっときた。やっぱりそうやったんかお前も、っていう気がした。  俺はな、お前にそれだけは言われたくなかったわ。今までの半年、繰り返し恐れてきた話やったわ。それをこんな話のついでで、けろっと言いやがって。  中学んときに告られて初めて付き合った女もな、友達から本間(ほんま)くん変な子やで、あんな男のどこがええのんって言われて、えっ、うち別に本気やないんよ、だって本間(ほんま)くん役に立つやんて言うてた。俺は運良くか悪くか、それをもろに聞いてもうたんや。  俺はな、頭ええから宿題写させてくれるし、それに金持ちの(ぼん)やから、キープしといたらええことありそうな男なんやて。そんな女な、一瞬で()ったわ。友達にからかわれて()ずかしかったんやって後で泣きつかれたけどな、もう知るか。めちゃめちゃ()めたわ。  せやから亨にも()めるかと思ったけど、全然やった。全然()めへん。ただ痛いだけ。お前は俺のこと好きやったんちゃうんかって、ただもうひたすら激痛。 「なんで怒ってんの、アキちゃん。怒らんといて」  (あわ)れっぽい声出して、亨が泣きついてきた。怒るな言うほうが無理やで。それでも、こいつが怒らんといてくれて言うんやからと思って、俺は必死に我慢(がまん)してた。 「アキちゃんは、好きやからやで。でも俺は、そういうモンらしいねん。血とかアレとか飲むと、ものすごい力付くらしいわ。ただ抱くだけでも運が向いてくるらしいわ。せやから、その……まあ、ええか」  俺の顔色を見て、亨は青くなって押し黙った。俺はよっぽど怖い顔してるらしかった。 「とにかくな、あんまり飲んだらあかんねん。力付くだけならええねんけど、強すぎて、化けモンみたいになってくんで。しかも俺の下僕(げぼく)やで。そんなん嫌やろ、アキちゃん」  俺の手を(にぎ)ってきて、亨は切々(せつせつ)(うった)えた。 「嫌やけど……。そんならなんで、もっと本気で止めへんかったんや。お前、ほんまは、そうなりゃええのにと思ってんのやろ。そのほうが、都合ええんやろ。俺に焼き(もち)焼かれてうるさいもんな。他の下僕(げぼく)とも付き合うてやらなあかんのやもんな」  話の(いきお)いで、俺は日頃思ってたことを口走ってもうたらしい。なんでそんなこと言うたんやろと、後には思うけど、その時は(くや)しかったんや。  現実を直視したくなかった。亨は結局、俺ひとりのもんにはならへん。きっとそうなんや。俺の見てへんところで、他のとも何やかんやある。俺が亨に(かく)れて、猫()でてるみたいに。  どっちもどっちや。自分が後ろ暗いから、そういうふうに思えたんやろ。亨は俺だけが好きなわけやない。そう思ってたほうが無難(ぶなん)や。いざという時に、死ぬほど痛い目に()わされへんように、用心しとかなあかん、て。 「他のって……アキちゃん。まだそんなこと思ってたんか」  亨はそれがショックやったみたいやで。そういう顔してた。 「俺、アキちゃんと会うてからは、他の誰ともしてへんで。ほんまやで。信じて」 「別に、したかったらしたらええやん。お前はもう、俺とは対等なんやろ。一方的に支配されてるだけやなくて、俺のご主人様なんやろ。好きにすりゃええやん」 「……俺がアキちゃんの(しき)やから、他のとせえへんのやと思ってたんか」  亨は真っ青な顔で呆然(ぼうぜん)としてた。どことなく、ぼんやり()かれ、俺は顔をしかめた。 「そうや。俺が(たの)んだからやろ」 「違うで、それは。他のなんか、欲しないもん。アキちゃんがいれば、それでええんやで。ほんまにそうやで」  亨はかすかに、震えてるみたいやった。さっきまで幸せそうやったのに、可哀想(かわいそう)やなって、俺は何となく他人事みたいに思った。  そしてだんだん、深く沈んできた。もともと沈んでた、自己嫌悪に。  もう底の底やて思ってたけど、地獄の底にも井戸は掘れるんやって、そういう感じやな。 「そうか。ごめんな。知らんかったわ……」 「知っといて……ほんまに……知らんで済まんことってあるで」  ふるふる震えながら真面目に言ってる亨の青い顔に、俺は小声で、そうやなと言って(うなず)いた。 「アキちゃん、なんでそんなふうに思うてたんや。俺、アキちゃんのこと好きやって、ずっと言うてたやん。毎日言ってたで。信じてなかったんか」 「信じてなかったわけやないけど……わからへんねん。お前がなんで、俺が好きなのか」 「理由なんか、要るもんなん? そんなん俺もわからへんよ。わからへんけど……アキちゃんが、俺のこと愛してくれてるからやないか。俺が何者でも、愛してるって、そう思ってくれてるんやろ?」  違うんか、って、亨は震えながら()いてきた。  違わへんよ。俺はそう答えたけど、ものすごい重いため息ついてたわ。

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