82 / 103

11-8 トオル

「アキちゃん……俺、(せつ)ないねん」  いじめられた(いきお)いで、俺はめそめそ泣きついた。 「なにが(せつ)ないことあるんや」 「俺もアキちゃんと絵()きたい」 「はあ? 絵なんか()けんのか、お前」  心底(しんそこ)びっくりみたいな声で、アキちゃんは声裏返(うらがえ)らせてた。  よっぽど意外やったんやろ。俺も意外や。絵なんか()いたことない。()こうと思ったことさえないで。 「()けるか知らんけど、俺もアキちゃんと何かしたい。犬がやってたみたいに。俺もしたい。ただ待ってるだけやと(さび)しいねん」  (なさ)けない声でゲロった俺に、アキちゃんは、そうかって、びっくりした顔のまま、ぼけっと答えてた。  予想もしてないエリアからの投球(とうきゅう)やったらしい。あんぐりしたまま、目が泳いでたわ。 「ほな、お前も大学来て、俺と一緒(いっしょ)に絵()けばええやん。どうせ時たま、ぶらっと来てたんやろ。教授が言うてたわ。君んとこのツレ、時々来て俺の研究室の菓子(かし)食い()くしていくんやけど、なんとかならんかって」  食い()くしたりしてへんやん、(その)センセ。俺の話題を口実(こうじつ)にアキちゃんと会話を持とうとすんな、このホモ教師が。 「菓子(かし)ぐらいで()られて、ふらふらついて行ったらあかんのやで。あの教授、その(すじ)の人なんやから。行くとこないんやったら、俺の作業室来たらええやん」 「でも、俺、邪魔(じゃま)なんやろ……」  そんなことないよって言うかと思ったら、アキちゃんはきっぱりと、邪魔(じゃま)やって言うた。俺はそれにコケそうになったが、何とか持ちこたえた。 「何もせんとウロウロしてるから邪魔(じゃま)やねん。お前もおとなしく絵()いてるんやったら別に平気かもしれへん」  なんでか()れくさそうに、アキちゃんはそう言うて、それから、俺もお前と一緒(いっしょ)()れたほうが楽しいし、って言った。  それや!  それですよ!  そういう事をもっと声を大にして言うべきなんや、アキちゃんは。お前に足りないのは、それやねん。  のろけ! ラブラブなんですよ、足りてへんのは!  俺は思わず力説(りきせつ)し、アキちゃんは(はり)のむしろみたいな顔して真面目(まじめ)に安全運転してた。  言うてるやん、俺、ちゃんと言うてるのに、お前がいつもスルーしてるんやって、と、アキちゃんは()の鳴くような声で言い訳してきた。  えっ、なに。聞こえへん。声が小さいねん。もっと大きい声で要点だけ言うてくれへんか。そうでないと、俺アホやからわからへん。  もういっぺん言うてえなって、ハンドル(にぎ)ってるアキちゃんのほうに身を乗り出して、俺がべたべた甘えると、危ない危ないってアキちゃん青い顔してた。平気平気、運転上手やから。 「俺のこと好きなんやったら、好きやって、いつもちゃんと声に出して言うてくれ」  アキちゃんの肩に頭をもたれさせたまま、俺はけっこう本気で(たの)んでた。アキちゃんはそれに、うんうんと、()ずかしそうな渋面(じゅうめん)(うなず)いてた。  うんうん、やないねん。好きやって言え。 「好きや」 「無理矢理(むりやり)言わされてるみたいやないか……」  俺がなんや(せつ)なくなって、アキちゃんの首筋を甘く()みながら文句言うと、アキちゃんはぎょっとなってた。 「無理矢理(むりやり)言わせてるんやろ、今。()むな、事故ってまう」  平気平気、運転上手やねんから。もっとすごいことしようかなと思ったけど、それはさすがにやめた。マジで事故ってまうからな。 「アキちゃんは俺のものなんか」 「そうや。