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11-6 トオル
アキちゃんはそんなこと、ぜんぜん気づきもせえへんと、お前は歌上手いなあて、カーステの音量下げてた。たぶん俺の声のほうを聴くためなんやろ。
確かに俺は歌上手 いんやで。昔どっかの国の、どっかの酒場で、歌歌 いごっこしててな、金曜の夜だけ来る男がおって、ええ男やったわ。妻子 がおるんやて言うてたわ。
俺が食うのって、そんな奴ばっか。藤堂 さんもそうやった。神戸に奥さんと娘がおるんやって。
たぶん、羨 ましくなるんや。家族がおって、それを愛してる男を見ると、羨 ましなってきて、横入 りしたくなる。俺のほうを見てくれへんかって、誘惑 しまくり。
それでちょっとは夢中になってもらえて、虜 にしてやったわって満足するけど、何か違うねん。それやないって、いつも思う。
夢中 で俺を抱いてても、何時に帰ろうって、気もそぞろ。それが俺には分かるんや。それで白けてくるんや。
せやけどしょうがないよな。人様 のもんを横からぶんどろうっていうんやから。
今まで何人泣かせてきたんやろ。横から盗 られるんが、ここまで悔 しいもんやとは、俺は今まで思いもよらずやったで。
藤堂 さんは、妻子 を愛してたんやろ。俺のことも愛してたけど、基本、奥さんと娘のためやった。死にたくないって、その一心 やったんや。
愛してるわけない。相手の弱みに付 け込 んで、人は食うわ金は食うわで我 が儘 ほうだいの俺を、どうやって好きになるんや。
俺かて藤堂 さんを愛してなかったわ。今から考えたら、全然好きでもなんでもなかった。アキちゃん好きやが東京ドーム一杯分としたら、あちらさんには、耳かき一杯あったかどうかやで。
タダでは瞬 き一回してやるのも嫌 やって、俺はそういうノリやった。スマイル0円はマクドだけやで。
せやから藤堂さんは万札 敷 き詰 めたダブルベッドに、俺を寝かせたこともあったんや。バブルやろ。あるとこにはあるねん、銭 は。
俺がその福沢諭吉 にまみれたベッドで、『Can't Buy Me Love 』を歌ったら、藤堂さん笑 うてたわ。嫌 みやて。
そらそうやわなあ。嫌 みで歌ってたんや。
金やないねん、俺が好きなのは。それはまあ、ひとつの目安 。金運なんか、俺がつけたるやん。
せやけど、ろくなことないで、元は貧乏なやつに、いきなり大金掴 ませても。
アキちゃんみたいなのがええねん。札束 見慣れてて、その価値の分かってない奴。口座の桁 が、一個増えても二個増えても、鈍くて気づいてないようなボンボンが。
前にアキちゃんが描いた、俺が川原に立ってる絵な。いくらで売れたと思う。八千万やで、ようやるわ。
おかんがな、これはアキちゃんが自分の絵で稼 いだ金やから、自分で管理させなさい言うて、口座に振 り込んできはってん。
このボンボンな、自分で通帳記入にも行かへんねんで。なにが悲しいて俺様がATMに行ってやらなあかんねん。
でも行ったわ、おかんが確認しろて言うもんやから。ちゃんと入ってたわ、八千万。
大崎 先生とかいう、おかんのファンみたいな爺 さんが、あの絵を買 うたんや。そして藤堂さんに転売してやった。絵の売買を取り仕切った画商の西森さんも、なんぼかは手間賃 取るわけやから、実際には爺 さんはもうちょっと払ってたんやろ。
この不景気続きに、景気のいい話やで。アキちゃんが発作描 きした絵に、爺 が一億近く払 い、それより積 んだ金額で、藤堂さんが俺の絵を買ったて言うんやから。
それを思うと、時々切 なくなってくる。
俺は、ざまあみろと思って、あの絵を藤堂さんに買わせたんやけどな。でも、あの絵にそんな価値があったんやろか、藤堂さんにとって。
アキちゃんの絵はよう描けてた。せやけど藤堂さんは、絵に注 ぎ込むような男やなかったで。ケチやってん。
