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7-4 トオル
確かに部屋のクーラーは切れていた。むちゃくちゃ暑いんやないやろか。アキちゃんはじわっと汗をかいてた。それでも俺は、ちょっと寒いような気がして、ほんまはアキちゃんとくっついてたかった。
せやけど抱き合うてたら、飯 食われへんからな。
俺は我慢して、ベッドの脇の椅子にあった、おかんがくれたバスローブを羽織 った。なんでこんな時にお役立ちやねん。ただのタオル地やのに、それは暖かい気がした。
アキちゃんも、素 っ裸 はどうかと思って、俺がバスローブ着せてやった。
大人しく着せられてたアキちゃんは、ものすごく頭痛いという顔してた。今まで着たことなかったんや。嫌やったんやろ。恥ずかしいて。でも今は、やめろて振り払う気力もないんやろ。
「自分で食えるか。手伝ったろか」
俺はそんな弱々しいアキちゃんが可哀想になってきて、おかん並みの過保護口調やった。
「いらんわ。自分で食うから」
アキちゃんは嫌そうに拒 んで、重湯 の入った椀 をとった。湯気の立ってないそれは、別に熱くはないみたいやった。ひとくちぶん腹に入れてから、アキちゃんはため息ついてた。たぶん美味かったんやろ。
「お前も飲めよ」
俺を心配してんのか、アキちゃんは椀 を回してきた。俺が飯 食う必要ないの、忘れてるんかな。
要らんて言おうかと思ったけど、アキちゃんは心配そうやった。それに、それはどうも命令っぽかったんで、俺は黙って飲んだ。
喉 が焼けるように痛んだ。とても飲めたもんやない。
俺はその痛みに顔をしかめて、アキちゃんに椀 を返した。
なんやねんこれ、トミ子。毒でも入れてあるんとちゃうやろな。
「どしたんや。熱くはないやろ」
喉 を押さえてうなだれてる俺に、アキちゃんはぼんやりと、心配そうな声で訊 いてきた。
「喉 痛 うて飲まれへん」
「風邪 でもひいたんか……」
うっすら顔をしかめて言って、アキちゃんは黙り、そしてさらに険しい顔になった。
それを見ながら、俺も眉間 に皺 やった。
そうや。忘れてた。あいつ、狂犬病なんやで。その病気の犬に、俺は噛 まれた。せやから俺も感染したんや。
その後、どうした。俺、アキちゃんにめちゃめちゃキスしてもらったで。あれって、いつ頃から他人にうつるようになるんや。アキちゃんにもうつしてもうたんか、結局。
「やばいな。でも、とりあえず、食うもん食おか」
アキちゃんはしかめっ面で、実際的なことを言うた。腹減ってるんやろ。
ゆっくり黙々と、アキちゃんはトミ子が作った重湯 を飲みほした。
「お前な、寒い寒いて言うてたわ。出血のせいやと思いこんでた。今も寒いか」
からになった椀 を盆 に返して、アキちゃんは訊 いた。
俺はアキちゃんには嘘がつかれへん。仕方なく、こくりと頷 いた。
アキちゃんは、それに頷 き返してきて、ベッドに座ったまま、俺を抱き寄せた。
「心配せんでええで。俺がなんとかしてやるからな」
肩にもたれさせた俺の頭を撫でて、アキちゃんは守るような口調で俺に囁いた。アキちゃんの体も、熱くはなかった。不吉な感じに冷えた、ほのぬくい体温やった。
「人を食ったらええのか。俺を食うてもええんやで」
アキちゃんは真面目に言うてるらしかった。思い詰めてるらしい気配がして、俺は胸がつらくなった。
「食うても無駄やで。ちょっと生き延びるだけや。病気治さへんかったら、遅かれ早かれやで。それにアキちゃん食い殺してまで、生きとうないわ」
「どうしたらええんや……」
