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7-9 トオル
「亨……」
シーツを見たまま、アキちゃんはやっと、低く籠 もった声でつぶやいた。
「なんや、アキちゃん」
恐る恐る、俺は答えた。
「俺はな、お前が好きや。それはな、変わらへんで。でもな、今ほどな、お前を殺したいと思ったことはないわ」
うつむいたまま話してるアキちゃんが、どんな顔してんのかなって、俺はビビった。もしかして、般若 みたいな顔なんとちゃうか。鬼やで。
「さっきお前が死にそうやて言うてたときに、気絶するまでやっときゃよかったな。可哀想 やて思ったんが、運の尽きやったわ。今後はお前、気失うまでやるからな。覚悟 しとけよ」
いやあん、そんな、どういう意味やろ。
なんて、思おうとしたけど、どうも甘いような意味やないで。
俺、お仕置きされるんとちゃうの。なんかそういうニュアンス感じたで。そこまでやったら愛しすぎみたいなのか。それは楽しみやけど、アキちゃん。めっちゃワナワナしてんで。大丈夫か。
あんぐりして、俺がベッドについてた手を、アキちゃんが急にがしっと掴 んできた。
そしてじっと俺を見上げ、ふうっと長い静かなため息をついた。
「元気なんか、亨。ひとまずは」
険 しい顔で、アキちゃんは俺を見てた。
「う、うん……ひとまずは。今すぐ死んだりせえへんよ」
「そうか……良かったわ。ほんまに良かった。俺、ちょっと、疲れたし寝るわ」
ほんまに疲れた。限界まで疲れて、ほっとしたみたいな顔を、アキちゃんはしてた。がくっと力尽きて、ベッドにまた横になると、それがそのまま寝顔になってた。
もしかして三昼夜 、寝てなかったんちゃうかと思った。眠ってるように見えてたけど、どっかで気張 ってて、寝てるんやなく、気失って朦朧 としてただけなんちゃうか。
すうすう寝てる顔見てると、アキちゃんは子供みたいやった。
どうしようかと思ったけど、俺はアキちゃんに布団 かけてやって、寄 り添 って横になった。
アキちゃんが今、暑いのか寒いのか、わからへんかった。俺は寒かったからや。
ああ、良かった、おかん来てくれるんやわって思ったら、急にまた強い寒気がしてきた。アキちゃんはじっとり寝汗かいてて、たぶん暑いんやろう。真夏の京都で、クーラー切ってんねんから。ほんまは暑うてたまらんはずや。
それでも、ぶるぶる震えてくるぐらい寒気がしてきて、俺は必死でアキちゃんにくっついてた。そしたら、ぼんやりした力が漏 れてるみたいで、寒気が紛 れた。
アキちゃんの胸に擦 り寄って、俺は丸くなって眠った。眠りながらでも、それがもう癖 なんか、アキちゃんは俺の体を抱いてくれた。暑いし離れろなんて、文句言わへんかった。
寒いなあて、俺は心細かったけど、それでもぼんやり幸せでもあった。アキちゃんが、抱いててくれるからやろ。
寝室の扉 が、すうっと開いて、黒いブサイク猫が入ってきた。
俺はそれを目では見てへんかったけど、化けモンどうしや、気配でわかる。
あんた、死にかけてんのとちがうかて、黒猫が俺に訊 いた。
そうかなあ、ブスはそう思うんかて、俺は訊 いた。
そら、さぞかし、ええ気味なんやろ。俺が死んで、お前はアキちゃんとふたり、この部屋に棲 む。猫やけど、抱いてはもらえるやろな。アキちゃん、猫好きやろし。俺がおらへんようになったら、代わりにお前がこうして、抱いて寝てもらえるかもしれへんで。
せやから、はよ死ねて、ほんまは思ってんのやろ。足掻 いとらんと、さっさと弱って死ねばええのにって、指折り数えてんのやろ。
俺は寒気に震えて、アキちゃんに縋 り付きながら、そんな恨 み言を猫に語りかけてた。
ブスは黙 って、それを聞いてたけど、やがて答えてきた。
うちはなあ、亨ちゃん。勇気がなかったんや。暁彦 君に、ほんまのこと言おうなんて、全然思わへんかった。どうしたら嘘がばれへんやろ、暁彦 君好みの可愛い綺麗 な女として、ずっと取り憑 いてられるやろって、そのことばっかり思ってたんえ。
せやけど、結局そんなんは続かへんかった。人様の体借りて、嘘ついて、そんなんして愛されようなんて、甘いんやわ。
言うてみればよかったわ。あんたみたいに。うち、ほんまはブスやねんて。それでも好きやて、泣いて頼めばよかったわ。振 られたかもしれへんけど、振 られへんかったかもしれへん。
そうやろ。
ブスは、俺に同意を求めてきたけど、俺は笑って答えた。そうやろか、って。
お前はそうとうなブスやで。アキちゃん気絶したかもしれへんで。通信不能で、振 られたんか、振 られてへんのか、わからん状態になったかもやで。
俺がそう言ってからかうと、ブスはうっふっふと笑った。
そうやねえ、そうかもしれへん。とにかくもう、終わった話やわ。今さら後悔しても、後の祭りえ。せやけど亨ちゃん、あんたに情けがあるんやったら、いつか折 見て、暁彦君に伝えてくれへんやろか。大学のな、倉庫に、うちが描いた絵の軸 が、あるはずやねん。その絵を、見てもらいたいのや。
うちは、自分がブスなもんやから、綺麗 なもんが好きやった。せやから、綺麗 な絵ばっかり描いててん。それが浅 い、小娘 の描く絵やて悩 んでな、あほやったわ、うちは。自分がいいと思ったもんを、信じて生きればよかった。なんにもなくても、うちには絵があったのに。なんでそれを忘れてもうたんやろ。
ブスのトミ子が、どんな絵描く女やったか、いつか暁彦 君に見てもろてほしい。よろしゅうお頼 み申します。
そう言うて猫は、眠りに入る俺に、ぺこりと頭を下げた。猫ってお辞儀 できるんや。
それにお前、なんやそれ、遺言 みたいやんか。何回死ぬんやトミ子。
最初は自殺して、次は姫カットもろとも雲散霧消 。次は猫のお別れか。二度あることは三度あるってやつか。やめとけ、そんなん。三度目の正直やったら、どないすんねん。
まさかまた自殺でもするんか。命を粗末 にしたら、あかんのやで。
俺、お前にかまわず、アキちゃんといちゃいちゃしすぎたか。もしそうやったら、ごめんやで。これからはお前にもちゃんと気遣 うし、怒らんといてくれ。
お前ももう、俺とおんなじで、ここの家族やないか。俺がおらんようになるかもしれへん、この時に、お前までおらんようになって、どないすんねん、トミ子。アキちゃん可哀想 やて思わへんのか。
俺はけっこう必死で呼びかけてやったんやけど、猫は答えへんかった。
それで仕方なしに、俺は眠った。今はとにかく眠って、力を蓄 えるべき時や。少しでも長く、アキちゃんの傍 にいられるように。
寄り添 って眠ると、暖かかった。せやけど、着実に何かが自分を蝕 んでる気配がした。それがじりじり正気を食らう。いつか俺も、そう遠からず、アキちゃんを傷つけるような羽目 になるんやろかと、俺は思った。もしそうなら、出ていかなあかん。
なんとかしてえな、おかん。早う来てくれ。アキちゃんから俺を、とりあげんといて。
ぼんやりした夢の中で、俺はそう願った。
――――第7話 おわり――――
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