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8-4 アキヒコ

「うちには見えるんどす。あんたの画風(がふう)やったえ。とんでもない話どす。何遍(なんべん)言うたら、分かってくれるんや。神様の絵描いたらあかんえ。それも、よりによって疫神(えきしん)やなんて。大勢の皆さんがお困りになってはる、狂犬病(さわ)ぎも、とどのつまり、全部あんたのせいやおへんか」  俺のせいやって。俺はなんもしてへん。絵描いただけななんやで、おかん。絵描いたらあかんのか。なんであかんねん、俺は絵描きたいんや。  昔からおかんに(しか)られて、何度となく言ったようなことを、俺は頭の中で反芻(はんすう)してた。  小学生のとき、写生の授業があって、桂川(かつらがわ)の河原に絵描きにいったときに、俺は目の前の穏やかな川を見て、竜の絵を描いた。  物静かな竜や。そんなん、面白うないわと思って、その夜に、絵に描いた竜が暴れてる夢を見た。  そしたらな、桂川が氾濫(はんらん)して、渡月橋(とげつきょう)が流されそうになった。そうなるはずやったって、おかんは俺をめちゃくちゃ(しか)って、(くら)に閉じこめた。  そんなはずないねん。川は何事もなかった。いつも通りの穏やかな川やった。  それでも、明け方髪を振り乱してへとへとで帰ってきたおかんの姿を見て、なにかただならぬ出来事があったのは、子供心にも分かった。  おかんは、頭おかしいんやないかって、怖くなった。  だって俺は絵描いただけやで。みんな描いてた。絵描く授業やったんやもん。何で俺だけ、(しか)られなあかんの。  そんな不満はあったけど、俺は結局おかんの言うなりの餓鬼(がき)で、手加減(てかげん)して絵描くことをおぼえた。わざと下手(へた)に描くんや。本気出して描いたら、おかんに怒られる。  それでも、おかんが俺が絵をやるのを止めはせえへんかったんは、それが俺の一番(きわ)だった()()やったからやろう。  自分が(さず)かった力と本気で向き合う気があるのかて、おかんは俺に()いた。あると俺は答えた。絵が好きやってん。浅慮(せんりょ)やったな。今にして思えば。  おかんが()いてたんは、そういうことやない。血筋に受け継がれてる力が、絵を描く力として俺には(あらわ)れてるけど、それでも描くんかて、おかんは()いてたんやろ。  絵筆を折って、普通に生きていく道もあったんやろか。  それは、どうやろ。無理なんやないか。  やめられるような気がせえへん。絵を描くのを。  息しよう思って、息してるわけやないのと同じで、絵描こうと思って、描いてるわけやない。描かんと死ぬような気がするから、描いてるんやで。息止めて、生きられへんやろ。それと同じ。 「どうしたらええんやろ、俺は」 「責任とらなあかんえ。死んだ人は戻って来やへん。もう手遅れ、黄泉(よみ)の国の神さんのもんや。せやけど、助けられるもんは、あんたが責任もって、助けなあかんえ。(げき)として、立つべき時や。もはや逃げ場は、あらしまへんえ」  おかんは、きちんと背筋を伸ばしてソファに座り、首だけこちらに向けて、俺を(さと)した。  (りん)とした美しい姿やった。おかんが綺麗なのは、たぶん、顔がいいとか、姿がいいとか、そういう問題やのうて、もっと別のところに理由があるんやないかって、その時初めて思ったな。 「何をすればええんやろ」 「うちが踊って、神さんを(さそ)い出すさかい、あんたが説得しておくれやす。(へび)なんぞ食らうのはおよしになって、もっと美味(うま)いもんをお召しがりくださいて」  にこにこして、おかんは白い手を(にぎ)りあわせ、()み手した。 「もっと美味いもんて?」 「そら、アキちゃん。絵に描いた(もち)どす。絵の中に、お戻りいただきたいんやから」  ころころと、おかんは楽しそうに笑った。  俺は訳がわからず、ぽかんとしてた。  おかんの言う、ことの次第(しだい)はこうやった。  おかんが楽しそうな踊りを踊る。そしたら疫神(えきしん)が、なにごとやろ、面白そうやなて、お出ましになる。  そこに、美味(うま)そうな大御馳走(おおごちそう)の絵がある。そしたらその剣呑(けんのん)な神さんが、美味そやなあ言うて、絵にお入りになる。後はその絵を、しかるべき相手に寄贈(きぞう)して、焼き払ってもらう。  そんなアホなと、俺は思った。そんなアホみたいなことで、解決つく話なんか。おかんが踊って、俺が絵描いたらいいだけなんか。  そんなしょうもないことで、人が死んだり生きたりするんか。  俺がそう言うと、おかんはにっこりとした。いや、にやりとしたんか。そして、こう言うた。  せやから、うちは、お屋敷(やしき)登与(とよ)様て、皆に(おそ)れられてるんやないの。  うちが踊れば、つられて神さんも踊らはる。田の神舞えば、米も豊作。麦も万作、商売繁盛、会社は一部上場、選挙には当選確実どすえ。  うちの舞の手の、ほんのちょっとの手違いで、その逆もあるかもしれへんえ。そんな女が、怖くないわけあらしまへん。  あんたもいずれは、そんなお人になる(さだ)めえ。秋津(あきつ)跡取(あとと)り息子や。うちとお兄ちゃんの間にできた、一粒種(ひとつぶだね)。そんなあんたが、なんでもない、ただのつまらん男として、生きていけるやろか。  逃げたらあきまへん。お兄ちゃんは、逃げへんかったえ。うちは、逃げる男は嫌いどす。  おかんは、いつものにこにこ顔で、そう話した。  ああ、なんというかやな。それは俺には殺し文句やった。マザコンやからな。おかんが俺を、嫌いや言うてる。そんなこと今までの甘々(あまあま)な一生では、いっぺんも無かったことやで。  (むち)打たれるような衝撃(しょうげき)や。それで俺は、(むち)打たれた馬のごとく(ふる)い立ったらしい。走り出したわけやないで。そのまま(だま)って座ってたけど、ある意味、生まれてこの方やったことないぐらいの全速力で走り出した。  絵を描いたんや。手加減(てかげん)なしで。渾身(こんしん)(さく)やったで。  一生懸命描いた絵は、ほかにもいろいろあったけど、この絵には俺の全身全霊がかけられてたな。少な目に見積もってもや。なにしろ亨の命がかかってんねんから。  そう思って描いたのが、何の絵やったと思う。  豚の丸焼き。

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