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9-6 トオル

 ()れていいんか、俺はわからんようになって、(むずか)しい顔になった。  自分のこと()めてもらってるんやろけどな、なんか他人事なんやな。 「いいやん、アキちゃん、美しいモン好きなんやろ」 「好きやけど、なんかもう、日常生活の(わく)()えてる。お前くらいで限界や」  つまり俺は、女版よりも一段落ちるということか。男やからか。それが身近な感じなんか。  なんやと、こら。男の姿でもな、俺は人がぼんやりするくらい美しいはずや。実際ずっとそうやった。神々(こうごう)しいくらいの美貌(びぼう)なんやで。お前もそれが好きやったんやろ。違うんか。  それなのに、ひどい。見慣れるやなんて。  見慣れたんやろ。それで、あー、これで身近やみたいなため息ついて、俺を抱き寄せてくるんやろ。  アキちゃんは傷がなくなった俺の胸を見て、ああ良かったみたいに、そこに(ほほ)をすりすりした。すりすりっていうか。(ひげ)()ってほしい、アキちゃん。くすぐったいから。その感触(かんしょく)に、何やモヤモヤするから。 「元気になったんか、亨。血吸ったからか」  俺を抱きしめたまま、アキちゃんは(うれ)しそうに(たず)ねてきた。  俺は曖昧(あいまい)な作り笑いをした。  血吸ってません。猫食うたんです。しかもその猫が、まだどっかに引っかかってる。  答えないでいる俺に、まあええかというノリで、アキちゃんはキスしてきた。(うなじ)と背を抱かれて、ぎゅっとされると、気持ちよかった。気持ちええわあ、て、猫も言うてた。  お前、どっか行け。去れ、去るんや、トミ子。  確かにお前は、俺の命の恩人(おんじん)や。せやけどアキちゃんのラブラブを半分こせなあかん義理(ぎり)はないで。ノゾキや、それは。見たらあかん。成仏してくれ、頼むから。  そう言われてもなあ、て、トミ子は困ってた。しばらく居るしかないみたいえ。  まあまあ居心地ええからかまへんけど、いつまで()らなあかんのやろ、って、ぺろぺろ前足()めながら、居座る気配でトミ子は言うてた。  アキちゃんにはそれが聞こえてないみたいやった。  トミ子は俺の中にいるだけで、外からは姿は見えへんし、声も聞こえないみたいな。あたかも俺の妄想(もうそう)のお友達。  ほんまにそうやったら平気やけど、トミ子は実在してるで。しかも俺が感じるもんはトミ子も感じるらしい。つまり、つまりそういうこと。アキちゃん気づいてないけど、基本3Pってことやで。冗談やないで。  アキちゃんは俺が無事そうなのが、よっぽど(うれ)しかったんか、傷ひとつなく元に戻った俺の体を、なでなでしてた。  それがまた何か気持ちいいから困るんや。俺、感じやすいねん。人より感覚が敏感(びんかん)なんや。  それで何か、心持ち(あえ)ぎ気味になってきて、これはヤバいと俺は(あせ)った。  このまま基本3Pコースやったらどないしよ。トミ子さえおらんかったら、元気になった記念に一発やっといてもええかなあ、えへへ、みたいな話やけどや。今はヤバい。嫌やもん、俺。 「あっ、や、やめて、アキちゃん。俺、まだ、しんどいから」  思わず(こば)むと、アキちゃんは()れた顔をした。そして、俺を離して、ごめんなって言った。  いや、ごめんな事ないねん。ほんまは抱いてて欲しいんや。畜生(ちくしょう)。なんでこんなことに。  おのれトミ子、化け猫め。食われてもタダでは消えへんていうことなんか。お前は俺の中から出られへんのか。永遠にこのままってことないよな。  俺が脂汗(あぶらあせ)かいてトミ子に()くと、猫は出られるえ、って、けろっと言った。  そして、ドロンとアキちゃんの背後に現れた。  俺はそれを見て、ぱくぱくしてた。黒猫が、ていうか、バニーガールの猫版みたいな、バニー服着たネコミミ女が、長い尻尾(しっぽ)ゆらゆらさせながら、アキちゃんの背後に横になってた。  