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10-4 アキヒコ

 今、俺の心の中で何かが激しく壊れる音がしてる。  知らんかった、俺もおとんに夢見てたんや。  おかんが()れるんやから、どんな格好いい男なんやろって、どっかで期待してたんや。妹に()れるような、そんな変態くさいおとんなんか要らんと思ってたけど、実はどっかで夢持ってたに違いないわ。  胸に()めてた、そのピュアな感じの夢が、今、ガラガラ音を立てて(くず)れ落ちていってる感触(かんしょく)がするで。 「まあでも、美味(うま)いからいうて、あれはあかんわ。毎日食うてたら、えっらいことになる。お前も気つけなあかんで、せっかく俺に似て男前なんやからな、ジュニア」 「誰がジュニアやねん!!」  俺はもう、泣きそうやった。 「しゃあないやん、おんなじ名前なんやから、(まぎ)らわしいやろ。俺もアキちゃんやったんやで」 「今は俺がアキちゃんや……」  頭痛くなってきてな、俺はくらくらしながら、顔ごしごしして、おとんと向き合って(ゆか)に座ってた。 「そうやろ。せやから俺がダディや」 「おとんでええやろ」  俺が泣きつく口調で言うと、おとんは、ふっふっふと笑った。 「しゃあないな。ほな、おとんでええわ」  にやにやしてる顔見てると、自分がハメられたような気がした。俺におとんと呼ばれて、おとんは(うれ)しそうやった。またさっきの、ちょっと()れたような顔で、俺をじっと(なが)めてた。 「アキちゃんなあ、困ってんのやろ、今。可哀想(かわいそう)に、しんどいなあ。おとんが力貸してやろ」  (うなず)いて、おとんは優しいようにそう言い、持ってたサーベルを、すらりと抜いた。白銀(はくぎん)の、かすかに剣の先の反った、美しい刀身(とうしん)やった。なんや、まるで、水でも(したた)ってくるような、(うる)んだ質感のある剣や。 「この太刀(たち)の名前はな、水煙(すいえん)やで。秋津家、伝来(でんらい)の家宝や」 「太刀(たち)とちゃうやろ、サーベルやろ」  俺がツッコミ入れると、おとんは刀身を見たまま、笑って(うなず)いた。 「そうや、サーベルやけど、元々は太刀(たち)やってん。伊勢(いせ)刀師(かたなし)(たの)んで、サーベルに打ち直してもらったわ。めちゃめちゃ不本意そうやったけどな、まあ、しゃあないわ」 「そういう時代やったからか」  戦争中やったんやから、って、そういうニュアンスやと俺は思った。けど、おとんはにやにやして答えた。 「いいや。サーベルのほうが格好(かっこう)ええからな。軍服着て、太刀(たち)()いてたら、なんか、いまいちやろ?」 「いまいちって……そんな理由で、家宝を作り替えたんか」 「そうや。格好(かっこう)ええやろ?」  本気で言うてるらしく、部屋の白色灯の光でも、きらりとまばゆく輝く水煙(すいえん)刀身(とうしん)を、おとんはうっとりと笑って見てた。  俺はもちろん、開いた口がふさがらへんかった。 「道具なんてなあ、そんなもんやねん。使う人間が、格好ええなあ、これにはきっと力があるて思える形やったら、なんでもええねん。形に力があるわけやない、それに力があるて、信じる人間の心の持ちように、力があるんや」  おとんは、もっともらしく俺に解説してた。 「水煙(すいえん)は、元々、隕鉄(いんてつ)やったらしい。空から降ってきたて、先祖伝来の(いわく)由来(ゆらい)にはそう書いてある。すさまじき光とともに天より来たりしものらしいわ。それを伊勢の刀師(かたなし)、つまり刀鍛冶(かたなかじ)がやな、太刀(たち)に打ったところ、刀身(とうしん)から水煙(みずけむり)を発したとある。ほんで、名前が水煙(すいえん)なんや。(くら)探してみ、今でも箱だけあるわ」  天井を()くように(かま)えていた剣を、おとんは無造作(むぞうさ)(ひざ)の上に抜き身のまま置いて、窮屈(きゅうくつ)なんか、軍帽(ぐんぼう)()ぐと、座っている(わき)の床に置いた。