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11-17 トオル
橋には誰もおらへんかった。もう真夜中やってん。
いつもなら、それでも人だらけのはずの戎橋 から、真夏の怪異 が人払 いしてもうてた。
そのせいか、アキちゃんのキスは、むちゃくちゃ激 しかった。
俺はそれに深く酔 いながら、ちょっと悲しくなってた。
もしかしたらアキちゃんは、あいつにこうしてやりたかったんか。最後に見つめ合った時の、可愛いあの犬に、こうしてキスしてやりたくて、俺は今、その身代わりなんやろか。
訊 かなきゃええのに、俺はそれをアキちゃんに訊 いた。
それにアキちゃんは、心底 腹立つっていう顔で、アホかって言うた。
なんで俺がお前以外のやつに、こんなことせなあかんねん。するわけないやろ。お前にしたくてしてるんや。
お前が俺のほかのやつを好きになるようなことも、今後はもう永遠にない。そんなこと、ないようにしてやる。
だからお前はもう、その古い携帯は捨てろ。むかむかしてきた。この小汚 い川に捨てていけって言うて、アキちゃんは勝手に俺の携帯電話をとると、最近かなり綺麗になってきてた道頓堀川 に、それをドボンと投げ捨てた。
あーあ。
やってもうたわ。
川にゴミ捨てたらあかんのやで。
これでもな、大阪の人ら、この川綺麗 にしようとして、頑張 ってんのやで。ヘドロまみれの汚 い川で、どぶさらいしたら、自転車やら骨やら、なんか途方 もないゴミがいっぱい出てきたらしいわ。
せっかく掃除 しはったのに、そこにまた物捨てて。アキちゃん、ほんまに悪い子やわ。
俺が思わず言うと、アキちゃんは苦虫 噛 みつぶしてた。
電話なんか、俺がまた買 うてやるからって言うてた。そういう問題やないと思うけど、この際、それでまあええかってことで、ごめんなさいやで。道頓堀 。
アキちゃんは、捨ててやって清々 したっていう顔やった。それで少し、憑 き物 が落ちたみたいに、アキちゃんのいつもの呼吸が戻ってきた。
帰ろうかって、アキちゃんはやっと言うた。
俺は頷 いた。それで二人で手繋 いで戻った。
車では水煙 がまだ怒ってたけど、戻ってきた俺らを見て、お帰りって言うてくれた。
下駄顔 の刑事に挨拶 して、そのまま、まっすぐ京都に帰ったわ。真っ暗な山抜けて、出町 のマンションの灯 を見た時には、ほっとした。
疲れすぎてたせいやろか。その夜は、エロくさいことは何もなしで、ただ抱き合って寝た。
アキちゃんは、喪 に服 してたんかもしれへん。それとも俺を身代 わりにするんは、キスだけにしとかんとって反省したのかも。
そう思うのは俺のひがみか。そうなのかって訊 かへんかったのは、俺にしては上出来 やったな。
それから後の何日かの間、俺とアキちゃんはぼけっと生きてた。
約束通り、新しい携帯買ってくれた。それに登録されてる番号は、アキちゃんも顔知ってるような名前だけ。
大学に連れてってもらって、一緒に絵描いた。別々の絵やけどな。俺が絵上手いって、アキちゃんはびっくりしてた。俺もびっくりした。知らんかったで、そんな特技 。
隠 れた俺の才能かって、言いたいとこやけど、たぶん違う。これはブスのトミ子の置き土産 やろ。女の描くような絵やって、アキちゃんが言うてた。
それで、はっと思い出して、俺は渋 る苑 センセに、アキちゃんのためやから言うて無理矢理 倉庫の鍵 を借り、トミ子が言うてた、あいつの絵を探した。
絵は一本だけ見つかった。
埃 まみれになって、一本だけ残ってたのは、描きあがったものの、絵の具かなんかこぼされて、台無 しになってた絵やった。その絵がな、俺が描いた絵と寸分 狂わず同じやってん。
不思議 やな。別に不思議 やないか。
トミ子はおらんようになったけど、ある意味では今も居 る。そんなような気がして、なんや嬉 しかったな。
俺がその話をすると、絵を完成させろってアキちゃんが言うんで、俺はそうした。
訳 わからん日本画やし、困ったらアキちゃんがいろいろ教えてくれた。筆持ってる俺の手をとって、こうやって描けってな。
ほんまは俺、そういうのも分かってたかもしれへん。絵の描き方。
でも、分からへんふりしててん。アキちゃんが真面目 に絵の話してくれるの、うっとり聞いていたかったんや。
芍薬 の絵やった。綺麗 な絵やなってアキちゃん褒 めてたわ。
綺麗 なもんが好きなアキちゃんが、うっとり見惚 れる趣味 の絵やった。それを俺は、できるもんならあのブスに教えてやりたいけど、そんな機会は、あいにくまだない。
でも、その絵は、その後もずっと、出町 の家の飯 食うときに見える壁に、いつも飾ってあるんやで。
俺が絵描く横で、アキちゃんも描いてた。
なんとなく予感はしたけど、犬の絵やったわ。やわらかそうな毛した可愛い小さな犬が、すやすや寝てる絵やった。可愛 いなあって、思わず撫 でたくなるような犬やった。
それは何やねんて、俺は訊 ねはせえへんかったけど、家には飾らんといてくれって、アキちゃんに頼 んだ。もしもその犬が、絵の中から抜け出してきて、部屋をうろつくようになったら、俺は嫌 やからって。
アキちゃんは、飾らへんて言うてた。この絵は売るんやって。
誰かこれを気に入って、愛してくれる人に売る。そのつもりで描いてるんやって。
そう言いつつも、絵筆くわえて犬の毛塗 ってるアキちゃんは、猫派や言うてたのが嘘 やろみたいな打ち込み方やったで。
けどそれも、しらんふりせなあかんかな。長い一生や、この先もいろんなことがあるやろ。これぐらいで、いちいち妬 いてたら、あかんのやろけどな。
それでも妬 けるわ。結局それが、わがままな蛇 の、本音 のところや。
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