69 / 103

10-8 アキヒコ

「アキちゃん……アキちゃんが……二人おる」 「あれは俺のおとんや」  お前、盗み聞きしてたんやったら、知ってんのやろって、俺はぷんぷん亨に言った。  にこにこしてる俺のそっくりさん軍服バージョンを、亨がこころなしか、目をキラキラさせて(なが)めてたから、腹立ってきたんや。 「アキちゃんのおとん……格好(かっこう)いい」 「俺よりか。俺より格好(かっこう)いいって言いたいんか!」  一瞬でまた沸点(ふってん)に達してた俺に、ガミガミ言われて、亨は青い顔して、ひっと(うめ)いてた。俺のことも、ちょっと怖いらしかった。 「そんなことない。アキちゃんのほうが格好(かっこう)ええよ。俺はアキちゃん一筋(ひとすじ)やんか。怒らんといて、お願いやから」  俺の(あし)にすがりついてきて、亨は必死で言うてた。  可愛いやつ。そんなお前も可愛い。って、なんでそんな事、俺がモノローグせなあかんねん。 「口に出して言うたらええのに。お前も時には声を上げんと……」  外野席(がいやせき)くさい立ち位置から、おとんはぼそっとアドバイスしてきた。もうやめてくれ、天の声。 「水煙(すいえん)、お前も言うてやり。亨くん、可哀想(かわいそう)やろ。泣きそうな顔してるやんか。俺はもっと優しい男やったけどなあ。お登与(とよ)の血のせいやろか。きっとそうやで、あいつ、怒ったら怖いんやでえ。俺かて、想像するだに小便(しょうべん)ちびりそうやわ」  そんな近似値(きんじち)誤差(ごさ)(きそ)い合ってどないするんや。  ていうか、どういう関係やったんや、おとんとおかんは。(しり)()かれとったんか、おとん。これまたジュニアのピュアな想像がガラガラ大崩壊や。  あかん。ジュニアて言うたらあかん。おとんの世界観に飲み込まれたら、もう終わりや。 「大事にしてやらなあかんでって、俺がお前に話してる時な、この子、ちょっと涙出てたで」  亨を指さして、おとんがしれっと暴露(ばくろ)した。  亨はそれに、びくうってしてた。 「泣いてへん、ちょっと泣きそうになって涙出てただけや!」  同じやろ……。 「可哀想(かわいそう)になあ、ほんまに。でもそんなに涙脆(なみだもろ)うて、秋津の守り神(つと)まるんか。お前しかおらんのやで。まあ、水煙(すいえん)おるから、ええようなんもんの。せやけど水煙(すいえん)は一人では動かれへんからなあ。もっと強い(しき)が要るってことになったら、お登与(とよ)も俺も、お前に遠慮(えんりょ)したりせえへんやろ。暁彦(あきひこ)に言うて、もっと強いの探させよか。ほかにもう一人二人、従順(じゅうじゅん)で働き者なやつが、おってもええんやないやろか……」  どう聞いても(いじ)めてるとしか思われへん口調で、おとんはにやにや亨に言ってた。亨はそれに、ますます青い顔になってた。 「そ、そんな……。俺、アキちゃんのためなら何でもやるし、そんなこと言わんといて」  亨は俺から引き離されるとでも思ってんのか、(あわ)てて腕にすがりついてきた。  でも、おとんは多分、亨をからかってんのやろ。こいつは必死すぎて、それがわからへんのや。  にやにや面白そうにしてる、おとんの目が、可愛いやつやていう表情で亨を見てるのに、俺は気がついてた。そして何となく、モヤモヤしてた。  おとん。用事済んだんやったら、はよ帰れ。  なんでお前が、俺の亨をいたぶってんのや。確かにこいつは、からかうと面白いようなところあるけどな、それやっていいのは、俺だけなんやないやろか。なんかそういう気がするんやけど。 「暁彦(あきひこ)()られんのが嫌なんやったら、粉骨砕身(ふんこつさいしん)して秋津のために働いてくれ。ええな、分かったな?」  式神はこう使えみたいなデモンストレーションやった。たぶん、そういうつもりなんやろ。おとん的には。  でも、俺はな、こいつにそんなん、したくないねん。  こんな青い顔して、カタカタ震えてるのを、見るのはもう嫌や。  俺の腕を(つか)んでる亨の指が、微かに震えてた。  