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7-1 トオル

 とにかく俺は朦朧(もうろう)としてた。  寒いのと痛いのと苦しいのとで、細かい事はあんまり憶えてへん。  あいつに殺られかけたんは憶えてる。勝呂瑞希(すぐろみずき)や。あの犬畜生。とうとう正体あらわしやがって、汚らしい犬っころの分際で、俺のアキちゃん食おうとしよった。  骨の(ずい)まで疫病(えや)みに食われてもうて、並みの人間食らうくらいやと()たん、アキちゃん食いたいて思うたに違いないわ。  俺は初め、そうなんやと思ってた。  でも違うみたいやったで。あいつはどうも、本気でアキちゃんに()れとるわ。心中(しんじゅう)しようと思ったんや。()みついて病気うつして。  いや、それもほんまは違うんかもしれへん。ただ、キスしてもらいたかっただけなんかもしれへん。自分がもうすぐ死ぬって分かって、どうしてもそれが心残りやったんやろ。  分かるわ。その気分。俺も今回は若干死にかけた。あいつには、ほんまに散々やられたで。  俺、ヤバいんちゃうか。実はこれ、マジで死ぬんやないやろかという予感がして、怖くて震えてくると、それでどうなるかなんて事は全然頭になくなって、キスしてくれってアキちゃんに(たの)んでた。  怖くて(さび)しいねん。アキちゃんに抱かれてたい。  死ぬんやったら、それはしゃあない。でも怖いし、悲しいから、俺が死ぬまで抱いといてほしい。死ななあかんのやったら、アキちゃんの腕ん中で死にたい。  それはずいぶん贅沢(ぜいたく)やけど、()れた身の本音のところやろう。  あいつもそうやったんちゃうか。あの犬も、もう死ぬて思えて、怖かったんやろ。アキちゃんに、身も世もなく泣きついとったで。抱いてくれ言うて。俺も愛してくれて言うて。  俺にはあいつが演じるお涙頂戴(ちょうだい)愁嘆場(しゅうたんば)が、全部聞こえてた。アキちゃんの声もや。聞こうと思えば俺は地獄耳(じごくみみ)なんやで。  ご主人様のお言いつけどおり、コーヒー買いにパシらされながら、ぷんぷん怒って階段降りつつ、それでもどうにも心配でたまらんで、ずっと聞き耳立ててたわ。  アキちゃんが俺を、好きやって言うた。  そんなこと、他の誰にもたぶん今まで言うたことない。アキちゃんにとって、それは(はじ)なんや。  せやのに言うたで、あいつには。亨が好きやから、お前を抱かれへんて、そう返事してた。  あいつはそれで、逆上(ぎゃくじょう)したんやろ。もう殺さなあかんて、そりゃそう思うわな、俺のことを。  殺しても、しゃあないんやで、勝呂瑞希(すぐろみずき)。俺を()っても、アキちゃんはお前のモンにはならへん。アキちゃんが好きなのは、俺やねん。俺を愛してる。お前やのうて。  可哀想(かわいそう)になあ、つらいやろ。俺もアキちゃんが俺やのうて、お前を愛してたら、どんだけつらいやろ。  あいつにズタボロにされながら、俺はそういう(あわ)れみと、勝利感に酔ってた。  戦えって、アキちゃんは俺に命令せえへんかった。逃げろて言うてた。せやけど、あいつは俺を逃がしはせんかったで。アキちゃんやのうて、俺を食おうとしたんや。  まあそれも、ひとつの手やな。人やのうて、他の(もの)()を食うやつもおるわ。それ自体、命懸(いのちが)けやけど、もしも食えれば、ずいぶん(せい)が付くやろ。  せやけどそれも、俺の買いかぶりか。あいつはただ俺が憎うて、殺したかっただけかもしれへん。あいつは俺を、食いには来んかった。  お前が憎いて言うてたわ。お前さえおらんかったら、アキちゃんとキスできたのに。抱いてもらえたかもしれへん。もしかしたら、愛してくれたかも。  そうかもしれへん。アキちゃんはたぶん、あいつが好きやった。  あいつが病気やのうて、人食いなんぞやっとらんで、ただあの可愛げのある顔で時たまにこにこするだけの犬やったら、アキちゃんはあいつのことも、自分の(しき)として()らえておこうかと思ったんやないやろか。  それで時たま気の向いた時には、俺やのうて、あいつを抱いてやったかもしれへん。お前が好きやて言うてやったかも。  いつか俺よか、こいつのほうが可愛げあるわて思うようになったかもしれへん。尻尾(しっぽ)()ってついてくる犬が可愛いて、お前は亨より可愛いなあ瑞希(みずき)って、名前呼んでやったかもしれへん。  俺はそれが嫌やった。あいつに負けたくない。誰にも負けたくないんや。  アキちゃんが俺以外のやつと抱き合うのは、絶対に許せへん。  そうなるんやったら、しゃあない。アキちゃんがそうしたいんやったら、どうしようもないって、今まで自分に言い聞かせてたけど、けど現実に、そういうことを目の当たりにすると、耐えられへん。大人しく消えようなんて、これっぽっちも思わへんかった。  ぶっ殺したる、犬畜生(いぬちくしょう)が。お前を殺して、アキちゃんも骨まで全部食うたるわ。  誰にも盗られんように、最後の一欠片(ひとかけら)までアキちゃんを全部俺のもんにする。そんなことしたら、俺はきっと死ぬほど後悔するやろ。それでも、誰かに盗られるよりマシや。我慢でけへん。アキちゃん殺して俺も死ぬ。そういう狂気やで。  でもそれを感じたんは、一瞬だけやった。  一瞬あれば罪になるには充分かもしれへん。けどそんな醜い俺を、アキちゃんは好きやて言うてくれてたで。  亨が好きや。大の苦手な(へび)でもかまへん。お前のことは好きやけど、抱かへんて、あいつを(こば)んだ。抱いてやったら、俺より可愛い(しき)かもしれへん、可哀想(かわいそう)にがたがた震えてたあいつを、(こば)んだんやで。  俺は勝った。あいつに。

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