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8-2 アキヒコ
ほんまは俺が何とかしてやらなあかんのや。だって亨は俺の式 なんやから。
俺があいつの面倒 見てやるのが筋 なんや。おかんに説教 されんでも、そういうもんやという気が、俺にはしてた。
おかんはただ、にっこり頷 いただけで、何も説教 せえへんかった。
「ほな、まずはご機嫌 うかがいして、それから支度 しよか」
白い草履 を玄関に脱いで、和装のおかんは、すたすたと洋間のマンションの中を歩いていった。現代的なフローリングの床を、おかんの白足袋 が踏むのが、いつ見ても違和感あるわ。
俺が大学に入る時、おかんはこのマンションを買った。マンションごと買ったんやで。建物全部が秋津 の持ち物やねん。
建設中に買い上げて、最上階の間取りを全部変えさせ、元々は四軒分 やったフロアに、この最上階の部屋 を作らせた。
憧れやったんやって。昔から。洋物の映画やら、ドラマやらに出てくる、高層マンションの最上階の部屋 に住んでる、外国の金持ち男の暮らしっぷりが。王子様みたいなんやって。
そんなん素敵やわあて思うたから、アキちゃんここに住まわそ思うて、作ってもろたわて、大学入る前に嵐山 から連れてこられて、俺は正直、おかんのやり方に顎 が落ちてた。
実家から通うつもりでいたからな。
まあ確かに、電車の乗り継ぎは面倒やで。阪急電鉄の嵐山線に乗って、桂 で京都線に乗り換えて、河原町 まで行って、そこで四条大橋 を徒歩で移動、そして京阪 電車に乗って、出町柳 まで行き、さらに叡山 電鉄に乗り換えやからな。
車で通えばええやんという説もある。俺は高校出てすぐに免許取ってたんで、お祝いや言うて、おかんが車買うてくれてた。
でもな、見るからに、お前はどこのボンボンやみたいな、真っ黒のベンツやで。それで毎日学校行くの、俺は恥ずかしいわ。
せやから電車通学ということで。西村京太郎サスペンス並みの時刻表マジックを駆使 して通う。
そう決めてたら、おかんが家を出ろと言ってきたんで、びっくりやった。考えたこともなかった。自分が秋津の家から出てもいいなんて。頭に無さ過ぎて、一案として検討したこともなかったんやで。
それでも結局俺は、おかんの手により、この出町柳 の最上階の部屋 に捨てられ、現在に至る。
ひとり暮らしなんて、ええなあて、大学の新入生連中はうらやましがってたけど、俺は正直、自分は捨てられたと思ってた。めちゃめちゃ暗かったで。たぶん、慣れないひとり暮らしで、寂 しかったんやろ。
うちの家族は俺とおかんの二人だけやったけど、秋津の家には他人が同居してた。俺の名義父の本間さんもそうやし、ごはん作ってくれるおばちゃんとか、他にも何やよう分からんような仕事してる他人がいっぱいおった。舞ちゃんみたいに人でないのもおった。静かなようで、にぎやかな家やった。
そういうところに慣れて育って、人っこひとり、人でないのさえおらんような、他人の家みたいな、だだっ広い洋間のマンションで、ぽつんと暮らしてると、たぶん寂 しかった。
亨には言われへんけど、俺は誘 ってくる女とは全部寝てた。でも長く付き合おうと思うような相手はおらへんかった。
帰るのいややて言うのを、ほな泊まっていけばと部屋に連れてくると、みんな顔色か目の色かが変わったもんやった。こんなとこに住んでんの、王子様やわって、どんな健気 そうな女でも、貪欲 そうな顔をした。
それを一晩抱いて、翌朝にさよならして、それっきりやねん。もう顔も見たないって、毎度思った。
そんなこんなで、大学での俺は、本間 は女ったらしのボンボンということで通ってた。自分が不実な男やということに、俺は自分でもショックやった。
内心、こうしたいと思ってるのは、これが運命の女みたいなのに出会って、そいつと一途 に愛し合うような感じやったんやろう。でも、なんでそれが無理なんか、ほんまは分かってた。
どんな可愛い子と付き合っても、おかんのほうがええわって、どこかで思ってた。
おかんのほうが美人 やし、淑 やかで、品もある。着てるもんの趣味もええし、話す口調もはんなりしてる。
おかんはいつも、いい匂いがして、俺に優しい。アキちゃんは男前やなあ、大人になったら、お母さんと結婚しよかて、にこにこ言うてくれる。俺はそれを真に受けて、そうしようって思ってた。
認めたくないけど、俺はたぶん、餓鬼 のころからずっと、おかんに惚 れてたんやで。俺の女やと思って眺 めてた。
それって、何なんやろ。頭のいかれた、おとんの血の置きみやげというか、怨念 みたいなもんか。惚 れてた妹、抱いたはええけど、戦争で死んでもうて無念やった、みたいな感じで、その因果 が俺に祟 ってたんか。
せやけど、おとんの代わりに、おかんと寝るわけにはいかへんで。それはあんまり、むちゃくちゃやで。
そう思うのに、俺はもしおかんが、アキちゃん一緒に寝よかて誘 ってきたら、喜んで寝たような気がする。
たぶん、そういう気でいたから、アキちゃん大学遠いんやからて、おかんに出町 に捨てられて、激しく凹 んだんやろ。それで自棄 になって、手当たり次第に女抱いてた。
おかんを越 えられる女はおらへん。そう思ってたけど。まさか男が越えてくるとはなあ。予想もつかん展開やったで。亨のことは。まさに想像を絶する出来事や。
今でも、おかんと会うと、必要以上にときめいたけど、亨よりおかんが好きとは思わへんかった。
亨が好きや。俺もまともになった。亨は男で、常軌 を逸 したエロで、人間ですらないけど、それでも、おかんと寝たいというより、当社比で、まとも度はかなりアップしてる気がする。
これで亨が女で、普通程度のエロで、人間やったら良かったんやろうけど、それはもうこの際、贅沢 や。
蛇 でもええねん。
いや、正直ちょっとキツいかもしれへんけど、でも正直もう全然気にしてない自分がおるねん。
あいつが元気でにこにこしてて、美味いて言うて飯食ってたら、俺はそれで幸せやねん。それ以外でもう、幸せになられへん。そういう気がする。
おかんが亨の顔色を見て、なんて言うか、怖すぎて俺は寝室についていかれへんかった。それで仕方なく、リビングで悶々 と待っていた。
おかんはしばらくしてから、舞ちゃんを連れてにこにこ戻ってきて、ソファの端 にいた俺の、反対側の端 に、ちんまりと行儀 良く座った。
そして容赦 なく言うた。
「死にますわ、あのままやと」
爽 やかに言われて、俺はイメージ的には、頭から爪先 までざらあっと砂になって崩 れ落ちた感じやった。
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