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10-9 アキヒコ
「帰れ、おとん。嵐山 へ。用事あったら呼ぶから」
むちゃくちゃ尊大 に、俺は言うてたけど、おとんはただ、ぼんやり難しい顔して、眉間 に皺 寄せて、頷 いただけやった。
たぶんイメージトレーニング入ってる。どうやって再会しようかな、どうしたら格好 ええかな、みたいな想像や。わかるんや、俺には。親子やから。
そんなんやめろ、おとん。考えても無駄や。格好 良くなんかでけへん、ほんまに好きなんやったら。格好 悪いおっさんでも良かったのに。アホやなあ、ほんまに、俺もおとんも。
「ほな俺は行く。せやけど平気か、ついていかへんでも。ひとりで戦えるんか、ジュニア」
「戦える、俺はもう二十一やで。それに、ひとりやない。亨も居るし、それにこの剣も貸 してくれるんやろ」
水煙 の白銀 のきらめきを、俺が示すと、おとんはちょっと、名残惜 しそうに笑った。
「それは、貸 したんやない。お前に譲 ったんや。俺にはもう、武器は必要ない。お前のために持って帰ってきたんや」
「知ってたんか、俺が生まれたこと」
何となく引っかかるそれを、俺はおとんに訊 ねた。おとんは、こくこくと頷 いた。
「知ってたで。お登与 がそう言うてた。跡取 り息子を、しかと孕 んだて。時局 もあるから、産むのはしばらく待つて言うてた。せやから産声 上げるんは、俺が死んだ後やろうってな」
回想 する目で、おとんは俺を見ていた。俺と亨を。そして水煙 もかもしれへん。遠い時代から、こっちを眺 めてるような目やった。
「俺と同じ名前をつけてくれって、お登与 に頼 んだんや。もし俺が死んでたらやけど。生きて帰れたら、別の名前を俺が決めるからて、約束してな」
「なんて名付けるつもりやったんや。もし生きてたら」
それが俺の、本当の名前なんやないかって、俺は驚 いた。おとんはそれに、ちょっと困った顔で笑ってた。
「考えてへんかったわ。生きて帰れる戦やなかった。せやからお前は、秋津暁彦 やで。いつか気が向いたら、俺の続きを生きてくれ」
おとんは、おかんだけやのうて、もしかしたら、俺のことも愛してたんやないかって、そういう予感がした。そんな目を、その時おとんはしてた。
どういう感じか、俺にはそれが分からへん。俺はもう死ぬ、それでも息子がひとりいるって、そう思う感じが。
なんせ俺は永遠に生きる。それにまだ二十一やった。まだ父親になるような歳やないわという感覚やった。そして、俺にはそれぐらいのお年頃が、この先永遠に続く羽目 になったんや。
アキちゃんはな、お登与 とお前のために死んだんやでって、水煙 が余計なことを言うてた。お前は俺を泣かせようとしてんのか。やめろ、そういう事は。そういうキャラやないんや、俺は。格好 悪いやろ。
ほな、よろしゅうお頼 み申 しますと、おとんは水煙 に別れを告げた。
心配いらへん、任 しときと、水煙はそれに答えたきり、あたかも本物の剣のように、しいんと沈黙した。おとんが、すうっと透 けるように消えて、画面の中の白黒写真に、きりっとした姿がまた戻った時を境 にして。
もしかすると俺にはまだ、水煙 に口をきかせるだけの力がないのかもしれへんかった。剣の心は感じたけど、俺の前では水煙 は、無口なやつやった。
せやけど単に、気のきいた奴やっただけかもしれへん。
俺の腕を掴 んだまま、亨がもじもじ立っていた。
なんかそれが気まずくて、俺は亨の手を解 かせ、書斎 の床に置かれたままやった水煙 の鞘 を取りにいって、その中に淡 く濡 れたような刀身 をおさめた。
鞘 の装飾 も綺麗 やった。綺麗 な剣やと、俺が心底褒 めると、水煙 は声とも無い声で、うっとり笑ったようやった。
振り返ると亨が、それを恨めしげな上目遣 いで見てた。
「殺すんか、あいつ……」
勝呂 のことやろ。亨は訊 きにくそうに訊 いてきた。
「わからへん、行ってみないと」
「殺さなあかんて、おとんも言うてたやないか」
亨は静かに、駄々 をこねてた。でも俺と、目を合わせようとしなかった。
「そうやな。それくらいの覚悟 で行かなあかんのやろうな」
「アキちゃんが嫌やったら、俺がやる。何やったら、家で待っててくれてもええねんで。あいつ殺ってこいって、俺に命令して、家でのんびりしてたらええやん。映画でも観て、のんびり……」
もじもじ言うてる亨は、俺をもう勝呂 に会わせたくないらしかった。
そういう気持ちは、俺にもよく分かった。俺も亨には、前になんやかんやあったような相手と、もう会ってほしくない。別に平気やて信じてても、嫌な胸騒 ぎがする。
まして、平気なんやろかって、心配してたら、なおさら嫌やろ。
「そうはいかへん。俺の責任なんやから、俺が行く」
「そんなん言うて、もしもの事があったら、どないすんねん。刀一本もらったくらいで、強くなったつもりなんか」
非難する口調の亨に、水煙 がかたかた鍔鳴 りしてた。
不満なんやろ。失礼な蛇 やって、思ってるんや。俺にはそれが、手に取るように分かった。
「俺にやらせて。リベンジやんか。アキちゃんの敵 う相手やないんとちゃうか。心中 してやるつもりなんか、あいつと。それは……それは、どうやろ。いい考えやとは、俺には思われへんけど」
俺に反論するのが、亨にはつらいらしかった。
たぶん、俺の式 として、まだ捕 らわれてるんやろ。
戦えって、命令してくれたら勝てたんやでって、亨はベッドで血まみれのとき、言い訳みたいに何度も言うてた。あんな犬、俺の敵やないんや。簡単に勝てたんやで、アキちゃんさえ、そうしろって言うてくれてたら。俺も無能やないんやでって、亨はずいぶん必死みたいやった。
別にええのに。お前が無能でも。そのほうがええやんていう気もする。そしたらもう、危ない目に遭 わせることもないやろし。
それでも、結局、亨は俺の式 で、こいつを戦わせるしかない。
因果 な話やで。なんか俺って、いわゆるその、美人局 みたいやないか。ほんまに情けない。
おとんが自分の式 の話をするとき、ものすご毒のある笑みやった理由が、俺にはそのとき、なんとなく読めた。
抱いてほしいて強請 られるから、抱いてやらなしゃあない。それと引き替えに、式 は働く。戦って死ねて命令されたら、戦って死ぬ。そうして自分だけ生き残る。そういうのが、おとんはつらかったんやろ。あれは自嘲 の笑みやったんや。
俺もつらい。亨を戦わせて、自分は家でのんびりなんていうのでは。
俺も戦う、その必要があるときは。
ヘタレで何の役にも立たへんかもしれんけど、俺は後悔してる。なんであのとき、ぼけっと突っ立ってたんやろって。
勝呂 が亨を襲 ってる、それをぼけっと立ちすくんで見てた。何とか助かったから、良かったようなものの、もしもあのまま亨が死んでたら、俺は惨めやったやろ。
助けるのが無理でも、なんで一緒に死なへんかったんやろって、ずっと思う。俺はあの時、亨を助けてやりたかった。でも、体が動かへんかったんや。
強くなりたいなって、思ったのは久々やった。
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