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10-10 アキヒコ
昔は思ったことあったような気がするで。剣道の道場で俺をボコった気の毒な三年の件とかでな。強なってあいつぶっ殺したるって思ったわ。まあ、実際、おかんのほうが強くて、そんな必要は皆無 やったけど。
せやけど子供の喧嘩 に親が出てくるのは、どうやろ。おかんは過保護 やねん。それに、やりすぎ。俺は自分でやれる。リベンジくらいはな。
「亨、心配せんでええねん。今さらお前以外になびいたりせえへんわ。俺はお前が好きや。何があってもそれは変わらへん。でも、俺は責任感じてるんや。勝呂 のことは、可哀想 やったと思うてる。何とかしてやりたいねん。それは俺の我 が儘 か」
「我 が儘 や、アキちゃん……」
がっくり項垂 れて、亨は即答やった。
綺麗 な顔を歪 めて、亨がううんと呻 いてるのを、俺は困って眺 めた。
「可哀想 って、そんな……あいつが好きやったんか。そうなんやろ。正直に言うてくれ。俺もう、何回もイメージトレーニングしてて、きっと平気やから。嘘 つかんと、ほんまのこと言うて……」
死刑なら死刑って言うてくれみたいな顔で、亨は部屋の中にいる俺に懇願 してきた。
おかんに嘘 ついても無駄 やって、昔からずっと思ってた。バレるからやけど。
不誠実 やろ。嘘 ついて、誤魔化 そうなんて。そんなん、男らしくないて、俺はずっと思ってた。
嘘 ついて、ええ子やなあアキちゃんて言われても、嬉 しくない。悪い子やって、鬼みたいな顔されても、俺はおかんには嘘 つきたくなかったんや。
おかんが好きやってん。嘘 つく男なんやって、思われたくなかった。
好きな娘 居 るんかって、にこにこ訊 かれたら、居 るときには正直に、居 るよって答えてた。
でも、おかんのほうが好きや。ほんまは、おかんのことが好き。
あの娘 のことは好きやけど、ぼんやり好きっていうくらいで、おかんを好きなんとは違う。死ぬほど好きなわけやない。おかんが死んだら、俺も死ぬって、ほんまはずっと、そう思ってたんやけど、それは口に出しては言えへんことやった。
俺はずっと声を殺してた。それがすっかり癖 になってる。
せやけど亨には言うてもええんやないか。
お前が好きやねん。死ぬほど好き。おかんよりも、勝呂 よりも、俺はお前が好きなんや。せやから心配せんでええねん。我 が儘 な気の多い俺を、許してくれって。
試 しにな、俺は言うてみた。
亨は綺麗 な顔を真っ青にして、息でけへんみたいに、ぱくぱくしてた。幸せっていう顔ではなかった。開いた口がふさがらんみたいなな、そんな顔やった。
「お……おかんもか、やっぱりそうなんか、アキちゃん」
しまった。その話、まだしてへんかったっけ。
俺の目は一瞬で遠洋 まで泳いでた。
「勝呂瑞希 とも、どこまでデキてたんや……」
わなわなしてきて、亨は訊 いてきた。Tシャツから出てる白い腕に、なんとはなしに、うっすらと真珠色の鱗 が見えた気がした。
おいおい。ちょっと待ってくれ、亨。まさかお前、また蛇 に化けるんやないよな。そんなもんになって、俺になにする気なんや。
「どこまでって……なんもしてへん」
「駅で抱き合うてた。キスしようとしてたやろ。いっつもしてたんか、大学で……」
わなわな震えてる亨は、綺麗 やったけど、悲しそうな顔やった。
でも鬼みたいやった。めちゃくちゃ怖いような感じがした。
それで俺は思わず伏 し目になった。正視 できへん。なんでやろ。
美しすぎやからかな。たぶん違うな。怖すぎなんや。
「してへん。あれが初回や……」
「しようとしてたんや、やっぱり!」
ドーン、みたいに、その結論を亨は俺に突きつけてきた。
ああ、まあな。よく憶えてへんねんけど。そういう考え方も一説としてはあるな。だってな、なんというか。可哀想 やってん。それだけやで。ほんまに。
「可哀想 やが恋の始まりやないか。俺もお前が可哀想 やから、初対面やのに入れさせてやったんやろ。どないなっとんねん、そこは。あいつ、可愛い顔しとったやないか。ああいうの好きなんか、アキちゃん。女みたいやで、あいつ」
お前もある意味女みたいやんかと、俺は心の中でだけツッコミ入れてたけど、亨にはそれが聞こえてるみたいやった。
「そうや。そうやから、好み系やったんやろ。アキちゃんああいうの好きなんやろ。それで食指 が動いたんやろ。誰でもええんや、顔さえ好きなら! 俺やのうても! あんなポッと出のワン公でもや!」
客観的に見て、俺は亨に激しく罵 られてた。
今まで堪 えてたらしい一言一言が、メガトン級に重い。
言われてもしょうがないけど、お前ちょっと強く言いすぎなんとちゃうかって、俺は思った。俺が凹 むとは思わへんのか。正直ものすご凹 むんやけど。
それでも俺が我慢して拝聴 してると、亨はもっと血の滲 むような事もいっぱい言うて、そのうち息切れしたみたいに、はあはあ黙った。
言い終えた亨は、すっかり傾 いてた。
「悔 しい……俺、こんな目に遭 ったことない。振 られたことないねん……ど、どうしたらええんや、こういう時」
「振 ってない……お前が俺のこと嫌んなったんやったら、しょうがないけど」
俺が何気 ない一般論で応じると、亨はガーンみたいな顔をした。見えない大岩が亨の頭の上に落ちてきてるのが見えたような気がした。なんやそれ。目には見えない隕石 か。
「嫌や……しょうがないなんて。そんなこと言わんといてくれ。しょうがなくないやろ、ずっと……ずっと一緒にいるって、約束してたんとちゃうの」
亨は猛烈 に危険な状態やった。
何がどう危険なんか、言葉では上手く言い表せへんけど。一触即発 って言うかんな。
うっかり変なこと言ってもうたら、このままドカンみたいな、何かそう言う感じ。
猛烈 に危険な壊 れ物。そういう感じ。強いて言うなら爆弾処理班の人のご苦労が偲 ばれるような感じ。
後から思えば、亨とは、爆弾と付き合うてるようなもんやった。それくらいの力を、あいつは内に秘めてたらしい。
俺の返答しだいでは、出町柳 を爆心 に、京都は壊滅 なんてことも、絶対にないとは言えへん。亨は爆発しそうな顔してた。
「約束、したけど……それは、お前が嫌やないんやったらの話やろ」
俺は内心ビクビクしながら、返事してた。格好 つけてる余裕は皆無 やったな。ガタガタ震えてる亨が心底怖くて。蛇 に睨 まれたカエルさんやで。
「嫌やない。嫌なわけないやろ。俺ずっと、頼 んでるやんか。離さんといてて、ずっと必死で頼んでんのに、なんで分かってくれへんのや!」
その一撃で鴨川 寸断 、みたいな衝撃波 を、亨は放った。もちろん、ものの例えやで。とにかくそういう、血の出るような絶叫やった。
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