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9-7 トオル

 なんのこっちゃというリアクションやったけど、アキちゃんはそれでも抱きしめてくれた。  ううん、気持ちいいと俺は思った。それに同意する声は、今回はなかった。トミ子もいちおう、気遣(きつか)ってくれてんのか。  変なことになった。でも、まあ、ええか。  俺も生きてて、トミ子も生きてる。いつかは消えるんかもしれへんけど、それでも、友達食い殺したわけないらしいから、それはそれで、ええか。 「アキちゃん、いっぱい抱いて。その前に俺、なんか食いたい。風呂も入りたい。でもその前にもっとキスもしたい」  うにゃあんと甘えて、俺はアキちゃんにすりすりした。俺、ちょっと、猫入ってへんか。平気か、気のせいかな。  アキちゃんもそんな感じがするんか、おお、よしよしみたいに、猫可愛がりやった。それはそれで美味しいか。  ちゅうちゅうしてくれるアキちゃんにうっとり来ながら、生きててよかったと俺は思った。  アキちゃんと抱き合ってキスするの、めちゃくちゃ気持ちいい。  けど、その前に、(ひげ)()ってやればよかった。なんか、やつれてて、可哀想(かわいそう)。  おかんがまだ家にいるというんで、俺は挨拶(あいさつ)せなあかんと思って、リビングに行こうとした。アキちゃんは俺に、(はだか)やでって大あわてで言ってた。  ああ、そうやったって思って、俺はなんか着るもんないかて辺りを探した。そしたらな、おかんが買うてくれてたバスローブがな、なんでか一滴の血にも染まらんと、ふかふかのまま残ってた。(そで)を通すと気持ちよかった。  それでリビングに出ていくと、おかんは喜んでくれた。  いやあ、亨ちゃん、良かったわあて、にこにこ(うれ)しそうに笑ってくれて、(まい)ですら、感激したように涙ぐんでた。  ていうかお前、なんでそんなゴスロリ服やねんて、俺はツッコミ入れたかった。新たな萌えでアキちゃんを誘惑しようという戦法か。  去れ、植物系。そんなもんより俺の新ネタ・ネコミミタキシードのほうが萌えに決まっている。本物のしっぽがあるんやで。  まあ、そんな水面下の戦いはさておき、俺とアキちゃんは居住(いず)まいを正すべく、久々にふたりで風呂に入った。  ついでに気持ちいいことは残念ながら省略やった。おかんが居るしな。  一人ずつ入るって主張したアキちゃんが、今さらなに言うてますのんていう、若干(じゃっかん)冷たいおかんの声に一蹴(いっしゅう)されて、二人で入ることになったんやけど、あの時ほど早風呂なアキちゃん、今まで見たことなかったわ。真面目に風呂入る以外、一切行っておりませんみたいな、そういう事なんやろな。ものすごテキパキ風呂入ってたわ。  そしてキッチンに作り置いてあった和食そのものの飯を、みんなで食った。舞は食えへんらしくて、お前は水でも吸っとけと、優しい俺様が超おいしい水道水をくれてやった。  その飯を、誰が作ったんか、アキちゃんは分かってないみたいやった。鈍い男や。でも、美味(うま)いわ言うて食うてたわ。おかんか舞が作ってくれたとでも思うたんかな。でも、ふたりとも、料理はでけへんらしいで。  だからトミ子が作っといてくれたんやろ。元気になったら腹減るやろうって、これから食われて死のうという女がやで、飯作っといてくれるなんて、ほんま泣かせる。  お前はさすがや。俺が男やったら()れてる。男やけどな。でも俺は基本的に男のほうが好きな男やから。そうやなかったらヤバかったな。ブスとデキてまうところやった。  生きていくのに必要はないけど、トミ子が作ってくれた肉じゃがは美味かった。肉じゃがはこう作れ、みたいな味やった。もしかしたら俺も、今はそれと同じもんが、作れるんかもしれへん。トミ子とフュージョンしたんやからな。  とにかく、あたかも家族のごとく食卓を囲んで、みんなで飯を食い、今後のことについて相談した。  大阪ではまだ、人死にが続いてるらしい。  俺が助かって、ああ良かったみたいな一件落着気分でいたアキちゃんは、またどん底に落ちてた。  でももう、なんも心配することあらへん。悪い犬なんか、俺が一捻(ひとひね)りで片付けてやるから。  リベンジしたるで、勝呂瑞希(すぐろみずき)。死に(ぞこ)ないのお前に、俺が引導(いんどう)渡したる。  おかんと舞が帰っていった後、アキちゃんは無口やった。  わざわざ残しといてもらったアキちゃんの(ひげ)を、俺が()ってやった。  別に深い意味ないねんけど、心配かけたし、いっぱい面倒みてもろたから、そのお返し。俺もアキちゃんの世話してやりたくなったんや。 