そうしてみると、髪型まで何となく俺とそっくりやった。  旧海軍の軍人やから、丸坊主かと思ってたけど、違うんや。 「肝心の水煙(すいえん)は、俺と共に海の底に沈んだ。せやけどな、アキちゃん、いつかお前にも、これが要るやろて思て、これだけは持って帰ってきたんや。水煙(すいえん)の、(たましい)だけは」  受け取れというように、おとんは真面目な顔で、水平に構えたサーベルを、俺に差し出した。 「この太刀(たち)には実体がない。でもきっと、お前なら(にぎ)れるやろ。俺の息子やからな。秋津の直系の末裔(まつえい)やで」  きゅうに、ずしりと重い話をおとんがしてた。俺は、かすかに反りのある、金色の装飾のあるサーベルの黒い(つか)を、おとんの手が握ってるのを、じっと見つめてた。 「水煙(すいえん)は、代々、秋津の当主となる男子が受け継いできた。この太刀(たち)を振るい、家を守り、国を守るために戦うのが、俺の(さだ)めやったし、今ではお前の(さだ)めや。家を()げるのは、もうお前しかおらんのやしな。それに……」  動こうという気配もない俺に、おとんはじれたんか、胡座(あぐら)かいた(ひざ)の上にあった俺の手を、いきなり(にぎ)ってきた。熱いような感触が、あるような、ないような、不思議な手やった。  おとんはそのまま、自分が握ってた(つか)を、俺の手に押しつけてきた。水煙(すいえん)は、それこそほんまに、()えたぎる湯のような、それでいて、ひやりと心地よく()れたような、(なぞ)めく感触やった。  その触り心地に、俺は覚えがあった。  これは亨に、()れた時の感触と同じ。勝呂(すぐろ)に手を握られた時にも、似たような感触がした。  それはきっと、怪異に、あるいは神に、触れた時の感覚なんやろう。この世のものではない、異界の何か。怖気立(おぞけだ)つような、それでいて、心地よいような、身のうちのどこかが、()さぶられるような感覚。 「それにお前には今まさに、これが必要や。水煙(すいえん)は、神殺しの太刀(たち)やで。人の身では殺せん神やら鬼やらを、水煙(すいえん)()ることができる」  鋭利(えいり)に光る切っ先を見つめて、おとんは教えてくれた。俺はその話にも、怖気立(おぞけだ)つような感じがしてた。  なんでやろ。手に握らされた水煙(すいえん)が、一瞬、激しく(さわ)いだ気がしてん。  さあ、やろか、ひさかたぶりに。神さん食おかて、(よろこ)んだようやった。  その喜悦(きえつ)は、握った(つか)から、俺にも伝わってきた。  鬼でも食おか、病み(くず)れて死ぬしかない、可哀想(かわいそう)なあいつを。ひと思いに()ったろか。美味(うま)いでえ、きっと、あいつの血と肉は。水煙(すいえん)がそう、俺に(ささや)いてた。  それはほんまに剣の声やったんやろか。俺の内心の貪欲(どんよく)が語る、本音の声やのうて。 「神殺しなんて、人にはでけへんて、おかんは言うてたで。破廉恥(はれんち)やて……」  (つか)から手を離したいて、そう思いながら、俺はおとんに(たず)ねた。せやけど、水煙の(つか)(こしら)えは、まるで俺の手に吸い付くようやった。 「そうやなあ、アキちゃん。お前も俺も、似たもの親子で、破廉恥(はれんち)(きわ)まりないわ。神様殺したらあかん、それはほんまのことや。お登与(とよ)は女やさかい、そう教えられて育ったんや。せやけどな、暁彦(あきひこ)、男には、殺さなあかん時もある。ほかにどうしようもない時や、()けがたい(いくさ)があるやろ。それがどんだけ破廉恥(はれんち)でも、殺さなあかん神はおるんや」  (しず)まり(たま)えで(しず)まらんような、病み(くず)れて(たた)る神や鬼はな、もはや始末におえん。殺すしかないんやて、おとんは俺に話した。

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