その顔がな、あのブスやないねん。俺の顔やねん。それにどこか姫カットも混ざってる。いろいろ混ざってるらしいねん。  アキちゃん、これ、見えてへんよな。まさか見えてないよな、って、俺はぱくぱく通りこして、あわあわしてきた。 「どうしたんや、亨。アホみたいな顔して」  (やさ)しく笑いながら、アキちゃんは鬼みたいなことを言うた。 「う、う、うしろ……見てみて」  俺は怖かったけど、意を決して指さしてみた。  アキちゃんは、なんやろっていう顔で、後ろを振り返って、そしてまた何事もなかったように、俺に向き直った。 「何や。何があるんや」  にこにこしたまま、アキちゃんは俺に(たず)ねた。  見えてへんのや。よかった。ひとまず。良かった……っていうか、何なんやろ、このネコミミ女は。煩悩(ぼんのう)(かたまり)みたいな、この姿は。  俺もこれに、変身できるんやないかって、そういう気がした。もしかしたら黒猫にもなれるんかもしれへん。  俺って、もしかして、食うたやつの姿とか要素を、取り込んで生きてきたんやないか。今の姿は、そうやって食らってきたもんの中からチョイスした自己ベストで、まだまだバージョンアップするわよみたいな感じなんとちゃうか。  アキちゃん、姫カットみたいな和風が好きやし、もしかして、これもありかって、俺は汗かきながら、横たわるネコミミ女を見た。  猫部分、要るんかって謎やけど、アキちゃん猫も好きやし、案外、好きなんか、これ。萌えるんか。和風にしましたみたいな俺顔の、さらさら姫カットの、ネコミミ女。  えええ。それは、また一段と世界が拡がりすぎる。小出しにせなあかんよ、小出しに。先行き長いんやから。 「お邪魔やったら、うちはヨソへ行っとくけど、そう遠くには行かれへんえ」  Eカップぐらいが(まぶ)しい、太腿(ふともも)()き出しのえろえろタキシードの女が、京都弁でそう言った。  お前は、トミ子なんか。トミ子・改か。変わりすぎやろ。和装のブスのほうが耐えやすかった。  けど、俺が過去に食らってきたはずの、他の連中は、どこへ行ったんやろ。もしかして、ゆっくり溶け合って、ひとりになってもうたんかな。なんか、そんなような気がする。  食いたいと思って食うたら、その相手はいなくなってしまう。せやから、いくら好きでも、アキちゃん食うたらあかんねん。アキちゃん、いなくなってしまう。そう思って我慢(がまん)してきたんやった。  て、いうことは、トミ子もそのうち消えてまうんやろ。それには、どれくらいかかるんやろ。 「心配せんでも、うちはしばらく居るわ。命が九個もあるから」  俺に似た美声でそう教え、ゆらゆら尻尾振りながら、ちゃんと二本足で歩いて、トミ子は部屋を横切っていった。  痛いわあていう顔で、それを見送る俺を、アキちゃんは不思議そうに見てた。 「まあ、せいぜい、ごゆっくりお楽しみやす。前と何が違うのん。うちが見てようが、なんも気にせんと、いちゃいちゃいちゃいちゃしてたやないの。見た目がちょっと変わっただけやろ、ブサイクな猫やったんが、自分そっくりの女に」  そうやけど、それは大きな違いやで、トミ子。  だって。もし俺がアキちゃんと抱き合うて、気持ちよくなってたら、お前はどういう状態になってんの。  想像するだに鼻血ブーやわ。想像させんといて、俺に。かといって目の前で見せるのもやめといて。ナルシズムの極致やわ。なんか、それ、エロすぎへんか。いくら俺でも、ヤバないか。 「どしたんや、青い顔して。まだ、寝といたほうがええんやないか」  アキちゃんは心配そうに俺の顔を見た。 「平気、たぶん平気……それはそれで」 「それはそれで、って、何が」 「俺、元気になった。復活したで、アキちゃん」  もう気にしてもしゃあない。俺はぽかんとしてるアキちゃんにがしっと抱きついた。

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