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6-7 アキヒコ
もしもし、アキちゃんか、これもう切れてんのやろかと、電話がおかんの声で話した。横で舞 ちゃんが、奥様そんなことおへんえ、ちゃんと繋 がってますえと、励 ましているような声がした。
『アキちゃん、刑事さんがな、人食い犬なんとかしてくれ言わはって、お祓 い依頼してきはったんや。うちがやってもええのやけど、せっかくの機会やからな、あんたがやったらどうやろか。縁 のある事件なんやし』
おかんも諭 す口調で、俺に話してきた。なんやねん、みんなして説得口調か。
縁 がある言われたら、確かに縁 はある。由香 ちゃんの仇 やし、俺もそいつのせいで、一部報道ではもろに殺人鬼呼ばわりされてんのや。それに、すでに何人も殺してるやつやで。放っとかれへん。
「せやけどな、おかん。その犬はどこにおんねん。ほんまもんの犬と違うんか。俺は野良犬退治のノウハウなんか知らんで」
『犬はもう見つけてあるて、亨ちゃん言うてましたえ』
おかんに言われて、俺は顔をしかめた。亨はおかんにまで、そんな話してたんか。
勝呂 が犬やって。
そんなん、とんだ妄想やで。あいつはれっきとした人間やろ。
大学に在籍 してて、大阪の実家から通うてんねんで。親もおんねん。作業が詰まってきて遅くなるときには、おかん晩飯 いらんでって、わざわざ電話しとったわ。それも全部、偽装 やっていうんか。
「勝呂 は違うと俺は思うで、おかん。なにを根拠にそんなこと言うんや。亨はな、焼き餅 焼いとんねん」
俺は気まずく照 れながら、おかんにその話をした。なんで親にこんな話せなあかんねん。
『そら仕方あらしまへん。式 は焼き餅 焼くもんどす。みんな自分を使うてもらいたいんやから。せやけど嘘はつきまへんえ。あんたがしっかり捕 まえてるんやったらやけど』
挑戦的に言われ、俺は正直むっとした。そんなん、どうやったらわかるねん。俺がこいつを捕 まえてるかどうか。
『亨ちゃんに見えるもんが、あんたには見えへんのか。まだ目も開かへんような赤ちゃんなんやろか。秋津の跡取 りが二十一にもなって、そんなことでは困るえ』
畜生、またそれを言うか。俺は跡取 るやなんて言うてへんで。一人息子やから、自動的に跡取 らされるのか。今さらそんなん言うんやったら、もっと早期に俺にしかるべき教育をほどこしといてくれ。この激しい手遅れ感を、どないせえいうんや。
「とにかく、もう切るで。運転中やねん」
『行くんやったら行ったらよろしおす。せやけど亨ちゃんを傍 から離したらあきまへんえ』
亨が耳に押しつけてた携帯を振り払う間際 に、そんなこと言うてるおかんの声が聞こえてた。
勘弁 してくれ。亨は俺の子守妖怪とちゃうねんで。こいつに守ってもらえみたいな、情けない話せんといてくれ。
「俺を傍 から離したらあかんのやって。おかん、ええこと言うてたなあ」
亨が電話を切りながら、しみじみとそう言うた。
「お前、いつからおかんとグルやねん……」
「グルやない。利害が一致してるだけや」
亨はしれっと答えた。どういう利害や。訊 きたいけど、聞くのは怖い。なんやそんな気がして、俺は黙ってた。
車もちょうど、京都駅に着くところやった。
白い、でっかい和ローソクみたいな京都タワーが、見上げる近さで現れる。京都駅の駅ビルは、その麓 にある、異様に横長の、暗い灰色をした建物や。
その中に、JRの駅と、伊勢丹 デパートと、ホテルが格納 されてる。
新幹線に、関西空港に行く特急に、日本海側まで走る特急、奈良や神戸、滋賀に行く在来の路線が、ずらりと並ぶ長大なプラットホームに乗り入れ、もちろんここから大阪へも行ける。遠くへ行く駅や。そういうイメージがある。
地元、京都の人間には、繁華街 といえば四条河原町 で、京都駅はそこから遠い。大阪行くにも、電車なら河原町 から阪急か京阪。そのほうが便利やし、京都駅は観光客が来るところ。そういう感じがして、俺は滅多 に来ない。
この、いかにも、おいでやす京都って感じのする、京都タワーが嫌いなんや、俺は。
いや、ほんま言うたら、新幹線が嫌いや。
昔、小学生んときに、修学旅行で乗る新幹線を原因不明の機関トラブルで止めて以来、この駅は俺の鬼門 なんや。トラウマやねん。
それでも用事あったりして来ることはあるけどな、毎度、ろくなことないで。相性悪いんや。
でもそれは、もしかすると、おかんのせいやないかという気が、俺にはしていた。俺が京都から脱走せんように、おかんが俺をこの駅から遠ざけてる。そういう読みや。
せやけど今回は亨も居 るし、何ともないやろ。今まで私鉄やら車やらで行く限り、亨が一緒やったら何事もなかった。あっけないほどやったで。それに今回は電車乗るわけやない。ここが目的地なんやしな。
俺は駅ビルのはす向かいにある駐車場に車を停めて、いかにも渋々 な亨を引き連れ、勝呂 と約束した待ち合わせ場所の大階段に向かった。駅ビルの巨大な風洞 を吹き抜ける風は、夏の熱風やった。
勝呂 は、探さへんでも、割とすぐに見つかった。
大階段 にはその日も、暇 そうにいちゃつくカップルやら、何人かの友達どうしらしい群 れが座っていたけど、ひとりで座ってるのは勝呂 だけやった。遠目 にも分かる見た目の良さで、勝呂 はぽつんと遠巻 きにされて、ビルの最上階まで続く階段の、かなり上のほうにいた。
何もそこまで歩いて上がる必要はない。隣 にエスカレーターがあるねん。
幾 つもそれを乗り継いで、俺と亨は勝呂 がぼけっと座ってるところまで行った。
勝呂 は自分の膝 の上に、ノートパソコンを開いてた。どうもまだ何か、作業してたらしかった。
熱心というか、こいつは一種のオタクなんやで。紙に絵描いてるところを見たことない。美大の入試に通ったんやから、普通の絵もちゃんと描けるんやろけど、勝呂 には紙と鉛筆よりは、パソコンでモデリングするほうがラクらしいねん。それが俺には、つくづく不思議やった。
「勝呂 、来たで」
気づいてへんようやったんで、俺は座ってる勝呂 の隣 に立って、頭の上から声をかけた。勝呂はびくっとして、俺を見上げた。
「何や、先輩か。すみません、ぼけっとしてました」
パソコンを閉じて立ち上がる勝呂 の顔色は悪かった。暑いせいか、額 にじっとり汗かいて、そこに明るい色の長めの髪がはりついていた。
暑いんやったら、クーラー効いてるところで待ってりゃええのにと言うと、勝呂 は、いや暑くはないです、寒いんですと答えた。風邪でもひいたんか、寒気がするって。
「さっさと帰ったほうがええんとちゃうか」
「いや、平気です。せっかく来てもらったんで。屋上行ってもいいですか。ここ、人多いし」
長い睫毛 の重そうな目で、勝呂 はちらりと亨のほうを見た。
「しばらく、遠慮 してもらえませんか。気が散るんで」
お前は去れというのがあからさまな勝呂 の口調に、亨はむっとしていた。
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