俺の顔を上げさせて、アキちゃんは悩んでるふうに、じっとつらそうに俺の目を見た。俺の頬 を撫でるアキちゃんが、キスするつもりやないかと思えて、俺は顔をそむけようとした。
「キスしたらあかんで、アキちゃん。俺、病気みたいやから」
「もう今さらや」
逃げ腰の俺を引き寄せて、アキちゃんはキスしてくれた。触れた唇は温かかった。
そのキスに、案外長く唇を貪 られながら、俺は幸せやった。
そして、ふと思った。あいつもきっと、こういう気分になりたかったんやろう、って。
アキちゃんに抱きしめてもろて、キスしてもろて、心配いらんで俺が助けたるって、言うてもらいたかった。
あいつ今ごろ、どうしてるんやろ。どっかでもう、死んでんのか。それとも、まだ生きてて、死にかけてんのか。ひとりで。
あいつは相当に、弱ってたと思う。可愛い顔に出てる、アキちゃんには見えてないらしい死相を眺めて、俺はいい気味やと思ってた。ほっといてもこの犬は死ぬ。遅かれ早かれ、俺の勝ちやって。
思えばそれは、ひどい考え方やったな。
「亨、死なせへんで。お前を抱きたい」
うっとりしてる俺の首を優しく揉 んで、アキちゃんは力なく口説 いた。
「でも今は、ちょっと無理やな。また後で……」
切なげに苦笑して、アキちゃんはまた俺を抱き寄せ、唇を開かせて舌入れるキスをした。それが物凄く官能的で、俺はうっとり陶酔 して震えた。寒いのに、アキちゃんに抱かれてキスされてると、まだ自分の体のどこかに熱があるような気がする。
早く元気になって、アキちゃんに、めちゃくちゃ激しく抱いてもらいたい。アキちゃんができるんやったら、今でも別にええんやで。激しく混じり合いたい。夢中になって抱いてほしい。俺の中で気持ちいいって言うて悶 えてるアキちゃんに抱かれたいねん。
なんでそんなこと思うんやろかと、俺は恥ずかしかった。ほとんど死にかけまで弱って、今だって実際元気ないのに、その、まだ脆 そうな体で、俺はぼんやり欲情してた。
「抱いてほしい、アキちゃん……」
「抱いてるやん、今も」
唇を触れあわせたまま、アキちゃんは俺を諭 すような口調やった。
「俺の中に、入れてほしい。もっとくっつきたい」
幻惑 する声で囁 いて、俺はアキちゃんの体に触れた。そこはもちろんまだ、興奮なんかしてへんかったで。そんなことするような気分じゃなかったんやろ。疲れて、弱ってて。
そこを何とか頑張ってくれっていうのは、俺の我 が儘 や。俺っていっつも我 が儘 やねん。
アキちゃんは嫌やて言うてんのに、抱いてほしいてなったら、もう我慢でけへん。アキちゃん欲しいて迫 って強請 って、無理矢理にでも抱かせようとする。なんでそこまでお前はやりたいねんて、アキちゃんはいつも不思議がってた。
なんでやろ。俺も別に、毎度やりたいわけやないんや。迫 って強請 ると、アキちゃんが、しゃあないなて言うこときいてくれる。アキちゃんも俺が欲しくなって、強く抱いてくれる。深く押し入られて、それがすごく気持ちいい。そうやって抱き合ってると安心する。その感じが欲しいだけやねん。
責められると気持ちええんやけど、極 まりそうになると、いつも我慢してる。もう終わるんかて、寂しくなってきて、もうちょっとだけって、引き延ばしたくなる。
ゆっくり長く抱いててほしい。永遠に終わらなくてもいい。ずっとアキちゃんが俺の中にいて、気持ちいいのを我慢して、それでももう堪 えられへんて言う、その瞬間が、ずっと続けばいいって、俺は思ってる。
でもその時はほんの一瞬やねん。せやから何回もやりたいんや。その瞬間をもう一度味わいたくて。
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