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10-8 アキヒコ
「アキちゃん……アキちゃんが……二人おる」
「あれは俺のおとんや」
お前、盗み聞きしてたんやったら、知ってんのやろって、俺はぷんぷん亨に言った。
にこにこしてる俺のそっくりさん軍服バージョンを、亨がこころなしか、目をキラキラさせて眺 めてたから、腹立ってきたんや。
「アキちゃんのおとん……格好 いい」
「俺よりか。俺より格好 いいって言いたいんか!」
一瞬でまた沸点 に達してた俺に、ガミガミ言われて、亨は青い顔して、ひっと呻 いてた。俺のことも、ちょっと怖いらしかった。
「そんなことない。アキちゃんのほうが格好 ええよ。俺はアキちゃん一筋 やんか。怒らんといて、お願いやから」
俺の脚 にすがりついてきて、亨は必死で言うてた。
可愛いやつ。そんなお前も可愛い。って、なんでそんな事、俺がモノローグせなあかんねん。
「口に出して言うたらええのに。お前も時には声を上げんと……」
外野席 くさい立ち位置から、おとんはぼそっとアドバイスしてきた。もうやめてくれ、天の声。
「水煙 、お前も言うてやり。亨くん、可哀想 やろ。泣きそうな顔してるやんか。俺はもっと優しい男やったけどなあ。お登与 の血のせいやろか。きっとそうやで、あいつ、怒ったら怖いんやでえ。俺かて、想像するだに小便 ちびりそうやわ」
そんな近似値 の誤差 を競 い合ってどないするんや。
ていうか、どういう関係やったんや、おとんとおかんは。尻 に敷 かれとったんか、おとん。これまたジュニアのピュアな想像がガラガラ大崩壊や。
あかん。ジュニアて言うたらあかん。おとんの世界観に飲み込まれたら、もう終わりや。
「大事にしてやらなあかんでって、俺がお前に話してる時な、この子、ちょっと涙出てたで」
亨を指さして、おとんがしれっと暴露 した。
亨はそれに、びくうってしてた。
「泣いてへん、ちょっと泣きそうになって涙出てただけや!」
同じやろ……。
「可哀想 になあ、ほんまに。でもそんなに涙脆 うて、秋津の守り神勤 まるんか。お前しかおらんのやで。まあ、水煙 おるから、ええようなんもんの。せやけど水煙 は一人では動かれへんからなあ。もっと強い式 が要るってことになったら、お登与 も俺も、お前に遠慮 したりせえへんやろ。暁彦 に言うて、もっと強いの探させよか。ほかにもう一人二人、従順 で働き者なやつが、おってもええんやないやろか……」
どう聞いても虐 めてるとしか思われへん口調で、おとんはにやにや亨に言ってた。亨はそれに、ますます青い顔になってた。
「そ、そんな……。俺、アキちゃんのためなら何でもやるし、そんなこと言わんといて」
亨は俺から引き離されるとでも思ってんのか、慌 てて腕にすがりついてきた。
でも、おとんは多分、亨をからかってんのやろ。こいつは必死すぎて、それがわからへんのや。
にやにや面白そうにしてる、おとんの目が、可愛いやつやていう表情で亨を見てるのに、俺は気がついてた。そして何となく、モヤモヤしてた。
おとん。用事済んだんやったら、はよ帰れ。
なんでお前が、俺の亨をいたぶってんのや。確かにこいつは、からかうと面白いようなところあるけどな、それやっていいのは、俺だけなんやないやろか。なんかそういう気がするんやけど。
「暁彦 盗 られんのが嫌なんやったら、粉骨砕身 して秋津のために働いてくれ。ええな、分かったな?」
式神はこう使えみたいなデモンストレーションやった。たぶん、そういうつもりなんやろ。おとん的には。
でも、俺はな、こいつにそんなん、したくないねん。
こんな青い顔して、カタカタ震えてるのを、見るのはもう嫌や。
俺の腕を掴 んでる亨の指が、微かに震えてた。
