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7-8 トオル
「あああアキちゃんな、今ちょっと……トイレかな。電話に出られへんねん」
しどろもどろに誤魔化 す俺に、おかんがムッとしたような気配を送ってきた。
『隠 し立てしても無駄 どすえ。あんたら三日前に京都駅に行きおしたやろ。人が落ちたて、えらい騒 ぎどす。どっちが落ちたんや。あんたやろな、アキちゃんやないやろな。はっきりお言いやす』
返事する間もなく問いつめてるくせに、さっさと返事しろて、おかんは激怒してた。
おかん、ほんまは知ってんのとちゃうの。人が落ちたて噂 に聞いて、それが俺かアキちゃんやて思うのって、変やんか。誰か全然知らんような赤の他人かもしれへんて、普通は思うもんやろ。つか、俺やったら落ちてもええんか。鬼や、おかん。
「俺やけど、全然平気やないんやで、おかん。死にかけやったんやで。今かて元気ってほどではないんや。まあ、なんつか、おかんには言いにくいような理由で、今だいぶ回復してはいるけど、一時的やで、たぶん。俺な、病気うつされてもうてん。可哀想 やろ。俺のことも心配してえな」
『あんたが鈍 くさいだけどす』
きっぱりと、おかんは怒った声で言った。
ひいい。なんの優しさもない。
俺、アキちゃんの式 でよかった。おかんに使役 されて永遠に生きたりしたら、地獄そのものやで。
「アキちゃん、アキちゃん助けて。俺、おかんに、自業自得 やみたいに言われてる」
ベッドに身を起こしかけたまま固まってるアキちゃんの青い顔に、俺は助けを求めた。
『やっぱり居 るんやないの。暁彦 に代わりなさい』
ピシャーンとおかんは命令口調で言った。これはもう逆らえへん。巫女姫 さまのご命令やで。いくらご主人様やのうても、こんだけ強いやつに頭ごなしに命令されたら、俺かてフラフラんなるわ。
「無理や、亨。お前が話せ」
完全逃げ腰態勢で、アキちゃんは命令してきた。
ええ。そんな。板挟 みやんか。
おかんも並みやないけど、アキちゃんのほうが強かった。なんせ俺のご主人様やし。
それでしょうがなくなって、俺は半泣きで電話に戻った。
「あのな、おかん。アキちゃん今話せへんねんて……」
『なんでですのん。あんたら今、どういう状況なんどすか。正直にあらいざらいお言いやす』
うちのほうが強いえみたいな気合いを見せて、おかんは電話越しにまた命令してきた。
正直にあらいざらいか。言ってええのか。
俺は半泣きのまま口を開いた。
「どう……って。京都駅行ったらな、勝呂瑞希 が居 ってな、やっぱりあいつが犬やったんやで。アキちゃんとふたりで話すて言うから、俺はいややて言うたんやけど、アキちゃんがお前はコーヒー買うてこい、あっちいけて命令するもんやから、俺もしゃあなかってん。それで急いでコーヒー買いに行ったけどな、店が混んでたんや。しゃあないよ、それは、俺のせいやないもん。横入りするわけにいかへんやん? それで戻ったらな、アキちゃんが勝呂瑞希 と抱き合うててな、今にもキスしますみたいな感じになっとんねん」
俺が正直にあらいざらい話してるのを、アキちゃんは、ぎゃあやめろみたいな顔で真っ青になって見てた。でも無理やで、これは。俺の意志やのうて、使役されてるんやもん。嫌なら何か言うて、おかんに対抗しろ、アキちゃん。ぱくぱくしとらんで。
「ほんで俺も慌 ててもうてな、やめろて言うてん。そしたら勝呂瑞希 がキレて、俺に襲 いかかってきよったんや。せやけど、アキちゃんが戦えて言うてくれへんもんやから、俺も棒立 ちになってもうて、それで、コテンパンに伸 されたんやで。ボコられたうえ、おまけに駅ビルから突き落とされるしやな、散々 やったんや。ほんまに死にかけたんやで、おかん」
『でも今、元気やないの』
あっさり流すおかんは引き続き鬼やった。
俺は心で泣きながら頷 いた。
「う、うん……まあ、今はちょっと元気やけどな。さっきまでは元気やなかったんやで。アキちゃんと一発やったんで、なんか元気出てるねん。しんどいなりに、三日ぶりやったからかなあ、アキちゃん、めちゃめちゃ溜 まってたみたいやったで。ものすご一杯出てな、満腹満腹ごちそうさまやったわ」
電話と話しながら、俺は、アキちゃんてこんな、今にも死にますみたいな顔できるんやて、冷や汗だらだらかいて思ってた。
死にますていうか、お前を殺すっていう顔やったんかな。ちょっと前に死なんといてくれて言うてた、優しいアキちゃんはどこへ行ったんや。ベッドの下に落ちてんのか。
『あほらし。そんだけ元気がおありやしたら、うちが心配するようなこと何もないわ。ほんなら、何も変わりはないんどすな』
ぷんぷん拗 ねて、おかんは訊 ねてきた。
俺はまた、ああ、どないしよて思ったけど、あらいざらい話せていう命令は、まだ有効やった。
「変わりはあんで。あのな、おかん、怒らんと聞いてや。アキちゃんな、俺の仲間になってもうてん」
『なんやて』
おかんの声が豹変 してた。
「俺の血がな、体に入ってもうたんや。それでな、ちょっとなんて言うか……人間やめかけてる? もう、やめてる? みたいな?」
『はっきりお言いやす!』
がつんと強く言われて、俺は、はいはいと泣きながら返事した。
「アキちゃん、俺の眷属 になってもうてん。ごめんやで、おかん。堪忍 してや。でも見た目は普通やから、さっきまで目の色が金色やったけど、今はもう元通りやで。俺のこと、いまいち愛してないみたいや。顔、真っ青なんやで。これ、ビビってんのかな。それとも、めちゃめちゃ怒ってんのかな。両方かな。おかん、どう思う?」
アキちゃんが完全に無反応やったんで、俺は泣く泣く、おかんに訊 いた。
『そら、嫌われても仕方あらしまへん。せやけど、まあ、よろし』
まあええんか、おかん。息子が人間やめてもかまへんのか。
『元気なんどすな、ひとまずは。それなら、よろしおす。あんたの病気はどうなんや、亨ちゃん』
急にちょっと、優しいような声になって、おかんは訊 ねてきた。まるで俺のおかんみたいやった。
今までガミガミ言われた反動か、俺はそれに猛烈 にほろりと来た。
「喉 痛い。寒いし。しんどいわ、おかん。俺、どうなるんやろ。ほっといたら死ぬやろか、勝呂瑞希 みたいに? 頭おかしなってきて、人食うようになるんかな。そんなん嫌やで。なんとかしてえな」
めそめそ泣きつくと、おかんは電話口で、おお、よしよしと言った。
『うちが今からそっちへ行きますよって、心配せんでよろし。舞 にやったみたいに、うちを締 め出したら、もう親でも子でもないて、アキちゃんに言うといておくれやす』
さあ、話は終わりましたえと、おかんは電話を切る様子やった。俺は頷 いて、話を終えた。
電話が切れて、ツーツーていう終了音が繰り返されてる中、俺は呆然 通り越して抜 け殻 みたいになったアキちゃんに目を戻した。
「アキちゃん……おかんがな、もう親でも子でもないて、言うといてて」
俺は、おかんの最後の指令を全 うした。
それを聞いて、アキちゃんは頷 いた。いや、うな垂 れたんか。頷 いたまま、戻って来 えへんし。
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