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8-5 アキヒコ

 お肉がええわて、おかんのアドバイス。祭りのときには、(にえ)として、(ぶた)の丸焼きを用意するらしい。それに疫神(えきしん)を乗り移らせて、どこかよそへ行っていただくためらしい。  俺が描いた絵を見て、美味そうやて、亨が言った。元気になったら、こんな美味そうな(ぶた)の丸焼きを、べろんごっくんて丸飲みしたい。  おかんが神様やていう亨が、よだれ垂らしそうな顔で、はあはあしながらそう言うんやから、神様へのアピール度は十分やったやろ。お客様満足度では業界一や。  絵が描けるのを見計(みはか)らって、おかんは舞ちゃんに支度(したく)させた。うちも踊るけど、舞ちゃんにも踊ってもらうて言うて。この際、多いほうがにぎやかやから。  そう言って、鳴り物入りで寝室に現れた舞ちゃんを見て、亨は(のど)痛いて言うてたくせに、まさに血を吐くような絶叫をした。  アキちゃん見るな、て。  舞ちゃんは、素っ裸やった。つまり、全裸。博物館にあるような、古代っぽいアクセサリーはつけてたけど、それ以外は、裸。  もちろん俺は見いへんかったで。最初の一瞬しか。見てたらやばいで。血の雨降るから。見たら八つ裂きみたいな怖い顔して、亨が俺を(にら)んでたんやから。  ほんなら始めよかて、おかんが部屋に入ってくる気配がしてた。俺はそれを、一瞬たりとも見いへんかったで。  見たらあかんでって、亨が言うねん。見たらあかんような気が、俺もしてた。類推(るいすい)できるやろ。舞ちゃんが全裸やねんから。おかんもそうかもしれへんやろ。  ほかには誰もおらへんはずやのに、(がく)()が鳴っていた。俺に見えてへんだけで、おかんは他にも誰か、つれてきてたんかもしれへん。  とにかく(にぎ)やかな音楽が聞こえ、それに合わせて、ふたりの女は舞った。  これは見たらあかん、見たらあかんわと、亨はベッドに身を起こしたまま、俺が踊る二人を振り向かんように、がっちり頭を押さえてた。そういう自分はガン見なんやで。  亨は、ぬいぐるみ抱いてる小さい子みたいに、俺にヘッドロックかけたまま、こらあかん、まさにアキちゃんの煩悩(ぼんのう)そのものの光景や、うわあ、あかんわ舞は、やりすぎやわ、おかんもいい歳して大概(たいがい)にせえよ、アキちゃん俺のほうがええよ、俺の顔を見つめとかなあかん、頭からっぽにせなあかんでって、めちゃくちゃうるさく言うてた。  考えさせたくないなら、中途半端な実況すんな。男の子の妄想(もうそう)の世界に()み込んでまうやん。俺は一応真剣なんやで。お前を助けようと思って、一生懸命なんやないか。無心でいるのに、だんだん必死になってきたわ。俺の(はがね)の集中力にも限界はあるんやで。  どうせなら、亨のこと考えなあかん。そう思って、その考えに逃げたら、むちゃむちゃヤバかった。ふと見たら、大人しなって、かすかに(うめ)いてた亨の目が()わってて、しかも金色やった。  あかんでこいつ、血吸う気やでって思って、俺は逃げようとしたけど、亨はがっちり俺を(つか)まえてた。白い腕で。布団には入ってたけど、でも裸やねんで。その目が異様に苦しげで切なそうなのと見つめ合って、俺は逃げたらあかんような気がした。 「アキちゃん、苦しい……」  俺にすがりついてきて、そう(うめ)いた亨の腕に、うっすらと白い真珠色の(うろこ)が見えた気がした。  そうか、と俺は思った。亨は血吸いたいんやのうて、人の姿を(たも)ってられへんようになってるんや。(へび)に戻りかけてる。  (あらわ)(たま)え、って、きゃらきゃらした声で、舞ちゃんが歌ってた。それとも、まさか、おかんが歌ってたんやろうか。若い女の子みたいな声やった。 「頑張(がんば)れ、亨。