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10-5 アキヒコ
剣を握らされた俺の手を、おとんの手が、覆 うように包んでいた。
おとんが勝呂 のことを言うてるって、俺にはすぐに分かった。水煙 が囁 くあいつて言うのも、勝呂 のことやろ。
あいつはもう、助からへんのかって、俺はおとんの目に訊 ねてた。
おとんはそれに、皮肉 に笑った。
「無理やなあ、それは。俺の力では。お前の力でもやで、アキちゃん。もっともっと前やったらなあ、簡単になんとかなったやろ。疫神 はもともと、弱りや悪心 に憑 く神や。傷ついてたり、飢 えてたり、嫉妬 してたりな、そういう気の弱りに憑 いて、どんどん力を増す神さんやで。あないなことになる前になあ、アキちゃん、お前が優しゅうしてやったらよかったんや」
諭 すおとんは、親の顔やったけど、話す内容は、とてもやのうて、親が息子に教えるような話やなかった。
「ときどき抱いてやったらよかったんやんか。式 にしてくれ言うんやから、してやったらよかった。可愛い子ぉやんか。亨ちゃんもええけど、あの子も良さそうやで。なんというても若いしなあ。二番目の式 として、可愛がってやったらよかったんや。きっとお前の役に立ったで」
おとんは、秋津 の男なら、普通はそうするもんやという口調やった。
「俺にはでけへんわ……そんなことは」
おとんにじっと見られて、俺は無意識に、そう答えてた。
それもええなて、正直、思ったことはあるはずや。なんかの本能みたいなもんが、俺の中にあって。
せやけど、そんなことしたら、亨が泣くやろ。あいつ、すぐ泣くし。それに俺も、もしあいつが俺やない他の誰かと抱き合うてたら、めちゃめちゃつらい。格好悪いから、泣かへんけど、でも、泣くほどつらいわ。
亨をそんな目に、遭 わせたらあかんやろ。罰 当たる。あいつ、神様らしいやんか。
俺にはもう、罰 が当たった。亨が死にそうになるやなんて、俺にはもう、罰 当たってる。
「そうやろなあ、お前にはでけへんわ。惚 れてもうてたらなあ、無理やろ。そんなお前に、秋津の跡取 りが勤 まるんかどうか、怪 しいとこやけどなあ。幸 い、昼の日中 から、とっかえひっかえ抱いてやらな辛抱 たまらんような荒々 しいのんは、もう、みんな死んでしもうたわ。俺と一緒に太平洋の藻屑 や。あの戦 で、みんな俺が使うてしもた」
深いため息をついて、おとんはちらりと背後の扉 を見た。
「せやから、それも有りやろ。秋津には、蛇 が一匹、予備 は無し。あれが、それだけ強い神なら、それでもいけんことはないやろ。こんな世の中やしな。皆が血流して戦う必要のない、まあまあ平和なご時世 やからな」
おとんは、にやにやして、俺にそう言うた。
「お堅 いなあ、ジュニアは。開眼 したらな、モテるでえ、お前は。まさにパラダイスや。蛇 一匹のために、それをふいにするんか。隠 れてやったらええねん。隠れる必要も、ほんまはないんやで。それがお前の仕事なんやしな。お登与 かて、褒 めてくれるで。アキちゃん、立派になって、まるでお兄ちゃんみたいやわ言うてな」
軽口 をきく、おとんの口調にはめちゃめちゃ毒があった。かつて、この男が生身で息しとった時、いったいどんな生活してたんやって、俺は想像しかけて、想像したないわって思い、その葛藤 でわなわな来てた。
おとん。寝てたんか。おかんという者がありながら。モテモテやったんか。昼日中 からやりまくりか。
それは、実家でか。あの実家。上は欄間 で声は筒抜 けの、あの古い日本家屋で、とっかえひっかえモテまくりか。
想像したらあかん。想像したらあかんわ、それは。こいつ俺とおんなじ顔してんねんから。背格好 どころか指の形まで一緒やんか。生き写しっていうか、クローン並みやで。ほとんど本人なんやで。
それでそんな想像したらあかんやろ。黙 っといてくれ、俺の想像力。
「お登与 がな、俺の写真に愚痴 って、やっぱり血は争えへんのやろかて言うてたわ」
言わんといてくれて願ってる俺の気も知らず、おとんはしみじみ話してた。
「恥じらいもなく式 とべたべたして、お前はいやらしいて、お前のおかん言うてたで」
おとんは俺を殺しにきたんや、きっとそうやて、俺は思った。脳死する直前にな。
「せやけどな、それは別に恥 やないで。そういうもんやねん、秋津の男は。俺もそうやったわ。やめられへんねんなあ、あれは。お登与 は俺にはただ一人の女やて、心に決めてあったもんやから、男ばっかりやったけどな」
ちょっと待て、おとん。そんな話、聞いてない。今初めて聞いた。おかんは何も言うてへんかったで。
俺はあまりの話に脳死から再起動してた。
「お、おとん……お前、近親相姦 だけで飽きたらず、男とやってたんか……」
「そうや」
むちゃくちゃけろっとして、おとんは即答 やった。豆腐 は大豆 からできてるんやろ。うん、そうや、みたいなノリやったで。
「へ……変態そのものやないか!」
「何を言うんや、ジュニア。お前もおかんに惚 れてる身でやな、綺麗 な男拾 ってきて、毎晩毎晩やりまくってるやないか。おとんには見えてるんやで、神様やからな。お前ちょっとネチっこすぎやないか、いくら好き同志でもな、恥じらいってもんがあるやろ。式にあんな声出させて……」
「言わんといてくれ!」
でも結局全部言い終わってたおとんに、俺は絶叫 して頼 んだ。その現実を俺に直視 させんといてくれ。せっかく平気になってきてたのに、我に返ったら、また振り出しに戻ってまうやないか。
「往生際 悪いなあ、お前は。やることやっておきながら……」
感心したように言うおとんに、俺は言葉もなかった。言葉もなく崩 れ落ちてた。
見てたんや、おとん。見てたやなんて。
まさか、おかんもやないよな。おかんは人間なんやもんな。見てへん、見てるわけない。見んといてくれて、俺は必死で自己暗示かけてた。
そんな俺を、おとんはくすくす笑って眺 めてた。
「アキちゃんなあ、大差ないて。惚 れてもうたら。男も女も、人も鬼も、神さんでもやで。居直らなしゃあない。でないと、相手が可哀想 やろ。お前に惚 れてる自分が恥ずかしいて言われたら、誰かてつらいで?」
おとんが俺に説教 垂 れてたらしいことに気がついて、俺は呆然 としてた。
「神さん泣かしたらあかんよな。秋津の守り神やからな。大事に大事にせなな。お前が好きや、愛しいてたまらんて言うてやるから、式 は気持ちよく働けるんやろ。そうやなかったら切ないやろなあ、好きなんは、自分だけやて、そういう片想いやったら。それで死ぬようなやつも、おるんやろ? どないすんねん、ジュニア。そんなお前の甲斐性 無しで、何人食われてもうたんや」
顔をあげて俺が見ると、おとんは俺とそっくりな顔で、皮肉 なにやにや笑いやった。
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