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11-15 トオル
ほんまはもっと欲しかったやろ。
その味を知ってる俺には、あいつの堪 え性 が信じられへんくらいや。
言い残したことは、山ほどあるけど、なんて言うたらええか分かりませんて、そういう目で、勝呂 はアキちゃんを見た。
「もう死んでもいいです、先輩。俺の家のパソコンに、例 の作品のマスターコピーが入ったままなんで、もしまずいようなら消してください。パスワードは、先輩の好きな映画のタイトルやし」
ばつ悪そうに教え、勝呂 は水煙 を眺 めた。
そして、綺麗 な剣やなあって誉 めた。
それに水煙 は、くすくす笑って、返事をした。
見る目のあるやつやなあ、どこぞの蛇 とは大違いや。
甘露 のお相伴 に預 かれた礼 に、お前にはええこと教えてやろう。
俺は水煙 と言うて、アキちゃんの守 り刀 や。俺に命を食われるやつの魂 は、二つの道を選択できる。
そのまま散 り果 てて、また何かに生まれ変わるか、あるいは俺に囚 われて、隷属 する霊 として永遠に仕 えるかや。
後者 の道は厳 しいけどな、永遠に生きられる。俺の中から見るだけやけど、アキちゃんをずっと眺 めていられるんやで。
お前の自由で、好きに選ぶ権利をやろう。
笑う気配 のする声で、誘 うように教える水煙 は、勝呂 が隷属 するほうを選ぶと、頭から思いこんでるようやった。
俺もそうやった。もしかしたら、アキちゃんかてそう思ってたんかもしれへん。勝呂 自身も。
その話を理解してから、決断するまでの、奴 の素早 さは、驚 くほどの一瞬さやった。
もう死ぬばかりと思ってた奴が、血の一滴 で少しばかりの力が湧 いたんか、目にも留 まらぬ早業 で、アキちゃんが握 ったままの水煙 の、刀身 を掴 んだ。
あっという間もなかったわ。
勝呂 は、自殺したんや。水煙の刀身 を、自分の腹に呑 んでた。
痛くないわけではないらしい。苦悶 の顔やった。
水煙 は、いつもにまして白刃 を光らせ、むらむらと靄 を発 してた。
それでも、血は一滴 も流れなかった。たぶん水煙 が食うてまうんやろう。なかなか上玉 と、悪食 の外道 は喜んでいた。
それを眺 めるアキちゃんは、沈黙してたなかでも、さらに硬直 したような石の沈黙に陥 ってた。息もしてへんかったんやないか。
瞬 きもせず、真っ青な顔して、自分が構 えた剣に腹貫 かれてる勝呂 を見てたわ。
さすがによろめいた勝呂 の体を、アキちゃんは抱き止めた。だってまさか、避 けるわけにはいかへんやろ。
そんなこと、考える余裕 はあらへん。茫然自失 やねんから。
殺す覚悟 で来たとは言うても、アキちゃんはまともな神経の子や。
人殺しなんかしたことないんや。自分の持ってる剣が、人の形したもんを傷つけたって、それだけのことで、頭はもう真っ白やったんやで。
それも、憎 からず思うてた相手なんやからな。
俺はその時には、妬 けるとも、憎いとも思われへんかった。アキちゃんが、可哀想 やってん。なんでこんな目に遭 わなあかんのやろって、なんや急に可哀想 になってきた。
俺が許してやったらよかったんやないか。俺が一番。あいつが二番で。まあ何とか折 り合 いつけてやっていこかって、そういう寛容 さで。
嫉妬 深い俺が、そんなこと思うくらいに、その時のアキちゃんは悲痛 やった。なんでもない無表情やったけど、それがまるで、心が死んだみたいでな。
勝呂 は目を開けて、一時 アキちゃんを見たけど、もう言葉は出てこなかった。水煙 に食われはじめて、そんな気力なかったんやろ。
むらむら煙 る靄 に薄 れて、勝呂 は今にも消えそうやった。
選んだな、って、水煙 は言った。皆にも教えたろって、単 にそれだけの意味やったんやろ。
まさかそれに異議 のある奴 がおるとは、俺は予想してなかった。俺もちょっと呆然 ぎみやってん。
このまま死んだらあかんえ、って、猫のトミ子が突然 、我 に返 ったように、ぎゃあぎゃあ鳴いた。水煙 がそれに、ぎょっとしてた。
贖罪 はどうなるんや、贖罪 は。自殺も罪なんえ。罪人は悔 い改 めて浄 められなあかん。広い世の中、赦 してくれはる神様もいてはるんや。
このままこの喋 る包丁 に食われてしもたら、あんた永遠に罪人のままなんえ。うちと一緒においで。
ちゃんと見捨てずに連れていったげるからって、トミ子は唐突 に宙 に駆 けあがった。
トミ子、お前……頭に目に優 しい蛍光灯 みたいな輪 っかついてるで。
それになんか、全体的に光輝 いてる。
まさかお前、お前の信じてる神さんに、なんか、どえらいモンに認定 されたんとちゃうか。ようこそ天国へ、特別心が清 いので、今なら大サービスで聖女にしてあげます、みたいな。
それにお前も、水煙 のこと、喋 る包丁 やて思ってたんや。気が合う。
それやのに、俺を捨てて、犬を選ぶんか。しばらく居 るって、言うてたやないか。
捨てんといて、お前みたいなインパクトあるブスがおらんようになったら、俺、寂 しいわ。もうちょっとでええから、俺らと一緒にいてくれよ。
俺が思わず泣きつくと、トミ子はぴしゃりと、うちに甘えんのも大概 にしとき、腹 出して寝たらあかんえ、炊飯 ジャーのごはんは炊 き立てを冷凍 せなあかんえ、わがまま言うのは、ほどほどにせなあかんえと、矢継 ぎ早 に答えた。
ほかにもっと何か、言うことはなかったんか、トミ子。これが永 のお別れやったのに。
朦朧 と消え入りかける勝呂端希 の魂 を、わっしとひっつかんで、トミ子はそれを水煙 からパクっていった。
なにをするんや、このブスと、水煙 はものすご怒っていた。
やっぱりお前も、トミ子を顔で判断しとったんか。それはいろいろ、語ってきかせなあかん。
でもその時は、トミ子を弁護 してやる余裕もなく、俺は呆然 と座り込んだまま、自分を捨てて出ていった女の後 ろ姿 が天に消えるのを見送ってた。
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