別に(へび)んなってもええねんで」 「嫌や、俺、アキちゃんにはもう、見られたないねん」  涙目ですがりついてきて、亨は苦しげに(もだ)えてた。蜃気楼(しんきろう)みたいな(へび)の幻影が、亨と二重写しみたいにカブって見えた気がした。  それは駅で助けて連れてきた傷だらけの白蛇(しろへび)よりも、ずっと大きかった。そして俺はそれを、前にも見たことがある。  実家で過ごした元旦の、初夢の中に、これとおんなじ(へび)が出てきたわ。川辺に立ってて、俺を()もうとしてる、金色の目の大蛇(おろち)や。  俺はその夢を、怖気(おぞけ)立つほど恐ろしいと思った。(へび)は俺を()もうとしてた。自分がそれを、(こば)んでないのを感じて、俺は怖かったんや。  恐ろしいその(へび)を、震いつくほど美しいと、俺は感じてた。その金の目に魅入(みい)られて、どうすりゃええんやと思った。  こんなもん、夢に見たらあかん。正夢(まさゆめ)になってまう。夢見たらあかんねん、俺は。それが現実になってまう。  それは予感やったんか、それとも俺の願望やったんか、俺は確かにその後半年かけて、白い大蛇(おろち)()まれた。骨まで全部食われたで。毎日食われて、どろどろに溶かされてる。  今もそいつは、俺に抱きついてる。苦しいて、(もだ)えながら。  お前の本性(ほんしょう)が何か、俺は最初からずっと知ってた。本当は知ってたんやろう。ただそれを、知らんふりしてただけやねん。 「亨、心配せんでええねん。お前の本当の姿を、俺にも見せてくれ」 「今のが俺の本当の姿やで。アキちゃんが一番好きなのが、俺の本当の姿や」  亨が首を振って、俺の肩口に顔を()せてた。見んといてくれという気配で、亨は必死に俺に抱きついてる。  その裸の体に、真珠色の(うろこ)が浮かぶのが、綺麗なように見えて、俺は思わずそれを()でてた。(さわ)りたい。なんかまるで、生きてる真珠やな。  亨は()れられた指の感触に、びくりとしてた。 「綺麗(きれい)やで、亨。お前がほんまはどんな姿か、俺はもう知ってるんや。初夢に出てきててん」  後ろが気になって、俺は小声で亨の耳に(ささや)いてた。実はそのほうが恥ずかしいか。後にはそう思うけど、でも、その時にはそれが妥当(だとう)な気がしたんや。  亨は顔を上げて、(あわ)れっぽい綺麗(きれい)な顔で、俺を見た。いつもに増して、真っ白な顔やった。 「そうなんか。知らんかった。ほな、ずっと知ってて、俺を抱いてたん?」 「いや、それは、微妙なところなんやけど。でも、夢に出てきた白い大蛇(おろち)を見て、俺は全然、(いや)やなかったで。美しかったわ……怖いくらい」  俺にもういっぺん、その(へび)を見せてくれって、俺は亨に(ささや)いた。  亨は、うっとりと、苦しそうなような、切なそうなような、複雑な表情で、金色の目を伏せた。軽くのけぞった白い胸に、何か禍々(まがまが)しく黒い文様(もんよう)が浮いていた。  黒いところなんか、あったっけと、俺は我が目を疑って、それを見下ろした。  それそれ、お出まし(たま)え、こっちにお越しやすと、笑いさざめく女どもの声が、楽しげに(にぎ)やかで、淫靡(いんび)(さそ)うようやった。  亨の胸の黒い影は、深い水底から何物かが浮かび上がってくるように、みるみる濃くなり、はっきりと盛り上がってきた。それを生み出す苦しみに(もだ)えるように、亨は身を()んでいたが、その姿はゆっくりと薄れ、二重写しの(へび)に取って代わられようとしていた。  立ち上がれば見上げるような大きさの白い大蛇(おろち)が、寝室のベッドの中にいた。予想はしてたけど、俺はどこか呆然(ぼうぜん)として、それを見つめた。  マジで(へび)やんか、お前。  どないなっとんねん、亨。

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