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11-8 トオル
「アキちゃん……俺、切 ないねん」
いじめられた勢 いで、俺はめそめそ泣きついた。
「なにが切 ないことあるんや」
「俺もアキちゃんと絵描 きたい」
「はあ? 絵なんか描 けんのか、お前」
心底 びっくりみたいな声で、アキちゃんは声裏返 らせてた。
よっぽど意外やったんやろ。俺も意外や。絵なんか描 いたことない。描 こうと思ったことさえないで。
「描 けるか知らんけど、俺もアキちゃんと何かしたい。犬がやってたみたいに。俺もしたい。ただ待ってるだけやと寂 しいねん」
情 けない声でゲロった俺に、アキちゃんは、そうかって、びっくりした顔のまま、ぼけっと答えてた。
予想もしてないエリアからの投球 やったらしい。あんぐりしたまま、目が泳いでたわ。
「ほな、お前も大学来て、俺と一緒 に絵描 けばええやん。どうせ時たま、ぶらっと来てたんやろ。教授が言うてたわ。君んとこのツレ、時々来て俺の研究室の菓子 食い尽 くしていくんやけど、なんとかならんかって」
食い尽 くしたりしてへんやん、苑 センセ。俺の話題を口実 にアキちゃんと会話を持とうとすんな、このホモ教師が。
「菓子 ぐらいで釣 られて、ふらふらついて行ったらあかんのやで。あの教授、その筋 の人なんやから。行くとこないんやったら、俺の作業室来たらええやん」
「でも、俺、邪魔 なんやろ……」
そんなことないよって言うかと思ったら、アキちゃんはきっぱりと、邪魔 やって言うた。俺はそれにコケそうになったが、何とか持ちこたえた。
「何もせんとウロウロしてるから邪魔 やねん。お前もおとなしく絵描 いてるんやったら別に平気かもしれへん」
なんでか照 れくさそうに、アキちゃんはそう言うて、それから、俺もお前と一緒 に居 れたほうが楽しいし、って言った。
それや!
それですよ!
そういう事をもっと声を大にして言うべきなんや、アキちゃんは。お前に足りないのは、それやねん。
のろけ! ラブラブなんですよ、足りてへんのは!
俺は思わず力説 し、アキちゃんは針 のむしろみたいな顔して真面目 に安全運転してた。
言うてるやん、俺、ちゃんと言うてるのに、お前がいつもスルーしてるんやって、と、アキちゃんは蚊 の鳴くような声で言い訳してきた。
えっ、なに。聞こえへん。声が小さいねん。もっと大きい声で要点だけ言うてくれへんか。そうでないと、俺アホやからわからへん。
もういっぺん言うてえなって、ハンドル握 ってるアキちゃんのほうに身を乗り出して、俺がべたべた甘えると、危ない危ないってアキちゃん青い顔してた。平気平気、運転上手やから。
「俺のこと好きなんやったら、好きやって、いつもちゃんと声に出して言うてくれ」
アキちゃんの肩に頭をもたれさせたまま、俺はけっこう本気で頼 んでた。アキちゃんはそれに、うんうんと、恥 ずかしそうな渋面 で頷 いてた。
うんうん、やないねん。好きやって言え。
「好きや」
「無理矢理 言わされてるみたいやないか……」
俺がなんや切 なくなって、アキちゃんの首筋を甘く噛 みながら文句言うと、アキちゃんはぎょっとなってた。
「無理矢理 言わせてるんやろ、今。噛 むな、事故ってまう」
平気平気、運転上手やねんから。もっとすごいことしようかなと思ったけど、それはさすがにやめた。マジで事故ってまうからな。
「アキちゃんは俺のものなんか」
「そうや。ずっとそうやったやろ。お前どこ触 っとんねん、ほんまええかげんにしてくれ」
どこってシャツのボタン外 して手入れただけやで。だって触 りたいねんもん、しゃあないわ。
それでもアキちゃんは顔真 っ青 やった。また無心無心 やで。しゃあない奴やなあ。もっと自分を解放せなあかん。
「亨 ! もう高速降 りるから。大阪やで。やめろ」
こらって叱 る口調で命令されて、俺は渋々 やめた。やめろ言われたらやめなしゃあないわ。やめたくないけど。
それにもう、いちゃついてる場合やないしなあ。
大阪も真夏 の入道雲 が立つ、蒸 し暑い晴天やったけど、眺 めれば空の一点に、雷雲 のような薄紫 の分厚い雲が、みっちりと集まった場所があった。
阪神高速のすぐ脇 らへん。どう見ても、あれは異界 や。暗い雲にすっぽり覆 われて、中が見えへん。
それは、どえらいことやった。
ここまで凄 いとは思ってへんかった。ただの犬っころやったんやで、勝呂端希 は。いい線行って、せいぜいが妖怪変化 やと思ってた。
それがどんだけ人食って、どんだけ人を恐れさせ、ここまでの力を付けたんか。
「アキちゃん、あれやで。探すまでもないわ。ここにいてますって、書いてあるようなもんやわ」
「そうやな」
横目に暗雲 を見ながら、アキちゃんは高速を降 りた。あとは見知らぬ大阪の街のこと、カーナビの姉ちゃんが頼 りや。
俺にとっては、ミナミは馴染 みのある街やった。何がいいって、賑 やかなのと、底抜けのアホさみたいなんが、この街のええとこ。
ネオンぎらぎら。美味 いもんもいっぱいあって、度肝 を抜かれるようなケバいおばちゃんも、うようよおって。阪神勝ったら道頓堀 にダイブ。
御堂筋 には大使館 やら領事館 やらが並 び、秋になったら銀杏並木 から銀杏 落ちてきて、めちゃくちゃ臭 い。
路上駐車に放置自転車。とにかく、無秩序やねん、この街は。
みんながわがまま勝手に生きてる。それがエグいねんけど、でも、それが人の本音やろ。
誰かて好き勝手に生きたいわ。美味 いもん食いたい。綺麗 なお姉ちゃんの乳 触 りたいわって、そんな感じ。それを包 み隠 さない猥雑 な街。
ここでは俺も、別に普通やで。普通程度のわがままさ。俺がアキちゃんと腕 組んで歩いても、きっと誰も気にせえへん。
ちょっとは見るやろけど、でもそれだけや。なんやそれ、まあええかって、皆そう思う。
アキちゃん嫌 かな。腕 組んで歩きたいて俺が強請 ったら。いつもみたいにアホかって言うだけかな。
車どこ停 めようかって、アキちゃんは悩んでたけど、悩む必要なかった。
御堂筋 ぎりぎりまで、警察が区画封鎖 してて、コロンボ守屋 の口利 きで、話繋 いでもろた大阪府警のおっちゃんに電話してみたら、現場に停 めたらええよって、適当なこと言うてた。そのほうが、うろうろせんで済むから、こっちも有 り難 い。
車停 めたら、電話の相手のおっちゃんは、すぐ見つかった。下駄 みたいな顔したやつやって、コロンボ守屋 はアキちゃんに教えてたらしい。
その下駄 が、こっちに気づいて、車から降 りてきた。
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