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11-5 トオル

 車が走り出しても、俺はなんや、まだドキドキしてた。  なんでやろ。アキちゃんずっと、このままやったらええな。  今日だけやろか。今だけか。それとも、前よりずっと、俺のこと好きになってくれたんか。  もしそうなら、犬に感謝せなあかんな。お前のせいで死にかけて、それのお陰でラブラブさらに倍増(ばいぞう)やからな。  そんなん聞いたら、あいつどんだけ(くや)しがるやろ。いい気味(きみ)や。 「やりすぎやったかな……」  アキちゃんはまた、反省したようなことを言った。俺はそれに、ぎょっとした。 「やりすぎなことないよ。もっとしてもええよ」 「いや、キスの話やない。さっきのカメラマンや」  (あわ)てて言う俺に苦笑して、アキちゃんは訂正(ていせい)してきた。  ああ、なんや。その件か。俺にとっては、もはやどうでもいい過去の出来事やったわ。 「(すご)いやん。あれも、どうやってやったんや」  つまらん。もうラブラブ終了かって、俺は内心すねて、手に持ったままやった扇子(せんす)をいじいじしてた。 「あいつ、お前を()ったんやと思ったんや」  アホやな俺も、みたいな口調で、アキちゃんは前見たまま話してた。  俺はその話の意味を考えて、目をぱちぱちさせた。 「俺は、写らへんで」 「そうやな。忘れてた訳やないんや。でも、あいつはお前を()ってたと思うんや。それで、むかっときて、つい、何も考えんと、あんなことやってもうた」  怒ったらあかんねん、俺はと、アキちゃんはぶつぶつ言うてた。  昔から、怒ったら教室のガラス割れたり、街灯(がいとう)(はじ)けたりして、面倒なことになるから、今までずっと、出来る限りクールに生きてきた。何されても怒らんように。不愉快(ふゆかい)なものは無視して、無心(むしん)無心(むしん)に。  それがアキちゃんの、何とはなしに()めた感じの正体やったらしい。  まあ、確かにな。ちょっとツレの写真撮られたくらいで、いちいち物壊してたら、普通やないからな。  くすくすと、俺は気恥(きは)ずかしく笑ってた。  アキちゃん、ひとりで運転してたら、あんなの無視して通り過ぎたっていうことなんやろか。俺がいるから怒ったんか。そうか、そうなんや、って、(うれ)しくなってきて、ちょっと()れくさかった。  俺は幸せ者やなあ。アキちゃんに大事にしてもろて。  そんなアキちゃんの(げき)としての力の解放は、どうもその、無心無心の世界からの解脱(げだつ)(かぎ)があったらしい。  アキちゃんはずっと、自分の心に(かぎ)をかけてた。その中にある得体(えたい)の知れん力が、うっかり()れ出て来んように、皆と変わらん、普通の子でいられるようにって、本来の自分を閉じこめてたんや。  そして、その渦巻(うずま)く力がアキちゃんに見せてくれるもののことも、見れども見えずで誤魔化(ごまか)してきた。それがすっかり板に付いてる。  せやけど、運命的な恋によって、それが変わったんや。  俺に恋して、アキちゃんは無心ではいられなくなった。そうとしか思われへん。  俺は、アキちゃんがこの二十一年、固く閉じてきてた心のロックを開けた。やったらあかんて、いつも引っ込み思案(じあん)。そういう性格やったのに、俺のせいでこの(ざま)や。  (ねら)ってやってたわけやないけど、結果としては、亨ちゃんのおかげ。  良かったなあ、アキちゃん。俺のおかげで一人前の(げき)になれて。  まだまだ修行中の身やけど、いい線行くって、おとんも言うてた。  アキちゃんがいい線行くまで、もっともっとラブラブしよか。そしたら力はつくし、俺はうっとりやし、一石二鳥やんか。グッドアイディアですよ。  やっぱアキちゃんには、俺がおらんとあかんわ。  また四日ぶりで俺は、そんな自信が()いてきた。  犬なんか目やない。あんなやつ、ちょっと顔可愛いだけのパソコンオタクやないか。亨様の足下(あしもと)にも(およ)びまへん。  俺は親公認なんやぞ。おかんだけやない、おとんも俺でいいて言うてはったわ。お前なんか殺せってな。どうや(まい)ったか。  それでいい気分になってきて、俺は歌歌いたくなってきた。  音楽かけてもええかって()いたら、アキちゃんが(うなず)いたんで、持ってきてたオーディオプレイヤーを操作して、車のスピーカーに繋いだ。  アキちゃんが発作買いした玩具(おもちゃ)やけどな、欲しいから買うたけど、よう考えたら歩きながら音楽なんか聴きたないし、絵描いてる時に音はうるさい。要らんやんて気がついて、俺にくれてん。  買う前に考えへんのかな、そういうの。俺は使うもんしか買わへんけどな。  とにかくそれに、好きな曲片っ(ぱし)から放りこんである。ビートルズとかな、ウルフルズとか。曲調とびすぎか。でも好きやねん。別にええやん。  便利なもんやで。ビートルズがリアルタイムで流行(はや)ってた頃、世界はレコードの時代やったで。それがカセットテープになって、CDになって、今やネットからダウンロードやからな。  世の中みるみる変わっていく。変わらへんのは、いい歌は歌い()がれるってことだけや。  適当に再生ボタンをいきなり押すと、車のスピーカーから落語(らくご)が流れてきた。アキちゃんはそれに、ぎょっとしてた。なんやこれ、って、ゴキブリでも見つけたみたいな言い(よう)やった。  ひどいわ、アキちゃん。落語(らくご)も知らんのか。ネットで落語もダウンロードできるんやで。ポッドキャストで落語。上方芸能やんか。  大阪の人らは昔から、腹抱えて笑うために、惜しまず金払う人種やねん。アキちゃん、京都の子やから、わからんのやろうけどな。  しゃあないなあ、もう、と思いつつ、俺がまた適当にシャッフルかけると、おあつらえむきにビートルズやった。ポール・マッカートニーのリバプール(なま)りが、『Can't Buy Me Love(キャント・バイ・ミー・ラブ)』を歌いだした。  ええ歌や。俺も歌った。カーステよりもでかい声で。  I don't care too much for money.(お金のことはあまり気にしないんだ)  For money can't buy me love.(だってお金じゃ愛は買えないから)  俺が歌うと(いや)みやって、藤堂(とうどう)さんはいつも言うてたな。  そうかもしれへん。あの人は元は神戸の貧乏人で、苦労して出世(しゅっせ)したらしい。  根っからボンボンのアキちゃんとは違う。きっと俺に食わせた札束(さつたば)の数を、内心数えてたんやで。お前にここまで()くしてやってんのに、何が不満なんやって、そんなことばかり。  どうでもええねん、そんなこと。I don't care(アイドントケア)やで。愛してるってキスして、抱いてくれればそれでよかってん。  もう死んだんやろか、藤堂さん。思い出の(から)む曲を歌ってると、ふとそんなことが気になってきて、俺も(まい)った。

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