病気の時に、寒いて言うて震えてたのに、それはよく似てた。これはもう、俺にはトラウマになってるんやと思うわ。嫌な気持ちになった。亨が可哀想(かわいそう)で。 「知らんわ、家なんて。俺は秋津の人間やないからな」  むかっと来て、俺がそう言うと、おとんは横車(よこぐるま)(きょ)()かれたような顔をした。 「えっ。なんやて。何を言うんや、お前は」 「俺は本間暁彦(ほんまあきひこ)やもん。おかんがな、俺の戸籍(こせき)作るとき、弟子(でし)本間(ほんま)さんの名字(みょうじ)借りたんや。秋津の家継ぐ覚悟できるまで、(せい)は名乗らせへんて言うてな」  おとんはそれを、知らんかったらしい。ぎょっとしてた。  神様かて、万能やないらしい。俺が剣道やめた事も、知らんかったようやし、俺が秋津暁彦(あきつあきひこ)やないことも、知らんかった。おとんが完全無欠に正しいわけやない。俺より先を歩いてるだけや。  いずれ追いつく。先に出た言うてもやで、おとんは二十一歳で早々(はやばや)と死んでもうたんやろ。その後は死んで英霊(えいれい)かもしれへんけど、こっちは永遠に生きられるんやで。おとんに対抗して、生き神様目指したる。 「お前はお登与(とよ)と俺の一人息子なんやで」  それがどうしたみたいな事を、おとんはちょっと必死で言うてきた。いい気味や。格好(かっこう)悪い。 「い……家はどないするつもりや」 「知らんわ、俺は。もうそんな時代やないと思うけどな」  ほんまはそこまで思ってへん。おかんが家を大切に守ってることは、俺も子供のころから、よく承知(しょうち)してた。せやから、(いた)らない跡取(あとと)りである自分のことが、ずっとつらかったんやないか。  でも、知るかて言うたら、おとんがまたぎょっとしたので、俺は最高にいい気味やった。  てめえ亨を(いじ)めやがって。ほんまにもう許せへん。俺以外のやつが、こいつに痛め見せるんは。  俺は時々、亨の天然ボケに強めにツッコミ入れすぎて、痛いアキちゃんて涙目にしてもうたりするけどやな、それはしゃあない、ツレやから。でも第三者がやったらあかんわ。 「どんな時代やねん、今の日本は」  おとんはそれを、よく知らへんみたいやった。  留守(るす)なことがあるんやったら、ずっと家に()るわけやないんやろけど、それでも浦島(うらしま)太郎みたいな顔してた。 「知らんのか、おとん。世の中のことも見いひんと、どうやって家守るんや。とっととカミングアウトして、おかんと旅行でも行け。留守番くらいなら、俺がやったるから」  それが(すじ)やろ。おかんを何年待たせてるんや。  ずっと家に()ったくせに、こそ(どろ)か、天上裏のネズミみたいに息ひそめたりして。そのくせ、気の向いた時にはこっそり親父面(おやじづら)してみせたりして。せこいねん。俺に似て。 「そんな、旅行やなんて……」  呆然(ぼうぜん)(つぶや)くおとんは、むちゃくちゃ行きたそうやった。  それって、超フルムーンか。それとも、おかんの一人旅なんか。どっちでもええけど、おかんが家を空けることは今まで滅多になかったし、もしかしたらあの人も、京都の盆地を出たことないようなお(ひい)さんのままなんやないか。それで山の向こうには鬼が()んでるて、そんな昔ながらの感覚で、俺を(みやこ)に閉じこめようとしてたんちゃうか。  行ったらいいねん。どこへでも行け。熱海(あたみ)でもハワイでも。ふたりで行け。俺には亨が居るから平気や。ぜんぜん平気。亨が居るし。亨が居るから。  かなり無意識に歯を食いしばってるような感じがしたけど、それには()えて触れんといてほしい。  しゃあない、おかんが好きなんは俺やのうて、おとんやねん。この海軍コスプレの近親相姦(きんしんそうかん)男。サーベル持って俺の部屋の天井裏にとりついてた変態のおっさんや。  俺がおとんの写真を修整(レタッチ)してやったおかげで、やっとおかんも長年の待ちぼうけを終わりにできる。俺がおかんを幸せにしてやれるんや。  それで手を打っとこう。  亨が居るから。って、それはもうええか。

ともだちにシェアしよう!