64 / 103

10-3 アキヒコ

 どっかで聞いたことあるような。そうや、俺の声なんとちゃうか。録音したら、あんな声やったわ。  まさか俺、悩みすぎてブチキレて、無意識に独り言言ってんのかって、怖くなってきて、(おそ)(おそ)る顔を上げたら、目の前にある画面の中で、サーベル(ゆか)について、キリッみたいな顔やったはずの写真のおとんが、にこにこしてた。 「お前は俺に似て、気ぃ弱い男やなあ」  そんな息子が可愛いわっていうノリで、おとんはデレデレ言っていた。  写真やで。写真が(しゃべ)ってる。大丈夫か、俺の頭。もう、ぶっ飛んだ後か。そう考えたきり頭まっしろになって、俺はあんぐりと写真を見てた。  そういえば、と、しばらくして思った。俺、この写真に上書きしたわ。傷とか、色あせてんのとかを、綺麗(きれい)に直してから、おかんに渡してやろうと思って、けっこう念入りに修復(レタッチ)かけた。  それって……絵描いたことになるんとちゃうか。俺が絵に描いた疫神(えきしん)が、世間(せけん)に出てきて悪さするっていうんやから、この写真も、まさか、まさかとは思うけど、まさか、って。まさにな、そのまさかやったんや。  よいしょって、写真の中のおとんは、撮影用の椅子(いす)から立ち上がって、とことこ画面の手前まで歩いてくると、にゅるっと画面から出てきた。  俺は椅子(いす)からコケそうになり、実際コケた。真っ青な顔して、フローリングの床に椅子ごとコケてる俺を、ぱりっとした軍服でキメキメのおとんは、軍帽(ぐんぼう)の角度直しながら、なにやっとんねん、大丈夫かみたいな目で見下ろしてきた。  実寸大やないか。一分の一スケール秋津暁彦(あきつあきひこ)やで。おかん帰ってもらってて正解やったわ。俺はまず、それを思った。そんな小さい男やった。 「久しぶりやなあ。半年も実家に戻らんと、親不孝(おやふこう)やで。お登与(とよ)寂しがっとるやないか」  コケてる俺の(そば)に、胡座(あぐら)かいて座って、おとんはものすご親しげに話しかけてきた。どう見ても海軍コスの俺やった。  亨もおらんでよかった。あいつ、これ見たら、何言い出すかわからへん。 「半年もって……半年……そうやけど、なんで知ってるんや」 「なんでって、正月に帰ってきて、あっというまに去ってたやないか。えらい顔の綺麗(きれい)(しき)連れて」  そうやけど、それは事実やけどっていう話をさらっと話されて、俺はちょっと震えてきた。  なんで、知ってるんや、おとん。亨の顔まで。  まさか、実家におるんか、おとんは。み、見たんか、まさか。その、いろいろ、あれとか、これとか。俺と亨が、やってたことを。 「あの子ええなあ。可愛いで。お登与(とよ)の次くらいに」  自分に言い聞かせる呪文みたいに、おとんは最後のところを言った。本心なんかどうか、自己暗示くさかったで。 「い、いるんか。家に。おったんか、正月……」  自分でも自分が気の毒なくらい、俺の声は上擦(うわず)ってた。 「おったよ。話したやろ。お前が、なんとかしてくれ神様て言うから、無理やなあ、って、返事してやったやないか」  天井裏におるやつや。  昔からおるねん、俺の部屋の上とか、廊下の天井板の上とかに、うちには何かおるんや。  俺が悩んでると、そいつが何かアドバイスしてきたりするねん。  俺は聞こえないつもりでおったで。どこの世界に困ると天の声がアドバイスしてくる家があるんや。  その()はきっとお前が好きなんやで、男なら突撃(とつげき)やとかな、いらんねん、そんなアドバイス。自分で考えさせてくれ。  しかもそれが、おとんやったんか。()(がた)い。我慢(がまん)の限界を超えてる。プライバシーの侵害や。 「誰が神様やねん……」  俺は頭を抱えてうめいた。 「神様になってもうたんや。戦争で死んだやろ。英霊(えいれい)はみんな神になったんや」  けろっとして、おとんは言った。英霊(えいれい)って、そうなんやろけど。知らんかったで、そんなん、俺は。たぶん、おかんも知らんかったんやで。だって、知ってたら、帰りを待ってたりするわけない。 「なんで、おかんに会うてやらへんかったんや」  なぜか俺は(うら)みがましい口調やった。  実際ちょっと(うら)めしかった。  俺はずっと、自分にはおとんは()らんのやと思って育ってきたんやで。()るやろけど、どこの誰ともわからへん。  ちゃんと、おとんのいる友達がうらやましかったわ。相談したいような事かて、あったかもしれへん。  俺がそういう目で見たんやろ。おとんは、ちょっと、困ったなあみたいな顔で笑ってた。 「それがなあ、ちょっとマズかったんや。戻ってくるのに手間どってもうてな、気がついたら、おっさんになっててん」  おとんの話に、俺はまたぱくぱくした。  そうや、そういえば、天の声はおっさんみたいな声やった。 「せやのに、お登与(とよ)は、あんなんやろ。()ずかしいてなあ。会わせる顔がなかったんや」 「そ、そんなに(くず)れたんか」  まさか禿()げたとかか。それは聞いとかなあかんで。俺にとってはものすごい大問題やで。 「いやあ、そら、まぁ、年とともになあ……いろいろあるわなあ」  ぼかして言って、にこにこしている目の前のおとんは、どう見ても俺と同い年くらいや。 「けどな、もう心配いらへんで。アキちゃんのお(かげ)でな、俺もこのように、(あざ)やかに若返ったから。これで晴れて、お登与(とよ)にも、胸張って、ただいまって言えるわ」  ちょっぴり()れますねみたいな笑みを、おとんは浮かべてた。俺の顔してデレデレせんといてくれ。 「ちょっと待て、おかんのとこ行く気なんか」  (たず)ねる俺の顔には血の()がなかった。 「行け言うたんお前なんやぞ」  思わず止める口調になってた俺に、おとんは(みょう)なやつやという顔をした。 「い……行くな、行ったらあかん」 「なんでや。ダディがおらんようになるんが(さび)しいんか」  お前も可愛いてたまらんという目で、俺は見られた。自分に。いや、おとんに。 「誰がダディや!!」  思わず絶叫する俺を見て、おとんは、あっはっはと楽しそうに笑った。 「実はなあ、戦争で死んだあと、なんで神国(しんこく)ニッポンが鬼畜米英(きちくべいえい)ごときに(やぶ)れなあかんのやろ思ってな、敵情視察(てきじょうしさつ)にアメリカのほう行っとったんや。そしたらなあ、すっかりアメリカかぶれしてしもて。美味(うま)いでぇ、本場のハンバーガー」  おとんは(なつ)かしそうに、しみじみ言った。腹減ってるみたいやった。  アホなんか俺のおとんは!

ともだちにシェアしよう!