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10-6 アキヒコ
この人は、俺が面白くて、笑ってるわけやないって、その時は言われんでも分かった。
皮肉 なもんやなあ、分かるわ俺も。そういう覚 えがあるわ、って、おとんはそんな顔してた。
「どうしたらええんやろ、俺は」
どうしたらええんやって、俺はたぶん生まれて初めて、おとんにすがりついてた。
「殺さなしゃあないなあ、鬼は。鬼退治やで、アキちゃん。お前が引導 渡してやり。愛しいお前に斬 られて死ぬなら本望 やて、鬼でも思うかもしれへんわ」
「そんなことがあるやろか……」
俺は自分が、それほどの男やない、そんな自信ないわって、そういう意味で言ってた。おとんはそれが、分かってるみたいやった。
いつもそうやった。うちの天の声は。口に出して愚痴 ったり悩んだりせんでも、おとんはいつも俺のことが分かってるみたいやった。たぶん、神様やからやろ。
それとも、ほんまの血の繋 がった親やからかな。
「なったらええやん、それほどの覡 に。水煙 は斬 った神さんを消してまうんやない、食らうんや。それで、どんどん切れ味を増す。そういう武器やねん。せやから、そいつも、水煙 に斬 られて死ねば、お前とずっと一緒にいられるわ」
それで犬は幸せでした。めでたし、めでたし、ってことになれば、万々歳 やけどなって、おとんは慣 れたふうな口調で言った。
せやけど明るい顔ではなかったで。きっと、おとんも鬼を斬 ったことある。そういう気がした。
でもそれは、とりあえず今、ジュニアの口から訊 くような話やない。いつか、俺がおとんと、対等に話せるような日が来たら、ちょっと訊 いてみようかなって、思う程度で。
「アキちゃん、剣道習ってたやろ、中学生くらいまで」
おとんは何もかも見てたでっていう感じで、俺の子供時代の話をしてた。
「なんで、やめてもうたんや。秋津の当主には剣術の心得 が必須 なんやで?」
軟弱 やなあお前はっていう目で、おとんは俺を見た。
「やめさせられたんや、おかんに」
その理由は確かに、この上なく軟弱 くさい。でも嘘 ついてもしゃあないし、俺は正直に吐 いた。
「中一んときに、俺に告 ってきた女とちょっと付き合ってから振 ったら、そいつに惚 れてた奴が三年におって、竹刀 でめちゃめちゃに殴 られてん。面 つけてへんかったから、顔に傷できたって、おかんが逆上 して、道場ごと潰 したんや」
そうとしか思われへん。
幽霊というか、妖怪みたいな、変なモンが出るいうて、道場は急激に廃 れてもうて、人っ子一人おらんようになった。それで師範 が、よそへ行きます言わはって、京都を去ったんや。
俺をタコ殴 りにした三年は、なんかこう、ちょっと人には言えんようなトラブルが男の子の器官に生じ、療養 のためということで、しばらく学校を休んでた。
そいつの親が、平身低頭 してうちの嵐山 の家の玄関先 で、一週間くらい土下座 生活をし、俺が、あれはさすがに酷 すぎるんやないかって、おかんに恐 る恐 る言うたら、次の日におらんようになってた。
まさか死んだんちゃうか、って、俺はビビったけど、例の先輩はそのうち学校に来た。教室に土下座 しにきて、それからもう二度と俺とは目も合わせへんかった。
その話を、俺は掻 い摘 んでおとんに話した。
「えぐいなあ、お登与 は。俺が留守 にしてる間に、そんなえげつない出来事が……。まあ、居っても見てるだけしかでけへんのやけどな」
おとんは、本気で怖 そうに言った。
「憶えときや、ジュニア。俺は神様やから、助けてくれて祈ってもらった時しか、助けられへんのや。困ったら、祈ったらええんやで」
いちいち祈らへんわ。気をつけなあかん、うっかり神頼みせんように。いちいちこんなん出てきたら、たまらんわ。
「ほんなら、なんで今回は祈ってへんのに出てこられたんや」
「なんでって。ひどい事言うやないか。祈ったやんか、お前。神でも仏でも悪魔でも、何でもええから助けてくれて、祈ってたやないか。あんなん言うたらあかんで、ほんまに悪魔来たらどないすんねん。食われてまうで。おとん大明神 にしとき」
それも悪魔の部類 やないのか。
俺は後々 、ちょっとそう思った。おとんが俺をある意味食ったからやった。
あのな。変な話やからな、ものすご淡々 と言うわ。そうでないとヤバいような気がするねん。深く考えたらお終 いや。
おとんは俺に、水煙 の使い方を教えたるって言うた。
剣道習ってたんやったら、まだ何とか素養 はあるやろ。ただの剣やし、型は別になんでもええねん、斬 ればええんやから。
せやけどな、お前も秋津の男やろ。見かけが大事や。
剣はな、猿 が棒 振り回すんやないんやから、剣に恥じない技 で使 うてやらなあかん。つまり格好 良くな。せやのうたら、水煙 が拗 ねる。そういう剣やねん。自分で相手を選びよる。嫌われたらな、触 らせてもくれへんで。
厳 しいでって、おとんに教えられて、マジかと思って思わず目を落としたサーベルの柄 を、俺の手はちゃんと掴 んでた。ものすごく軽いような感じもしたけど、ずしりと重いようでもある、その熱い手触りを、俺の指はちゃんと感じ取ってた。
うふふ、と剣が笑ったような気がした。
剣てな、男なんか、それとも、女なんか。そんなこと、今までの人生で、いっぺんも考えたことなかったわ。
でもあの時、それが無性 に気になった。
水煙 、お前はどっちやねん。まさか男なんとちゃうか。男なんやろ。なんかそんな気がするんや。
やめてくれ。俺はまともでいたいねん。
亨が好きなんは、たまたまや。勝呂 もたまたま男やっただけや。
だって顔が綺麗 やったんや。お前も綺麗 やなあ、水煙 て、確かに思うけど、第一印象としては好きやけどやな、それはちょっとどうやろ。剣やったら亨にばれへんのか。でも、俺はその、悪い秘密を持ってますみたいなのに、もう耐えられへん。
男でも女でもええけど、剣と、その使い手っていう一線を、なんとしても守ってくれへんか。ちゃんと毎日手入れするし、なんか要るもんあったら買うてきたる。だから、水煙 、俺も愛してくれって言わんといてくれ。俺にこれ以上、無茶なことさせんといてくれ。
「自惚 れたらあかんで、ジュニア。水煙 はそんな青臭いやつやない。何年生きとると思うてんのや。こいつは神さんやで。お前の師匠 みたいなもんや。剣の指図 に、おとなしゅう身を任 せたらええねん」
それってどういう意味。
「剣と一体になるんや」
せやからそれはどういう意味やねん。
おとんは、言葉ではうまく言われへんていう、困ったような顔をした。そして、しゃあないなあ、よっこらしょ、みたいなふうに、ゆっくり立ち上がった。
「教えよか」
それしかないわと頷 いて、おとんはまだ床にへたりこんでた俺の、水煙 を預 けられて、おろおろ見上げてる顔を見おろしてきた。
それから、おとんはちょっと、にやりと笑った。もしかするとそれは、おかんが時々やるのと、そっくりな笑い方やった。
「変な声出さんといてや、俺もさすがにそれはどうやろって思うから」
毒気 たっぷりに言い置いて、おとんは俺の額 の、眉間 の上あたりに人差 し指を押し当てた。
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