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9-2 トオル
おかんと舞 は追い払ったけど、そういやお前もいたんやったな。いつの間に入ってきてん。
恋敵 の俺が、あえないご最後を遂 げるのを、笑って眺 めに来たんか。お前も鬼やな。
「うちは鬼やない。猫や」
見りゃあわかるやんて言うようなことを、トミ子は堂々と言うた。猫が喋 ってた。アキちゃん寝ててよかったで。慣れてないからな、そういうのには、まだ。
「あんた、もうすぐ死ぬみたいやな、亨ちゃん」
猫らしい、可愛い声で、トミ子は俺に訊 ねた。
そんなこと本人に訊 くなやで。気の毒やと思わへんのか、俺のこと。
お前が冬に、美大の廊下 で掻 き消えた時、俺はお前が可哀想 やと思うたで。あの、憎ったらしい勝呂瑞希 でさえ、どことも知れん場所で、ひとり寂 しく飢 え渇 いて悶死 したかと思うと、可哀想 やって思うわ。
悔 しいけど思う。あいつはアキちゃんが好きやっただけやろ。俺もお前の立場にいたら、同じことしたかもしれへん。
そういう意味では、似たモンどうしやで。俺も、お前も。トミ子も、俺も。みんな似たような、お気の毒な化けモン仲間や。そんなアキちゃん同好会やからな。他人やないて思えて、俺はお前が嫌いやなかったんやで、トミ子。むしろ好きやったかもしれへん。
だから駅から拾 うてきてやったんやないか。そんな俺の情 けに、ぜんぜん全く、一ミリも感謝してへんのか。薄情 なブスやなあ、お前は。心の醜 さが顔に出てるんやで、きっと。
俺はアキちゃんの胸で泣きながら、トミ子に思いつく限りの悪口を言うてやった。
「あんたのその口の悪いのも、もう聞かれへんのやと思うたら、うち、なんや寂 しいわあ」
おっとりと、トミ子はそんな感想を述 べた。
お前の感想なんかいらんねん。言うこと言うたんやったら、あっち行っとけ。俺の可哀想 なフィナーレを、アキちゃんとふたりっきりにさせてくれ。
後釜 埋 めるんは、俺が完全に死んでからにしてくれ。いくら嫌いやないお前でも、横入りされたら、俺はつらいねん。それが復讐 やていうんなら、仕方ないけど、もののついでやろ、拾 ってやった返礼に、俺にも情 けをかけてくれ。
「確かにあんたには、借 りがあるわ、亨ちゃん。うちはこれから、それをあんたに返そうと思う」
ひょいと身軽に、鮮血 に赤いベッドに飛び乗ってきて、トミ子はブッサイクな黒い毛並みの顔の、爛々 と光る猫の緑の目で、俺と向き合った。
綺麗 な目やわと思った。お前の顔なんて、まじまじ見たこともない。だって、見たら笑うてまうやん。せやけど、お前の目はなんて綺麗 なんや。目は心の窓やとか言うけど、お前はまさか、心の綺麗 な女なんか。
綺麗 なもんが好きなアキちゃんが、お前とは半年保 ったんや。お前にもどこか、綺麗 なところはあったんやろ。まさかお前が化けの皮として被 ってた、姫カットの死体が好きやったってだけやないやろ。死体は結局、死体やで。
お前は誰も殺してへんかった。死んだ女の体を、ちょっと拝借 しただけや。本人がもう要 らんて言うんやから、それを拾 って使ったって、別にかまへんやん。
お前は人食ったような俺とは違って、罪穢 れない女やで。まあ、あるとすれば、自分を殺した罪ぐらいか。せやけどそれも、心残りがあったから、道に迷って、何十年も居残ってたんやろ、自分が死んだ場所に。
「そうや。うちは迷うてたえ。せやけど発作 的に飛び降りてしもてん。うちの絵が盗 まれたんや」
猫はにゃあにゃあと甘いような声で、俺に身の上話をもちかけてきた。聞いてる場合やないんやけどな、俺。でも聞かされるもんは、逃げようがない。
「うちが描いてた絵をな、別の女が盗んでたんや。それに自分の雅号 を入れてな、品評会に出してたんえ。図々 しい話やわ。それで金賞とって、一躍 画壇 の寵児 なんやて。綺麗 な子やったんえ。それで皆、あの子に優しかったんや。うちみたいなブスとは住んでる世界が違うてる。うちが金賞取った絵見て腰抜かして、先生に、あれはうちが描いた絵どすって、訴 え出ていったら、どうせ嘘やろ、あきらめろ、お前みたいなブスが描くより、美人が描いた絵のほうが、みんな心地ええわって言わはった。うちはそれが悲しいてな、気がついたら飛び降りてたわ」
悲しい話やなあ、それは。でも確かにお前はそれくらいブスやで。先生も思わず言うたんやで。言うべきやないけど、でも言いたくなる気持ちは分かるわ。ひどい話やなあ。
それで、どないなったんや、その先生と女は。どうせデキとったんやろ。
俺が訊 ねると、猫はふっふっふと面白そうに笑った。
「鋭 いなあ、あんたは。確かにそうやった。せやけど盗める絵は一枚きりや。うちはもう死んでもうてたしな。あの女も必死で絵描いたやろけど、うちの天才に敵 うはずない。何か変やてバレてきてもうて、絵盗 んだやろって言われて、先生も教え子に手出したんがバレてもうて、お気の毒にふたりで首吊 りはったわ。あの作業棟の裏庭でやで。うち、いい気味やったわ」
ほんならなんで、それを冥土 の土産 にして、成仏できへんかったんや。
俺が訊 ねると、猫はちょっと寂 しそうに首をかしげた。
「やっぱり、心残りやってん。絵ももう描かれへん。うちはなんで死んでしもたんやろ。悔 しくても、強く生きて絵描いてたら、生きてるうちに、いい気味やって思えたかもしれへん。死んだらあかんかったって、後悔 してたんや」
そうやな、トミ子。お前は可哀想 なやつや。
でも幸いというか、なんというか、ブスを悔 やむあまりの怨念 のお陰 で、お前は化けて出られて、今後は猫のトミ子として、愛しいアキちゃんとの同棲 生活に戻れるんやないか。
元気出せ。人生、七転び八起きらしいで。ちょっと自殺してもうたくらい、もう忘れろ。過去のことや。幸せな化け猫として永遠に生きればええんや。
「永遠には生きられへん。うちの命には限りがあるえ。猫には命が九個あるって言うやろ。九個しかないねん。それでも、九個あれば足りるやろ。人間並みかどうか、うちにはわからへんけど、それでもあんたの、腹の足しにはなるやろ」
けろっとして言うトミ子の緑の目と見つめ合って、俺は絶句 してた。
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