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8-7 アキヒコ
「そうやけど……ケチケチせんと、教えてえな、アキちゃん。俺が蛇 でも美しいて言うんやったら、俺のこと、本気で愛してるんやろ。別に俺が男でも女でも、蛇 でも鬼でも、なんでもええんやろ」
そうやって言うてくれって、亨はそんな甘えた口調やった。
日頃、亨は我 が儘 やけど、そんなベタなことは言わへんかった。
たまには甘い台詞 も言うてくれたらええのにって、口尖 らせて拗 ねるけど、でもそれは、ほんの遊びみたいな軽いもんやってん。本気で怒ってるわけやない。
けどお前は実は、ほんまに切なかったんか。最後やから言うてくれて、そういうノリか。
俺は嫌 やで。そういうのは言わへん主義やねん。
だって恥 ずかしいやんか。絶対言わへん。
無理やねん性格的に。言えるわけない。お前に強請 られて、普通に、好きやて言わされるだけでも、脳みそ溶けそうなんやで。
これが最後やっていうなら、俺も考える。お前がもう死ぬんやったら、ほんまのところを伝えたい。
けど、言うてもうたら亨が納得して、ほんまに死ぬんやないかって、俺は怖かった。
「嫌 や、俺は言わへんで。知りたいんやったら、あと一年ぐらい待て」
「一年か……それは長いな。ウヤムヤになるんとちゃうか。つれないわ、アキちゃんは」
俺の胸にぐったりもたれかかってきて、亨はぼやいた。そして、とろんと目蓋 を閉じた。
「俺、そんなに待たれへん。元気になったら教えてくれるか」
俺の手を探しにきた亨の指先を、捕 まえて握 ってやって、俺は頷 いた。
「しゃあないな、元気になったら教えてやってもええわ。一緒に祇園祭 見て、大文字 見るんやろ。俺と行きたい言うてて、まだ行ってへんところも山ほどあるやろ。永遠に生きられるからて、だらだらしとったら、ヴェニスとか沈んでまうんやで。二階ぐらいまで海に沈んでるらしいわ。早う行かなあかん。とっとと元気にならへんかったら、祇園祭 かて、終わってしまうで」
亨は目を開いて、血まみれになったベッドをちらちら揺 れる視線で見た。
「そうやなあ、アキちゃん。俺、物凄 いスピードで元気になることにするわ。せやから、抱いといて、このままずっと抱いといてほしい」
暗い目でそう頼 んできて、亨は重い瞬 きをしていた。
「アキちゃん、俺なあ、腹 減ってもうたわ」
お腹 ぺこぺこやねん。アキちゃんの描いてたさっきの絵、めちゃめちゃ美味そうやったなあ、て、亨はしみじみ言った。
そして何でか、ぽろぽろ泣いた。
なんで泣いてんのやろって、俺は不思議やった。泣くほど腹減ったんか。餓鬼 やないんやし、そんな飢 えんでもええやん。
飯 食いたいんやったら、なんでも持ってきてやるし、血吸って力つけたいんやったら、俺のを吸うてええんやでって、俺は抱きしめてた亨を励 ました。
うんうん、とそれに小さく何度か頷 いて見せて、亨は寝ようと言った。眠 いから、一緒に眠 りたいって。
「おかん、素敵 な踊 り、ありがとうやけど、邪魔 やし、舞もあっち行っといて」
憎たらしいような口調を作って、亨は俺の背後に呼びかけた。それに答える声はしなかった。元々そこには誰もいなかったみたいに。
目を逸 らすと、その隙 に亨も消えそうな恐ろしさがあって、俺はじっと亨の白い顔を見つめてた。
何度か目を瞬 き、ゆっくり俺を見上げた亨の目が、じわりと塗 り替えられるように金色になった。薄く開いた唇 の奥に、するどい牙 が見えてた。
「血吸っていいか、アキちゃん」
求めてきた亨の声に、俺は黙 って頷 いた。喉元 に唇 が来るよう抱きしめてやると、亨は初め、ただ愛 しむように、俺の首筋に唇 を這 わせた。
ちくりと来たのは、その後や。切ないような痛みやった。
亨は血を吸うつもりなんやて、そう思ってたけど、その感じは今までのとは違ってた。俺はぼんやりと眠 くなり、亨を抱いたまま、どんどん目蓋 が重く感じられてきた。
すぐに牙 を抜いて、噛 みあとのついた首を、亨が舐 めてきた。
「アキちゃん、眠 っても、抱いといて。また、俺の夢見てな」
自分がそれに頷 いたんかどうか、あんまり眠気が強くて、俺はわからへんかった。
俺は普段、夢は見いへん。見ないようにしてる。夢も見ず深く眠るように。
せやけど亨の夢なら、見てもええかなと思った。川辺の大蛇 でもええけど、普段通りに、けらけら笑って、がつがつ食って、優しくしてえなって甘えてくるような、そういう何でもない時の亨を。
きっとそれは、いい夢やろう。
けど、そんなもん、わざわざ夢に見んでも、いつも目の前にあった。
この三日間が、悪い夢やったんやて、俺は思いたかった。
亨はきっと、良くなるし、今俺が夢に見たいような、いつもと変わらん姿は、すぐにまた目の前の現実として、俺のところに戻ってくる。そうでないと困る。
お前がおらんようになったら、俺はどうすりゃええんや、亨。
お前が俺の、ずっと探してた運命の相手みたいなやつで、これからお前とずっと一緒に生きていくんやって、俺は思ってたのに。ほんまに文字通り、ずっと一緒に。ふたりで幸せに。
ひとりやと寂 しい、お前無しやと、俺は幸せになられへん。
せやから早う、元気になってくれ。神様でも仏様でもキリスト様でも、なんでもええから、亨を助けてくれて、俺は祈ってた。祭りすんなら生け贄 寄越 せて、そういう神か悪魔が、こいつを助けられるていうなら、それでもいい。俺を食えばええやん。
そう思って眠ると、どろりと深い闇のような夢やった。
何か得体 の知れない、猛烈 な力を持った光や闇が、激しくもつれ合いながら、どこが上とも分からんようなところで、明滅 していた。これはなんやろうって、俺は思った。
それがたぶん、俺が最初に意識して見た、神か鬼かの世界やった。
熱く灼 けたようでいて、冷たく凍 てつくところやった。そこには竜がいて、鬼もいた。おそらく神もおったやろ。どんな名で呼ばれるか、結局はそれだけのことやった。
天地 よ、と、俺は茫漠 と呼びかけた。お前はなんのために俺に力を与えたんや。その力は、自分が心底 愛してるもんも救えへんような、そんな虚 しい力なんか。
答えてくれって、俺は祈ったけど、答える声はなかった。
熱く渦巻 くような闇 に、どおんと深く唸 るような音が、重く響 いただけやった。
――第8話 おわり――
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