33 / 103

6-5 アキヒコ

 なんで俺は、こいつを(いじ)めてるんやろ。そんなつもりないけど、なんか(いじ)めてるみたいな気がする。それに俺はすごく()えてきた。フラフラんなってきた。  家から出たい。とにかく。もう何日出てないねん。気詰まりで、頭おかしなる。  そう思って押し黙ってると、猫がにゃあと泣いて、足にすり寄ってきた。いつのまに来たんや、ブサイクのトミ子。  猫はひらりとソファに飛び乗り、俺の(ひざ)に乗った。亨はどえらい暗い目で、それを見下ろしていたけど、いつものように、アキちゃんに慣れ慣れしくすんな、あっちいけとは怒らなかった。  猫が腹に頭を()り寄せてくるんで、俺はそれを()でた。毛並みの良くなってきた黒くて(つや)のある背を()でてやると、猫は気持ちよさそうに背をそらし、ごろごろ(のど)を鳴らした。  俺のどん底気分をよそに、猫はくつろいだもんやった。それに俺は、(いや)された。そしてそれが、何となく後ろめたかった。亨がじっと、(うら)めしそうに見てたんで。 「なんやねんトミ子……喧嘩(けんか)もしたらあかんのか。俺のせいやないで。アキちゃんがな、やせ我慢(がまん)のあげくの欲求不満でイライラしててな、変なことばっか言うからやで」  猫はぐちぐち言う亨に返事するみたいに、にゃおんと鳴いて、俺の(ひざ)で丸くなった。そうやって甘えてくる姿は、超ブサイクでも可愛い。俺が守ったらなって思う。俺はそういうのに弱い。  それに猫好きやねん。おかんが、猫は深情けやから、下手に飼うたらあかんえて言うて、許してくれへんかったから、飼うたことはないけど、道ばたにいる野良猫とはよく(たわむ)れてたで。猫もよく(なつ)いてくれて、ときどき食われるか思うぐらい(たか)られたわ。 「甘やかしすぎなんとちゃうんか。お前も、おかんも。アキちゃんを。そんなんやから、強い子になられへんのやで」  (うら)みがましく、亨は猫に言った。それには猫は、知らん顔してた。そりゃそうやわな、猫やから。話しかけても答えたりせえへんわ。 「まあ、そうやろな。俺は弱い男やで。お前を守ってやりたいんやけど、そんな力無いしな」 「卑屈(ひくつ)やで、アキちゃん。そんな卑屈(ひくつ)なやつやったんか」  亨は(おどろ)いたように言ってた。 「そうやで。俺はもともとこんな奴やねん。お前が知らんかっただけちゃうか」  それが結論かと思って、俺はがっくりした。  俺がお前を愛してるから、お前は俺を愛してんのか。ていうことは、俺のモチベーションしだいか。俺が()えたら、お前も()えんのか。なんかこう。しんどい話やで。  そう思ってくよくよしてたら、唐突(とうとつ)に電話が鳴った。携帯電話やった。  液晶に浮き出た発信者の名前を見て、俺は一瞬固まった。  勝呂端希(すぐろみずき)と表示されていた。  制作チームを組んだ時に、相互の連絡用にということで、番号は伝えてあった。こっちの電話帳にも、あいつと由香ちゃんの電話番号とメールアドレスが登録されてる。  でも、意味のない電話してくんのも、意味のないメール打ってくんのも、由香ちゃんだけで、勝呂が電話してきたのは初めてやった。何しろ毎日顔付き合わせて制作してたんやから、わざわざ連絡せんでも、直に言えば済む話ばっかりやった。  けど、この一週間、顔見てへん。例の、表現の自由を主張するストーカーたちからの被害による、自宅学習のせいで。  何か連絡したいんやろ。  そう思ったけど、なんでか俺は電話に出るかどうか、何コールか迷った。  そして結局、電話に出た。隣の部屋に行こうかと、ちらっと思ったけど、そんなの変やろと思って、ソファに座ったまま、むすっと()ねたようなまま、また体をくっつけてきた亨を隣に、ごろごろ気持ち良さそうなブサイク猫を(ひざ)に抱いてた。 「もしもし、どうしたんや。何かあったんか」  電話の向こうは、騒々(そうぞう)しかった。屋外から電話してきてるような音やった。 『先輩、今日は(ひま)ですか』  唐突(とうとつ)愛想(あいそう)もなく、勝呂(すぐろ)()いてきた。  その声は電話から割とはっきり()れていた。俺に体をもたれさせていた亨が、ふと身を固くするのがわかった。そして、耳を澄ますのが。  亨は地獄耳やった。かすかな音でも、聞こうと思えば、よく聞こえるらしい。せやから隠そうなんて思うだけ無駄や。 「(ひま)と言えば(ひま)やけど、なんでや」 『俺のツレが京都駅でライブやるっていうんで、来たんです。それはもう終わったんやけど、家で作ったデータ持ってきたんで、よかったら京都駅まで来て、見てもらえませんか。がんばれば間に合うと思うんです。(その)センセ、なんて言うてはりました? もう使ってもらわれへんのかな、俺らの作ったやつ』  勝呂(すぐろ)は歯切れ良く響く声で、ぺらぺら話した。それが熱心なようで、俺は困った。 「教授はなんも言うてへん。無理なんちゃうかな。それで言いにくうなって、オロオロしてんのやろ、どうせ。あの人のことやからな」 『まあ、そんなとこやろけど』  笑ってるらしい声で、勝呂(すぐろ)は同意した。 『先輩はどうなんですか。もう、どうでもええんですか。俺らと作った作品のことなんて』  どうでもええかって、どうでも良くはないよ。  なんとなく、脅迫(きょうはく)めいて響く勝呂(すぐろ)の質問に、俺はそう答えようと思ったけど、なんとなく押し黙った。  ハメられてるような気がする。あいつの作戦に。とにかく出かけてこいって、そういう強引さやで。 「行ってもええけどな。でも、うちのマンションには、カメラ構えたストーカーが張り付いてんねんで」 『そんなん、何でもないですよ。撮らせたったらええやないですか。先輩、男前なんやし。雑誌もさぞかしよう売れますわ。社会貢献(こうけん)やと思って』  冗談なんか、勝呂(すぐろ)はけらけら笑いながら、そう言った。なんでかそれに、亨がむっと、眉間(みけん)(しわ)を寄せた。

ともだちにシェアしよう!