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8-3 アキヒコ
「死にますて……なんとかなるんやろ」
「うちには無理どす。強い疫神 が取り憑 いてますのんや。それを祓 わなあきません。せやけどこれが、ずいぶん強おす。うちには無理やないかと思うえ」
にこにこしながら、おかんはサラッと言うた。
「疫神 て……病気ってことなんやろ。病院行ったらええんか」
俺が真面目に訊 くと、おかんはよっぽど可笑 しかったんか、ころころと鈴を振るような声で笑った。
「なにを言うてんの、アキちゃん。この子は人やのうて蛇 の化身 やけど、病気やからお薬くださいて連れていって、どこのお医者様が診 てくれはるやろか」
知ってたんか、おかん。亨が蛇 やって。
なんで教えてくれへんかったんや。あいつ悩んでたんやで。たぶんずっと悩んでたんや。
駅で大怪我して、蛇 に戻ってたのを、俺が家まで連れて帰ってきたら、亨は人の姿に戻ろうとした。
わからへんけど、あいつは弱ってたから、本性 現してたんやろ。人の姿してるのには、それなりに力が要るんやないかという気がするんや。
苦しそうに変転 して、亨は俺に言った。この格好 のほうが、アキちゃん我慢 しやすいやろ、って。
抱いて欲しいって言うてた。蛇 でごめんやけど、今は抱いといてほしいって。
もっと早くに知ってたら、ちゃんと言うてやったで。お前が何でもかまへんて。気にせんでええって。
「ほな、どうしたらええんや。亨はどうやったら助かるんや、おかん」
「そうやなあ。お兄ちゃんやったら、疫神 を祓 えたやろけどなあ。うちよりずっと、力のあるお人やったんえ」
惚気 か、おかん。そんなん言うてる場合やないねん。もう死んだ変態の話せんといてくれ。
「あんたがやれるんやないやろか。アキちゃん。あんたはお兄ちゃんに生き写しやし、それに、うちより力が強い。あの子が死んだら困るんやろ。たまには本気を出してみてもええのやおへんか」
「本気って……なんや」
俺は本気やないんか。力の使い方なんかわからへん。
たまに事故みたいに何か変なことを起こすことはある。せやけど無意識にやってるから、どうやってやってんのか、自分ではわからへん。
「願えばええんどす。息しよ思て息してへんやろ。それと同じどす。まあ、いろいろ流儀 はありますやろけど、根本的には、難しいことやないんどす。力さえあれば、それを振るうのは」
けろっとして、おかんは説明していた。
「うちはな、踊り踊る時、なんも考えてへんえ。踊りたいわあて思うてたら、勝手に体が舞いますのんや。あんたもそうやろ、絵描いてるとき、どうやって絵描くのやろって、思うてないんとちがいますか」
「思てへん」
「ほな、それと同じですやろ。お兄ちゃんも、絵描いてはりましたえ」
そんなショックな話をな、さらっと言うな、おかん。
おとんが俺より絵、上手 かったらどないすんねん。再起不能やで。
それで俺が美大受けるわ言うたとき、日本画にせえて頼 んだんか。おとんは日本画描いてたんか。むかつくわ。
油 に転向しよかな。俺、油絵のほうが得意なんちゃうかと思うんや。CGでも何でもええわ、変態のおとんと同じ日本画でなければ。
そんなことを思いつつ、俺は痛恨 の一撃を黙 ってこらえた。
「せやけど今回は、神様が相手やさかい、礼儀正しくせなあかんえ。きちんとご挨拶 して、申し訳ございませんが、よそへ行っておくれやすて、お願いするんや」
「やっつけるんとちがうんか」
意外に思えて、俺は訊 ねた。おかんは、きょとんとしてた。
「人が神に勝てるわけないやないの。たとえ勝てても、勝ったらあかんえ。神殺しやなんて、破廉恥 なこと。お祀 りして、ご奉仕して、気持ちようなっていただいて、そのお力におすがりするんや。豚 もおだてりゃ何とやらどす」
それはどういう距離感やねん。崇 めてんのか、馬鹿にしてんのか、どっちやねん、おかん。
「わからへんのんか。亨ちゃんかて、おだてて使えば、よう働いてくれるえ。こないだなんて帰りにコンビニで宅配便送っていってくれやしたえ」
おかんにまでパシらされてたんか、亨。
というか、あいつは、神なんか。
神様?
神って。
そんなアホな。
ただの、エロエロ妖怪やろ。あいつ、血吸うねんで。アイスも食うし。『ダウンタウンのごっつええ感じ』のDVD見て笑い死にしかけるんやで。
それが、神?
ありえへんやろ。あいつが神やったら、お釈迦 様がヘソで茶沸 かすで。
俺のそんな内心を悟 ったんかどうか、それはわからへんけど、おかんは俺の泳ぐ目を、面白そうに見てた。
「知らんと付き合うてたんか。暢気 な子ぉやなあ、あんたは。舞ちゃんも神様え。力のある不思議なもんは、みんな神様なんえ、この島国では。鉛筆削 るのがせいぜいのような、ちびっこい神様から、山海 を揺 るがすような大きい神様まで、いろいろいてはるけどな。神は神え」
鉛筆削 る神様ってどんなんやねん。鉛筆削 り大明神 か。俺のデッサン用の鉛筆削 っといてくれ。
非現実的な現実から逃避したくて、俺は古代人の格好したちっさいおっさんが必死で鉛筆削 ってるところを想像してた。
あかん。そんなこと考えてる場合やない。亨の命がかかってるんやから。
「亨ちゃんにとりついてはる疫神 やけどな、アキちゃん。あんたが生んだんやな」
おかんは複雑そうな笑みで俺に訊 ねた。俺はなんにも答えられへんかった。
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