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6-5 アキヒコ
なんで俺は、こいつを虐 めてるんやろ。そんなつもりないけど、なんか虐 めてるみたいな気がする。それに俺はすごく萎 えてきた。フラフラんなってきた。
家から出たい。とにかく。もう何日出てないねん。気詰まりで、頭おかしなる。
そう思って押し黙ってると、猫がにゃあと泣いて、足にすり寄ってきた。いつのまに来たんや、ブサイクのトミ子。
猫はひらりとソファに飛び乗り、俺の膝 に乗った。亨はどえらい暗い目で、それを見下ろしていたけど、いつものように、アキちゃんに慣れ慣れしくすんな、あっちいけとは怒らなかった。
猫が腹に頭を擦 り寄せてくるんで、俺はそれを撫 でた。毛並みの良くなってきた黒くて艶 のある背を撫 でてやると、猫は気持ちよさそうに背をそらし、ごろごろ喉 を鳴らした。
俺のどん底気分をよそに、猫はくつろいだもんやった。それに俺は、癒 された。そしてそれが、何となく後ろめたかった。亨がじっと、恨 めしそうに見てたんで。
「なんやねんトミ子……喧嘩 もしたらあかんのか。俺のせいやないで。アキちゃんがな、やせ我慢 のあげくの欲求不満でイライラしててな、変なことばっか言うからやで」
猫はぐちぐち言う亨に返事するみたいに、にゃおんと鳴いて、俺の膝 で丸くなった。そうやって甘えてくる姿は、超ブサイクでも可愛い。俺が守ったらなって思う。俺はそういうのに弱い。
それに猫好きやねん。おかんが、猫は深情けやから、下手に飼うたらあかんえて言うて、許してくれへんかったから、飼うたことはないけど、道ばたにいる野良猫とはよく戯 れてたで。猫もよく懐 いてくれて、ときどき食われるか思うぐらい集 られたわ。
「甘やかしすぎなんとちゃうんか。お前も、おかんも。アキちゃんを。そんなんやから、強い子になられへんのやで」
恨 みがましく、亨は猫に言った。それには猫は、知らん顔してた。そりゃそうやわな、猫やから。話しかけても答えたりせえへんわ。
「まあ、そうやろな。俺は弱い男やで。お前を守ってやりたいんやけど、そんな力無いしな」
「卑屈 やで、アキちゃん。そんな卑屈 なやつやったんか」
亨は驚 いたように言ってた。
「そうやで。俺はもともとこんな奴やねん。お前が知らんかっただけちゃうか」
それが結論かと思って、俺はがっくりした。
俺がお前を愛してるから、お前は俺を愛してんのか。ていうことは、俺のモチベーションしだいか。俺が萎 えたら、お前も萎 えんのか。なんかこう。しんどい話やで。
そう思ってくよくよしてたら、唐突 に電話が鳴った。携帯電話やった。
液晶に浮き出た発信者の名前を見て、俺は一瞬固まった。
勝呂端希 と表示されていた。
制作チームを組んだ時に、相互の連絡用にということで、番号は伝えてあった。こっちの電話帳にも、あいつと由香ちゃんの電話番号とメールアドレスが登録されてる。
でも、意味のない電話してくんのも、意味のないメール打ってくんのも、由香ちゃんだけで、勝呂が電話してきたのは初めてやった。何しろ毎日顔付き合わせて制作してたんやから、わざわざ連絡せんでも、直に言えば済む話ばっかりやった。
けど、この一週間、顔見てへん。例の、表現の自由を主張するストーカーたちからの被害による、自宅学習のせいで。
何か連絡したいんやろ。
そう思ったけど、なんでか俺は電話に出るかどうか、何コールか迷った。
そして結局、電話に出た。隣の部屋に行こうかと、ちらっと思ったけど、そんなの変やろと思って、ソファに座ったまま、むすっと拗 ねたようなまま、また体をくっつけてきた亨を隣に、ごろごろ気持ち良さそうなブサイク猫を膝 に抱いてた。
「もしもし、どうしたんや。何かあったんか」
電話の向こうは、騒々 しかった。屋外から電話してきてるような音やった。
『先輩、今日は暇 ですか』
唐突 に愛想 もなく、勝呂 は訊 いてきた。
その声は電話から割とはっきり漏 れていた。俺に体をもたれさせていた亨が、ふと身を固くするのがわかった。そして、耳を澄ますのが。
亨は地獄耳やった。かすかな音でも、聞こうと思えば、よく聞こえるらしい。せやから隠そうなんて思うだけ無駄や。
「暇 と言えば暇 やけど、なんでや」
『俺のツレが京都駅でライブやるっていうんで、来たんです。それはもう終わったんやけど、家で作ったデータ持ってきたんで、よかったら京都駅まで来て、見てもらえませんか。がんばれば間に合うと思うんです。苑 センセ、なんて言うてはりました? もう使ってもらわれへんのかな、俺らの作ったやつ』
勝呂 は歯切れ良く響く声で、ぺらぺら話した。それが熱心なようで、俺は困った。
「教授はなんも言うてへん。無理なんちゃうかな。それで言いにくうなって、オロオロしてんのやろ、どうせ。あの人のことやからな」
『まあ、そんなとこやろけど』
笑ってるらしい声で、勝呂 は同意した。
『先輩はどうなんですか。もう、どうでもええんですか。俺らと作った作品のことなんて』
どうでもええかって、どうでも良くはないよ。
なんとなく、脅迫 めいて響く勝呂 の質問に、俺はそう答えようと思ったけど、なんとなく押し黙った。
ハメられてるような気がする。あいつの作戦に。とにかく出かけてこいって、そういう強引さやで。
「行ってもええけどな。でも、うちのマンションには、カメラ構えたストーカーが張り付いてんねんで」
『そんなん、何でもないですよ。撮らせたったらええやないですか。先輩、男前なんやし。雑誌もさぞかしよう売れますわ。社会貢献 やと思って』
冗談なんか、勝呂 はけらけら笑いながら、そう言った。なんでかそれに、亨がむっと、眉間 に皺 を寄せた。
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