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6-6 アキヒコ
『それに俺の勘 やけど、先輩。ストーカーは今は留守 ですよ。また死体が出たんやって。そっちに行ってるんとちゃいますか。せやから、出かけるんやったら、今がチャンス』
「行ったらあかんで、アキちゃん」
携帯持ってる手をぐいっと引いて、亨は俺に返事させへんかった。
まだ妬 いてんのかと思って、亨の顔を見たら、そういうふうでなく、亨は真剣そのものやった。
「死人が出たいうことは、人食うてきたばっかりなんやで。力つけてる。行ったらあかん」
「なんの話やねん、亨」
「あいつが犬やねん」
ものすごい葛藤 があるような、力のない口調で、亨は俺に教えてきた。言いたいけど、なんかに邪魔されてて言われへんというような、苦しそうな顔を、亨はしてた。
「アキちゃん、行ったら嫌 や。行かんといて」
「心配すんなて言うてるやん。お前ちょっと、しつこいで」
俺はイライラしてきて、ひそめた小声で、亨を叱 りつけた。それに亨は、すごく困った顔をした。
「どうしても行くんやったら、俺もつれていって」
なんやねんそれ。見張ろうみたいな話か。別にええよ、見張りたいなら見張っても。絵の話しにいくだけなんやから。
それに俺は、外に出たい。家の外に。その口実ができて、内心すごく乗り気やった。家から出られるんやったら、行き先なんかどこでも良かった。
「俺のツレも一緒やけど、それでもええか」
携帯を握った自分の腕を亨から取り返して、俺は黙って待ってたらしい勝呂 に訊 ねた。
『いいですよ、それで。ほんまは嫌 やけど』
皮肉 たっぷりの笑い声で、勝呂 は答えてきた。それに何て答えるか、俺は迷って、結局何もコメントしなかった。
「車で行くし、三十分ちょいかな。どこにおるんや、お前」
『大階段 のどこかにいてますわ。探してください』
ほな待ってますんで。そう結んで、勝呂 は電話を切った。
大階段 ていうのは、京都駅の駅ビルにある、一階から屋上十一階までぶっ通しの、ものすごい大斜面 みたいな階段や。なんでこんなもんあるやという謎なもんが多い京都駅の名物の一つで、定期的に、その大階段を上まで駆けあがるレースまで開催されてる。普段は、カップルやら暇 なやつらが座ってだらだらする場所や。
ただし、夏暑く、冬寒い。建物の中のようやけど、京都駅はでっかい風洞 みたいな設計になってて、大階段は実は屋外やねん。せやから京都の厳しい寒暖をまともに受ける環境なんやけど、それでも人が吹きだまる。なんかあるんかな、あそこには。
「行くんか、アキちゃん。飯どうすんの。せっかく作ったのに」
「置いといて晩食えばええよ。お前も来るんやろ。勝呂 と三人で駅で食おう」
亨はものすごく嫌 そうな顔やった。嫌 なんやろな、たぶん。
嫌 なんやったら、来んかったらええやんて思ったけど、言ったらえらいことになりそうな予感がしたんで、言わなかった。
立ち上がろうとすると、膝 にいた猫が、にゃおんと名残惜 しそうに鳴いた。
「ごめんな、トミ子。お前も連れてってやりたいけど、居 るとこないからな。留守番 しといてくれ」
赤い首輪をした猫の首を撫 でて、俺が詫 び入れてると、亨がソファでうなだれて、くっ、と、悔 しそうに呻 いた。
「そんなん俺が留守番 してた時にはいっぺんも言うてくれへんかった」
亨は本気で悔 しいらしかった。俺は内心ちょっと引いた。
「そらそうやろ……猫可愛がりってやつやで。お前は一応人型やろ。そんなん言うてたら気持ち悪いやん」
「俺は気持ちええけどな。猫型やったら言うてくれるんか」
「猫型て……ドラえもんか、お前は」
俺が思わずつっこむと、亨はよっぽど悲しかったんか、めそめそ言うてた。
それでも、置いてかれるんが嫌 やったんか、車で出かける俺におとなしくついてきた。
家出たとたんにストロボ攻撃かと思って、内心身構えてたけど、勝呂 の勘 が当たったんか、ガレージからの出口には、ストーカーはおらへんかった。エントランスのほうにいたんかもしれへんけど、とにかく車は何事もなく街に出た。
俺はそれに、ものすごく清々 した。
閉じこめられんのはな、もう沢山やねん。
悪い子やから蔵 に居 り、とかな、京都から出るなとか、そんなんばっかりなんやで、俺の一生は。ほんまにもう、放っといてほしいねん。俺ももう大人なんやから。
そう思って、多少気分も上向きになりつつ運転してたら、亨の電話が鳴った。コンチキチンと、いかにもな祇園囃子 の着メロが鳴って、俺はがっくり来た。
それは亨が、おかんからの電話に割り当ててる専用の音やった。亨が前にふざけて色んな着メロ入れてんの見たわ。でも、鳴ってるのは初めて聞いた。
おかんや、なんやろ言うて、亨は携帯を引っ張りだし、電話に出た。
「もしもし。え、なに? 出かけてるよ。出かけたらあかんのかい。家に居 らんでも俺の勝手やんか。アキちゃんも一緒や。一人でほっといたりせえへんよ。一緒です」
伏 し目になって、うるさそうに亨は答えていた。電話の向こうで、おかんが何て言うてんのか、俺には聞こえへんかった。それでも何か、むっとした。
おかんはこいつを、俺の監視役に使ってるんやないやろか。何かそういう雰囲気したで。俺の式 や言うて、お前はほんまは、おかんに仕 えてるんとちがうか。
「京都駅行くねん。大丈夫やないよ。超ヤバやで、おかん。ワンワンとデートやで。俺はお邪魔虫 らしいで。ほんまにもう泣きそうなんやで。知らんてそんな。愚痴 ぐらい聞いてえな」
くよくよ情けないような口調で、亨は俺なんかいないみたいに、おかんと話してた。
「えっ。なに。マジで? やったー! 電話してきたんか、守屋 のおっさん! うんうん、待ってた、めちゃめちゃ待ってたで」
亨は突然、上機嫌になって、俺の耳に電話をぐいぐい押しつけてきた。危ないやんか、やめろ。運転中に電話したらあかんのやで。
「アキちゃん、お仕事どすえ。守屋 刑事、とうとう泣きついてきたらしいわ。じゃんじゃん人死ぬ、犯人見つからん言うて、おかんに電話してきたらしい」
せやから、おかんと話せと俺を説得する口調で、亨は言った。お前、おかんの口まねすんの、やめろ。
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