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10-3 アキヒコ
どっかで聞いたことあるような。そうや、俺の声なんとちゃうか。録音したら、あんな声やったわ。
まさか俺、悩みすぎてブチキレて、無意識に独り言言ってんのかって、怖くなってきて、恐 る恐 る顔を上げたら、目の前にある画面の中で、サーベル床 について、キリッみたいな顔やったはずの写真のおとんが、にこにこしてた。
「お前は俺に似て、気ぃ弱い男やなあ」
そんな息子が可愛いわっていうノリで、おとんはデレデレ言っていた。
写真やで。写真が喋 ってる。大丈夫か、俺の頭。もう、ぶっ飛んだ後か。そう考えたきり頭まっしろになって、俺はあんぐりと写真を見てた。
そういえば、と、しばらくして思った。俺、この写真に上書きしたわ。傷とか、色あせてんのとかを、綺麗 に直してから、おかんに渡してやろうと思って、けっこう念入りに修復 かけた。
それって……絵描いたことになるんとちゃうか。俺が絵に描いた疫神 が、世間 に出てきて悪さするっていうんやから、この写真も、まさか、まさかとは思うけど、まさか、って。まさにな、そのまさかやったんや。
よいしょって、写真の中のおとんは、撮影用の椅子 から立ち上がって、とことこ画面の手前まで歩いてくると、にゅるっと画面から出てきた。
俺は椅子 からコケそうになり、実際コケた。真っ青な顔して、フローリングの床に椅子ごとコケてる俺を、ぱりっとした軍服でキメキメのおとんは、軍帽 の角度直しながら、なにやっとんねん、大丈夫かみたいな目で見下ろしてきた。
実寸大やないか。一分の一スケール秋津暁彦 やで。おかん帰ってもらってて正解やったわ。俺はまず、それを思った。そんな小さい男やった。
「久しぶりやなあ。半年も実家に戻らんと、親不孝 やで。お登与 寂しがっとるやないか」
コケてる俺の傍 に、胡座 かいて座って、おとんはものすご親しげに話しかけてきた。どう見ても海軍コスの俺やった。
亨もおらんでよかった。あいつ、これ見たら、何言い出すかわからへん。
「半年もって……半年……そうやけど、なんで知ってるんや」
「なんでって、正月に帰ってきて、あっというまに去ってたやないか。えらい顔の綺麗 な式 連れて」
そうやけど、それは事実やけどっていう話をさらっと話されて、俺はちょっと震えてきた。
なんで、知ってるんや、おとん。亨の顔まで。
まさか、実家におるんか、おとんは。み、見たんか、まさか。その、いろいろ、あれとか、これとか。俺と亨が、やってたことを。
「あの子ええなあ。可愛いで。お登与 の次くらいに」
自分に言い聞かせる呪文みたいに、おとんは最後のところを言った。本心なんかどうか、自己暗示くさかったで。
「い、いるんか。家に。おったんか、正月……」
自分でも自分が気の毒なくらい、俺の声は上擦 ってた。
「おったよ。話したやろ。お前が、なんとかしてくれ神様て言うから、無理やなあ、って、返事してやったやないか」
天井裏におるやつや。
昔からおるねん、俺の部屋の上とか、廊下の天井板の上とかに、うちには何かおるんや。
俺が悩んでると、そいつが何かアドバイスしてきたりするねん。
俺は聞こえないつもりでおったで。どこの世界に困ると天の声がアドバイスしてくる家があるんや。
その娘 はきっとお前が好きなんやで、男なら突撃 やとかな、いらんねん、そんなアドバイス。自分で考えさせてくれ。
しかもそれが、おとんやったんか。耐 え難 い。我慢 の限界を超えてる。プライバシーの侵害や。
「誰が神様やねん……」
俺は頭を抱えてうめいた。
「神様になってもうたんや。戦争で死んだやろ。英霊 はみんな神になったんや」
けろっとして、おとんは言った。英霊 って、そうなんやろけど。知らんかったで、そんなん、俺は。たぶん、おかんも知らんかったんやで。だって、知ってたら、帰りを待ってたりするわけない。
「なんで、おかんに会うてやらへんかったんや」
なぜか俺は恨 みがましい口調やった。
実際ちょっと恨 めしかった。
俺はずっと、自分にはおとんは居 らんのやと思って育ってきたんやで。居 るやろけど、どこの誰ともわからへん。
ちゃんと、おとんのいる友達がうらやましかったわ。相談したいような事かて、あったかもしれへん。
俺がそういう目で見たんやろ。おとんは、ちょっと、困ったなあみたいな顔で笑ってた。
「それがなあ、ちょっとマズかったんや。戻ってくるのに手間どってもうてな、気がついたら、おっさんになっててん」
おとんの話に、俺はまたぱくぱくした。
そうや、そういえば、天の声はおっさんみたいな声やった。
「せやのに、お登与 は、あんなんやろ。恥 ずかしいてなあ。会わせる顔がなかったんや」
「そ、そんなに崩 れたんか」
まさか禿 げたとかか。それは聞いとかなあかんで。俺にとってはものすごい大問題やで。
「いやあ、そら、まぁ、年とともになあ……いろいろあるわなあ」
ぼかして言って、にこにこしている目の前のおとんは、どう見ても俺と同い年くらいや。
「けどな、もう心配いらへんで。アキちゃんのお陰 でな、俺もこのように、鮮 やかに若返ったから。これで晴れて、お登与 にも、胸張って、ただいまって言えるわ」
ちょっぴり照 れますねみたいな笑みを、おとんは浮かべてた。俺の顔してデレデレせんといてくれ。
「ちょっと待て、おかんのとこ行く気なんか」
訊 ねる俺の顔には血の気 がなかった。
「行け言うたんお前なんやぞ」
思わず止める口調になってた俺に、おとんは妙 なやつやという顔をした。
「い……行くな、行ったらあかん」
「なんでや。ダディがおらんようになるんが寂 しいんか」
お前も可愛いてたまらんという目で、俺は見られた。自分に。いや、おとんに。
「誰がダディや!!」
思わず絶叫する俺を見て、おとんは、あっはっはと楽しそうに笑った。
「実はなあ、戦争で死んだあと、なんで神国 ニッポンが鬼畜米英 ごときに敗 れなあかんのやろ思ってな、敵情視察 にアメリカのほう行っとったんや。そしたらなあ、すっかりアメリカかぶれしてしもて。美味 いでぇ、本場のハンバーガー」
おとんは懐 かしそうに、しみじみ言った。腹減ってるみたいやった。
アホなんか俺のおとんは!
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