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12-1 アキヒコ
俺は残る夏を多忙 に過 ごしてた。
何日か呆然 として、ふと気がつくと、夏の試験もあれば課題もあった。
試験は別に楽勝 や。受ければ普通に優 はとれる。
自分で言うのも何やけど、俺は秀才 やった。餓鬼 のころから成績 は良かった。うちのおかんに言わせれば、俺はお父さんに似て頭のええ子やったんや。
何やらせても、涼 しい顔して、そつなくこなす。
そんな、おとんに似てるという自分が、ほとほと嫌 で、ちょっと好き。まあ、そんな子供時代やったな。
そんな愛憎 入り交じったオイディプスな俺の、幻想の塊 みたいやった肝心 のおとんは、今や脱力 の塊 で、ジュニアの意見を百パーセント受け入れ、あっさりカミングアウトして、おかんと嵐山 でいちゃついてるらしい。
そんなお喜びの声を、おかんから電話で聞かされ、今年は夏も、帰省 はせえへんからと、俺はそれを内心に誓 った。
ただでさえ凹 んでるところに、手痛 い追撃 や。帰ってやるもんかと泣く泣く決心する気の毒な俺に、おかんはさらに、とどめをさしてきた。
舞 ちゃん寄越 して、おとんとハネムーンに行ってくるわて言づてしたきり、生まれて初めて作ってもろたパスポート持って、世界周遊 気まま旅に出かけていきはった。
プサン、ソウルに上海 と、近場の街の消印 つけた、どう見ても普通の郵便やない手紙が、じたばた羽 ばたきながら、出町 のマンションのポストに届き、封 を切るなり紙人形が飛び出してきて、アキちゃんお元気ですか、今日はお兄ちゃんとどこそこへ行ったんえと、聞いてへん俺は聞いてへんみたいな事をぺらぺら喋 った。写真付きで。
それは俺には軽く、拷問 みたいやったで。
せやけど、実はカメラマンやったらしい俺の名義父 、本間 さんの撮 った写真の中で、おかんは幸せそうやった。
着物着てるところしか想像つかんかったおかんが、ソウルではチマチョゴリ着て、上海 ではチャイナドレス着てた。
チョゴリはともかく、チャイナはあかんと思う。おかんの生足 なんか見たことない俺に、膝丈 までとはいえサイドスリットは鬼やと思うねん。
にこにこしてるおかんを、にこにこして抱き寄せてる俺そっくりなおとんの写真を、これは俺やと自分に言い聞かせて、俺は耐えた。
でもすぐ我慢 の限界で、泣く泣く亨 に頼 んで封印 してもらった。
あれは俺やない、俺のおとんや。だって俺にはコスプレ趣味なんかない。あってたまるか。
そんな虐待 を親たちから日々受けながら、俺は亨 を連れて学校へ行き、一緒に絵を描いた。
絵なんか描けるんかお前と見くびってる俺の目の前で、あいつは俺が前に付き合ってた女から引き継 いだという画風 で、鮮 やかな絵を描いた。
綺麗 なもんをそのまんま綺麗 に描 く、あいつらしいといえば、あいつらしい、あっけらかんとして、まっすぐな絵やった。
何の衒 いもなく、ただ描 いて、深い意味もないんやけど、綺麗 やなあって見る者の目を惹 き付けて離さない、そんな画風 やで。
見に来たうちの教授が激しく凹 んで、亨くん、それは惨 いわ。今まで隠 してたんか。あまりにも反則 やと、がっくり床 にくずおれて言うてた。
日本画やからな、本来、床 にくずおれて描くもんやねんけどな。でも苑 先生のは、あれ、ダウンしてたんやと思うわ。
俺は亨の絵に惚 れた。思い返してみると、亨が話してた女の描いた絵を、俺は見たことなかった。
同じ日本画科にいて、半年も半同棲 状態やったのに、俺は彼女の絵を見たことがなかった。
見て欲 しくないて言われてたんや。自信のある絵がまだ描けへんから、恥 ずかしいて言うて。
何が恥 ずかしかったんやろ。こんな絵描けてて。
俺は自分も大概 照 れ屋 やと思うけど、描いた絵を他人に見せるのを、恥 ずかしいと思ったことはない。
昔からそうや。なんでかそれには自信があるねん。
ただの自惚 れなんかもしれへんけど、全力 で打ち込んで描いたもんを、隠 し立 てしてもしょうがない。これが俺やて、そのまま見てもらうしかない。そんな気がするんや。
俺がそう言うと、確か彼女は、暁彦 君は素敵 やなあと、俺に惚 れてる顔してた。それは俺には、恥 ずかしかったんや。
本人が見るなと言うもんを、無理矢理暴 こうとは、俺は毛 ほども思わへんかった。しょせん、その程度 の情 の薄 い男やったんやろ。
俺の絵を見ろってそればっかしで、お前はどんな絵を描くんやって、全然思わへんかった。
それも俺の未熟 さやった。亨が描いてる花の絵を見て、俺は遅まきながらそれを悟 った。
きっと、暴 いてでも見るべきやった。まだ俺が、彼女に惚 れてたうちに。そして、お前の絵が俺は好きやて言うてやるべきやった。それが甲斐性 ってもんやろ。
でも、それももう、後の祭りやで。亨の話によれば。彼女はもう、あらゆる意味でこの世の人間やない。
俺の声も、聞こえてへんのかもしれん。彼女のほんまの名前を、俺はそうなってから知った。亨が苑 先生を脅 しつけて強奪 してきた倉庫にあった絵に、名前が入ってたんや。
富美子 というらしい。
その名に当てられた字について、亨は心底 気の毒やという口調で解説していた。
本人から聞いた話では、彼女が生まれる前に、彼女の父親が女やったら富美子 と神社から名前を拝領 して用意してたんやけど、生まれた赤ん坊の顔を見るなり、その字はあかんと決心して、トミ子と書き換 えて戸籍 を作らせた。
せやけど巫女 の血筋 やったという母親のほうが、神様にもらった名前変えたらあかんえと言うて、本人に本来の当て字を教えていたので、それを雅号 として使ったらしい。
痛い話やと、亨はコメントしてた。
何が痛いのか、俺にはよう分からんかったけど、とにかく画風 に合った名やと思う。
大体 、どんなブスやねん。その名前がまずいというのは。
俺は見てへんから知らん。どんなブスでもええやん、こんだけ綺麗 な絵が描けたら。どんな美人より、絵上手 い女のほうが俺には良かったやろけどな。
俺のその話に、亨は金盥 でも脳天 に落とされたような、震 えた衝撃 の顔をした。アキちゃん、絵がうまいやつが好きなんか、と言って。
そらそうやろ。俺は絵描きなんやで。絵うまいやつが好きや。顔がいいのも好きやけど、それだけやのうて、絵もうまけりゃ無敵 やで。
俺がそう言うと、亨は薄汚 い作業室で跪 き、手を合わせて祈 ってた。富美子 、ありがとうやで。ほんまに、おおきに、って言って。
何があったんや、お前と彼女の間には。
俺に黙 って、なんでそこまで信頼関係を深めてたんや。
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