ずっとそうやったやろ。お前どこ(さわ)っとんねん、ほんまええかげんにしてくれ」  どこってシャツのボタン(はず)して手入れただけやで。だって(さわ)りたいねんもん、しゃあないわ。  それでもアキちゃんは顔()(さお)やった。また無心無心(むしんむしん)やで。しゃあない奴やなあ。もっと自分を解放せなあかん。 「(とおる)! もう高速()りるから。大阪やで。やめろ」  こらって(しか)る口調で命令されて、俺は渋々(しぶしぶ)やめた。やめろ言われたらやめなしゃあないわ。やめたくないけど。  それにもう、いちゃついてる場合やないしなあ。  大阪も真夏(まなつ)入道雲(にゅうどうぐも)が立つ、()し暑い晴天やったけど、(なが)めれば空の一点に、雷雲(かみなりぐも)のような薄紫(うすむらさき)の分厚い雲が、みっちりと集まった場所があった。  阪神高速のすぐ(わき)らへん。どう見ても、あれは異界(いかい)や。暗い雲にすっぽり(おお)われて、中が見えへん。  それは、どえらいことやった。  ここまで(すご)いとは思ってへんかった。ただの犬っころやったんやで、勝呂端希(すぐろみずき)は。いい線行って、せいぜいが妖怪変化(ようかいへんげ)やと思ってた。  それがどんだけ人食って、どんだけ人を恐れさせ、ここまでの力を付けたんか。 「アキちゃん、あれやで。探すまでもないわ。ここにいてますって、書いてあるようなもんやわ」 「そうやな」  横目に暗雲(あんうん)を見ながら、アキちゃんは高速を()りた。あとは見知らぬ大阪の街のこと、カーナビの姉ちゃんが(たよ)りや。  俺にとっては、ミナミは馴染(なじ)みのある街やった。何がいいって、(にぎ)やかなのと、底抜けのアホさみたいなんが、この街のええとこ。  ネオンぎらぎら。美味(うま)いもんもいっぱいあって、度肝(どぎも)を抜かれるようなケバいおばちゃんも、うようよおって。阪神勝ったら道頓堀(どうとんぼり)にダイブ。  御堂筋(みどうすじ)には大使館(たいしかん)やら領事館(りょうじかん)やらが(なら)び、秋になったら銀杏並木(いちょうなみき)から銀杏(ぎんなん)落ちてきて、めちゃくちゃ(くさ)い。  路上駐車に放置自転車。とにかく、無秩序やねん、この街は。  みんながわがまま勝手に生きてる。それがエグいねんけど、でも、それが人の本音やろ。  誰かて好き勝手に生きたいわ。美味(うま)いもん食いたい。綺麗(きれい)なお姉ちゃんの(ちち)(さわ)りたいわって、そんな感じ。それを(つつ)(かく)さない猥雑(わいざつ)な街。  ここでは俺も、別に普通やで。普通程度のわがままさ。俺がアキちゃんと(うで)組んで歩いても、きっと誰も気にせえへん。  ちょっとは見るやろけど、でもそれだけや。なんやそれ、まあええかって、皆そう思う。  アキちゃん(いや)かな。(うで)組んで歩きたいて俺が強請(ねだ)ったら。いつもみたいにアホかって言うだけかな。  車どこ()めようかって、アキちゃんは悩んでたけど、悩む必要なかった。  御堂筋(みどうすじ)ぎりぎりまで、警察が区画封鎖(ふうさ)してて、コロンボ守屋(もりや)口利(くちき)きで、話(つな)いでもろた大阪府警のおっちゃんに電話してみたら、現場に()めたらええよって、適当なこと言うてた。そのほうが、うろうろせんで済むから、こっちも()(がた)い。  車()めたら、電話の相手のおっちゃんは、すぐ見つかった。下駄(げた)みたいな顔したやつやって、コロンボ守屋(もりや)はアキちゃんに教えてたらしい。  その下駄(げた)が、こっちに気づいて、車から()りてきた。

ともだちにシェアしよう!