それでも俺には惜 しまず札束 切ってた。最後の最後まで、金食 う蛇 やて思うてたやろな。
あの絵を見ながら、藤堂さんはもう死んだんか。
あの人死んだら、絵は買い戻すって、大崎先生は言うてはったらしい。せやから、その先生の使い魔 の、狐 の秋尾 さんに電話して、もう絵は戻ってきたんかって訊 ねたら、生きてるか死んでるか分かるはずなんや。
電話してみようかな。この山 が無事に済んだら。
もしもまだ生きてたら、なんか一言詫 び入れたい。
俺が我 が儘 やった、すまんかったって。
でももう今の俺には、アキちゃんが全てやねん。ごめんなって。
そんなこと、わざわざ言うのは変やろか。お前なんかもう、爪楊枝 の先ほども愛してないって、言われるだけか。
元々そうやったんや。アキちゃんは、俺のこと愛してくれる奴なんか、いくらでも居 るて言うてたけど、そんなことない。そんなことないと思う。
アキちゃんと会うまで、俺はずっと飢 えてた。腹減ってたまらんで、愛をいっぱい持ってそうな奴を見つけるなり、俺によこせってガツガツ食うてた。
でもそれは、他人の皿から盗 み食いするようなもんやってん。いくら食うても腹が減 る。アキちゃんだけや、自分を骨まで食うていいって、笑って許してくれるのは。
切 なくなって、まだ俺の手を握 ってくれてるアキちゃんの横顔を見ると、アキちゃんはぽつりと俺に訊 いた。
「もう歌わへんのか」
もっと歌えばええのにって、そういう感じの訊 き方やったわ。昨夜に続き、もう一回 か。
「なんや、いろいろ思い出して、疲 れてしもたわ」
俺がそう言うと、アキちゃんはどういう意味やっていう、難 しい顔してた。でも、それだけやった。
「疲 れへんような、楽しい歌歌え」
難 しい顔のまま、アキちゃんはそう命令してきた。
それに俺は、ちょっと笑った。
ほんなら、ビートルズ消さなあかんな。藤堂さんが好きやってん。
それやとあんまり不実 やろうか。アキちゃんと楽しく過ごしつつ、前の男の好きな歌歌うんは。
せやけどアキちゃんは、歌には興味 ないらしい。すごいオーディオセット持ってんのに、それは映画観 る用やねんて。音楽うるさいし、要 らんらしいわ。
それでも俺が歌歌ってると、ちょっと好きみたい。
何でもええねんて、俺が歌いたい歌やったら。
難しいな、それは。俺はアキちゃんの好きなの歌ってやりたいんやけどな。
思い出のある歌なんて、俺らにはまだないわ。まあ、それはまたいずれ、追々 な。長い一生なんやから、焦 ることない。アキちゃんは、ずっと俺の傍 にいてくれるんやから。
その考えに、俺は、こそばゆいような気分になって、思わず助手席側 の窓に頬杖 をつき、その向こうの景色 を見てた。面白くも何ともない、高速道路の風景やった。
カーステは飽 きもせず嫌 みにビートルズのナンバーを歌ってた。なんやねん。こう言いたいんか。
お前は不実 な淫売 や。アキちゃん浮気したって怒れるような資格 はないわって。
なんもしてへんて、アキちゃん言うてたやんか。
キスもしてへん。いっしょに絵描いてただけなんや。
それでも好きって、俺にはそれが悔 しい。俺はアキちゃんと、何かを一緒にやったことなんかない。飯 食ったり、ベッドで組 んずほぐれつか。それもええけど、それだけや。
俺もアキちゃんと、なんかやりたい。ただ抱き合う以外のこと。
藤堂さんとすら、一緒に歌歌ったことある。ほんのちょっとだけ。それでも俺には嬉 しかったんや。今でもしつこく憶 えてるくらいには。
俺は結局、あの犬に、勝ってるんか。それとも、負けてたんか。脅迫 までした泣き落としで、アキちゃん困らせて、ほかにどうしようもなくて、俺を選んでもらっただけか。
考えてると、ぐるぐる回る。俺は勝った。俺は負けた。トミ子に負けたみたいに、アキちゃんに振 られた奴に、また負けた。
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