病気の時に、寒いて言うて震えてたのに、それはよく似てた。これはもう、俺にはトラウマになってるんやと思うわ。嫌な気持ちになった。亨が可哀想 で。
「知らんわ、家なんて。俺は秋津の人間やないからな」
むかっと来て、俺がそう言うと、おとんは横車 に虚 を突 かれたような顔をした。
「えっ。なんやて。何を言うんや、お前は」
「俺は本間暁彦 やもん。おかんがな、俺の戸籍 作るとき、弟子 の本間 さんの名字 借りたんや。秋津の家継ぐ覚悟できるまで、姓 は名乗らせへんて言うてな」
おとんはそれを、知らんかったらしい。ぎょっとしてた。
神様かて、万能やないらしい。俺が剣道やめた事も、知らんかったようやし、俺が秋津暁彦 やないことも、知らんかった。おとんが完全無欠に正しいわけやない。俺より先を歩いてるだけや。
いずれ追いつく。先に出た言うてもやで、おとんは二十一歳で早々 と死んでもうたんやろ。その後は死んで英霊 かもしれへんけど、こっちは永遠に生きられるんやで。おとんに対抗して、生き神様目指したる。
「お前はお登与 と俺の一人息子なんやで」
それがどうしたみたいな事を、おとんはちょっと必死で言うてきた。いい気味や。格好 悪い。
「い……家はどないするつもりや」
「知らんわ、俺は。もうそんな時代やないと思うけどな」
ほんまはそこまで思ってへん。おかんが家を大切に守ってることは、俺も子供のころから、よく承知 してた。せやから、至 らない跡取 りである自分のことが、ずっとつらかったんやないか。
でも、知るかて言うたら、おとんがまたぎょっとしたので、俺は最高にいい気味やった。
てめえ亨を虐 めやがって。ほんまにもう許せへん。俺以外のやつが、こいつに痛め見せるんは。
俺は時々、亨の天然ボケに強めにツッコミ入れすぎて、痛いアキちゃんて涙目にしてもうたりするけどやな、それはしゃあない、ツレやから。でも第三者がやったらあかんわ。
「どんな時代やねん、今の日本は」
おとんはそれを、よく知らへんみたいやった。
留守 なことがあるんやったら、ずっと家に居 るわけやないんやろけど、それでも浦島 太郎みたいな顔してた。
「知らんのか、おとん。世の中のことも見いひんと、どうやって家守るんや。とっととカミングアウトして、おかんと旅行でも行け。留守番くらいなら、俺がやったるから」
それが筋 やろ。おかんを何年待たせてるんや。
ずっと家に居 ったくせに、こそ泥 か、天上裏のネズミみたいに息ひそめたりして。そのくせ、気の向いた時にはこっそり親父面 してみせたりして。せこいねん。俺に似て。
「そんな、旅行やなんて……」
呆然 と呟 くおとんは、むちゃくちゃ行きたそうやった。
それって、超フルムーンか。それとも、おかんの一人旅なんか。どっちでもええけど、おかんが家を空けることは今まで滅多になかったし、もしかしたらあの人も、京都の盆地を出たことないようなお姫 さんのままなんやないか。それで山の向こうには鬼が棲 んでるて、そんな昔ながらの感覚で、俺を都 に閉じこめようとしてたんちゃうか。
行ったらいいねん。どこへでも行け。熱海 でもハワイでも。ふたりで行け。俺には亨が居るから平気や。ぜんぜん平気。亨が居るし。亨が居るから。
かなり無意識に歯を食いしばってるような感じがしたけど、それには敢 えて触れんといてほしい。
しゃあない、おかんが好きなんは俺やのうて、おとんやねん。この海軍コスプレの近親相姦 男。サーベル持って俺の部屋の天井裏にとりついてた変態のおっさんや。
俺がおとんの写真を修整 してやったおかげで、やっとおかんも長年の待ちぼうけを終わりにできる。俺がおかんを幸せにしてやれるんや。
それで手を打っとこう。
亨が居るから。って、それはもうええか。
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