「それでなんでウェット・シェービングやねん」  ちょっと泣きそうな顔で、アキちゃんは俺の膝に頭を乗せて、シーツも何もかも入れ替えたベッドに寝っ転がってた。その喉を反らせて、ぴかぴかの剃刀(かみそり)で泡ごと()ると、なんかもう、ひいーって感じ。  切れたらどうしよ。手が(すべ)ったら大怪我(おおけが)やでえ。そういうピンチ感が俺にはたまらん。しびれるねん。  そう。単なる俺の趣味。  これなあ。好きやねん。昔、理髪店で床屋さんごっこしてた事があってな。その時に病みつきになってん。おっさんが大好物やからなあ、パラダイスやったわ。  まあ、そんな話は、アキちゃんには秘密やけどな。いろいろ(さら)けだしてるようでいて、俺は秘密でいっぱいなんやで。  そのほうがええやん、アキちゃんも、お前のこともっと知りたいって、ドキドキするやろ。鬱々(うつうつ)してるようにも見えるけどな、まあ、それはまあ、アキちゃんの性格やから、しゃあないな。  刃物の感触に、身が(ちぢ)むらしいけど、アキちゃんはそれでも眉間(みけん)(しわ)寄せて、大人しく()らせてた。大人しくしてへんかったら、切られるかもしれへんもんな。 「電気のやつやったらあかんのか……」  それでも、ぶつぶつ文句言うアキちゃんの伏し目がちな顔を、俺はにこにこ見下ろした。 「あかんなあ。これでないと萌えへんわ」 「お前の趣味が、俺には理解でけへん……」 「ええねん、そんなん理解せんでも。アキちゃんはその初心(うぶ)な感じがええんやから」  初心(うぶ)って、と、胡座(あぐら)かいた俺の(ひざ)の上で不満そうでいるアキちゃんの顔を、めちゃめちゃ熱いタオルで()()ししてやって、熱い熱いて言うてるのを押さえ込みながら、俺は笑って見てた。  平和やな。平和に戻れて良かったわ。  明日からはまた、激しい日々かもしれへんけど、それでも今夜は平和に二人で過ごしたい。  長かったなあ、この三日間。もしかしたら、そのずっと前から。  あの犬がアキちゃんの前に現れて、くんくん鳴き始めた頃から、俺はほったらかしにされてたからな。  ほんま(ゆる)(がた)い。俺はマジで死ぬほどつらかった。  けど、しゃあないなあとも思う。モテる男に()れたツケやで。しかも相手は人外ばっかり。アキちゃんも、普通の女にモテるだけならラクやったのになあ。  息でけへんやんて、怒ったような薄赤い顔で、俺の手を払いのけたアキちゃんに笑いかけて、俺は上機嫌ににこにこしてた。  アキちゃんはちょっと()せたけど、相変わらず男前やった。実は俺もお前を、顔で選んだんやけど、鈍いから気づいてへん。  言わんとこ。言ったらきっと気にする。気にしても、しょうがないことを。  今はアキちゃんの、何もかもが好きや。たとえエレファントマン並みのすごい特撮顔でも、俺はぜんぜんかまへんで。そのほうがむしろラクなんちゃうか、寄ってくる奴が少なくなって。  それとも、そんなこと、実はぜんぜん関係ないんかな。アキちゃんがモテるのは、別の理由なんやから。  俺だけのものでいてって、そんなことは贅沢(ぜいたく)かもしれへんけど。  いつまでも、離さんといて。俺だけを抱いててほしい。それが祈るだけ無駄な願いでも、俺は心底そう祈ってた。誰にか、わからへんけど。もしかしたら、アキちゃん本人にかな。  俺を、裏切らんといて。もう二度と、傷つけんといてくれ。  自分にとって、俺がどんだけ大事か、アキちゃんが思い知ってくれてるといい。  そうだといい。それが俺の期待や妄想(もうそう)でなく、ほんまのほんまやったら、それを力にして、俺は生きていける。永遠に、アキちゃんとふたりで、幸せに。  これがそんな長い物語の、まだまだ出だしの話だといい。あの頃は、大変やったなあって、ふたりで笑って思い出せるような。  その時、どんな波瀾万丈(はらんばんじょう)が、俺とアキちゃんを待ち受けてるか、さっぱり見当もつかへんけど、俺は別に怖くない。信じてる。その時もふたりで、手をとりあって戦う。自分がそういう物語の、主人公やってことを。  実際のところ、どうやろ。  それは読んでのお楽しみやで。  うっふっふと、俺は笑った。アキちゃんはそんな俺を見て、しゃあない奴やという、困ったような顔で笑った。  そしてふたりで酒飲んで、スタートレックの続き見て、いつも通り寝た。いつも通りって、どういうことか、すでに皆さんおわかりやと思うけど。楽しい夜やったわ。  そして俺は戦う力を(たくわ)えた。  敵はまだ大阪にいた。  行くでえ大阪。俺様の真の力を見せてやる。 ――――第9話 おわり――――

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