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10-13 アキヒコ
俺はたぶん、ほとんど寝てたと思う。
酔 いつぶれて寝こける寸前 みたいな感じやった。このまま意識喪失 の、ちょい手前。
亨は顔を上げて、震 えながら俺を見下 ろしてきた。
笑ってへんかった。今にも泣きそうな金の目で、じっと俺を見る亨の顔は、いつもに増 して綺麗 やった。
綺麗 やなあ、お前は。触 ってもええかって、俺は最初に亨を口説 いたときに言うてたらしい。
憶 えてへん。泥酔 してたんや、その時も。
そして、二回目のも、実は憶 えてへん。朦朧 状態やったんや。
おんなじ事を、俺は言って、亨の頬 を撫 でたらしい。
亨はそれに、呻 くような押し殺した苦悶 の声をあげた。
不思議や、そっちは憶 えてる。たぶん俺は、びっくりしたんやろ。何かまた痛いのかと思って。
「アキちゃん……過去形で、言わんといて。俺、つらい」
俺の首にすがりついてきて、亨はそう言った。
「無理や、俺には。アキちゃん殺すやなんて。許すしかあらへんわ」
キスして、抱いてって、亨が求めてた。
せやけど無茶言うなやで、俺は意識失う寸前 やねんから。
それでも亨は妥協 せず、強引 に唇 を合わせて、自分の背を抱く俺の腕にもっと力を込 めさせた。
「好きや、アキちゃん。ずっと俺と一緒にいてくれ。愛してるんや。いつも俺のことだけ見てて。お願いやから」
お願いやって、亨はめそめそ頼 み込んでた。
怖いわ、お前。
浮気したら、俺は、こいつに食われてまうんやって、俺は寝ながらぼんやり思ってた。
怖いなあ、それは。浮気なんかせんとこ。ずっと亨のことだけ見てよ。
こいつが俺を許してくれて、また俺の目が醒 めるんやったら。きっとそうしよう。
眠 り込む闇 の中で、俺はぼんやりとそう決心してた。
その熱い闇 の中でも、亨は真っ白く光るような体で、俺に抱きついてた。それを強く抱き返してやって、めそめそ懐 いてくる亨の柔 らかい髪を撫 でてやりながら、俺はのんびり横たわっていた。
それを脇 で見てる奴が居 った。
頬杖 ついて、しゃがみ込み、じっと呆 れたような顔して、俺と亨を見てる。
そいつは薄青い肌をしてた。人のような形はしてたけど、人ではなかった。
長い髪をしてたけど、それは髪というよりは、なんとなく海の生き物っぽい透 けかたしてて、ところどころ鮮 やかな黄色やった。
熱帯魚みたいやと、俺はその綺麗 な姿を眺 めた。
綺麗 やってん。俺の悪い癖 やな。俺はそいつの臈長 けた人ならぬ美貌 を、じっと見とれて見上げてた。
やがてそいつは、呆 れたという顔そのまんまの声で喋 った。
「アホか、お前らは」
鋭 いツッコミやった。
「なにを激 しくいちゃついとるんや、この時間ない時に。仕事はどないなったんや、ジュニア」
皮肉 な笑みを浮かべて、青い熱帯魚は俺に指摘 した。
その笑い方は、おとんを彷彿 とさせた。剣と一体になるんやと言っていた、俺のおとん。秋津暁彦 。そんで俺がそのジュニア。
ということは、こいつは、と、俺は気づいた。さすがの鈍い俺でも。煙 るような霧 に包まれている、その青白い姿の正体が何か。
「す、水煙 か、お前……」
「そうや。他に誰がおるねん。はよ起きろ。起きられるやろ、ジュニア。それくらいの潜在能力 あるんやろ。とっとと覚醒 して、俺と暴 れようや」
アキちゃん、と、水煙 は意味深 に言って笑った。
亨はごろごろ喉 を鳴らす猫のように、俺に甘えていて、ぜんぜん気づいてへんみたいやった。
「ほんまにもう、ええ加減 にしてくださいやわ。俺が脇 におるのに、まったく気にせずラブシーンか。お前、アキちゃんより無節操 やわ。俺がそういう気持ちいいことはでけへん体やって知った上での狼藉 か?」
俺に抱きついてる亨を、羨 ましそうに流し目で見て、水煙 は小さくチッと舌打ちをした。
しかし立ち上がって遠望 する目つきになった水煙 は、うっとりと妖艶 なような笑みやった。
あおーん、と、水煙は青い喉 をそらせて、犬か狼 の遠吠 えのような真似 をした。
「犬が待ってるで。早う行って、一緒に暴 れよか」
俺を振 るえと、水煙 は誘 った。
そして、起きろ蛇 と鋭 く言って、容赦 ないキックを亨にお見舞 いしてた。
ひどい話や。ぎゃっと言って飛び起きた亨を、俺はとっさに抱き寄せて庇 ったけど、もはや今さらやで。
修行 が足 らへん。こいつを事後やのうて事前に庇 えるようになるまで、まだまだ修行 が必要や。
「お久しぶりで燃えるでえ」
うっとりと、拳 を握りしめ、水煙 は漆黒 の天を仰 いで、そう叫 んだ。
俺と亨は抱き合ってそれを見てた。古い神が咆吼 するのを。そして、それに熱い闇 が、ずうんと重い低音で応 えるのを。
世の中にはまだまだ、俺の知らない怪異 がある。俺の知らない美も。
水煙 を発する神はそのひとつだった。亨は水煙 の麗 しい横顔を見て、むっと顔をしかめ、そして俺を睨 んだ。
「なんやねん、こいつ。俺のほうが美しいわ。そうやろ、アキちゃん」
つねるノリで俺の脇腹 を掴 んできた亨の指にびくうってなりながら、俺は反射的にこくこく頷 いてた。
微妙や。ほんまのところ、甲乙 つけがたい。俺が亨を愛してなかったら、水煙のほうが綺麗 やって思うこともあったかもしれへん。
せやけどその話はタブーやねん。
なんせ俺は亨とは永遠に一緒やけど、水煙 とも長い付き合いになるからやった。亨は俺の式 で、水煙 は剣。どっちが欠けても、俺はいまいち役立たず。
そんなふうに、神さんたちのご機嫌次第 でやっていくのが覡 というもんやから、せめて愛想 良くせんとあかん。
アキちゃん、好きやって、また懐 いてきた亨を抱き寄せて、俺は冷たい目の水煙 に、誠 に申し訳ありませんという視線を向けた。それに水煙 は、ふんと鼻で笑ったが、さすがは大先輩というところか。大目 に見てくれた。
アホやこいつという目で亨を一瞥 し、また遠望 する横顔になった水煙は、震 いつくような美しさやった。
でもその詳 しい話は残念ながらカットや。
俺のツレが怒る。
せやから詳細 は御想像にお任せやけど、とにかく俺はおとんから神剣を受け継いだ。そしてそれは、秋津の家督 を継 いだということでもあったんや。
それで支度 は整 った。長い戦いの日々の始まりやった。
――第10話 おわり――
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