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12-5 アキヒコ
こんこん狐 や、なんでおるんやと、亨 はびっくりした顔で、先に客用のソファにいた秋尾 さんの丸眼鏡 を睨 み付けてた。
それに糸目 で笑い返してきて、西森 さんに愚痴 聞いてもろてたんや、最近仲良しなんやでと、秋尾 さんは亨をからかう口調やった。
亨はもろにからかわれていた。なんでそれがお前にとって痛い話やねん。それについて聞きたいわ、俺は。ほんまにお前は信用でけへん相方 やで。
「大崎 先生、まだ拗 ねてはりますわ。秋津 の坊 は可愛 げがない言うて。ぷんぷんぷんぷん怒ってはります」
悔 やむような口調で俺に言い、それが秋尾 さんの挨拶 代わりやった。
その苦笑と見交 わして笑い、俺はなんと言うていいやらやった。
大崎 先生には、実はまた世話 んなった。
焼き豚 に釣 られて入り込んだ疫神 の絵を、始末してくれてんのは、大崎先生やったからや。
実はまだ、一面識 もないんやけど、あの人もどうも、覡 の類 らしい。秋尾 さんはその式 やし、他にも何人か使うてるらしい。
俺に会いにくるのは、秋尾 さんだけやけど。
いっぺんくらい、挨拶 に行くのが筋 やろな。その道の先輩なんやし。世話になってんのやし。絵も贔屓 にしてもろてんのやし。
でもまだ機会がない。それはまたいずれ。
「せやけど絵を売ろうやなんて、また、どういう風の吹 き回しなんや」
秋尾さんは出先巡 りのついでに寄ったというような、スーツ姿ででっかい書類鞄 を抱えた、腰 の落ち着かん雰囲気 やった。
「坊 もそろそろ一人前なんやなあ」
しみじみ急に親しげなこと言うて、秋尾さんは俺を見た。この人いったい何年くらい居 るんや。
「いったい誰が買 うたんか、聞き出して来いて、大崎先生に怒鳴 られとるんですよ。僕もつらいんですわ。教えてください、西森さん」
しばらく居 ったようやのに、今やっと本題かという油の売り方で、秋尾さんは思い出したように画商に訊 いた。
「祇園 、木屋町 、先斗町 あたりの、夜の蝶 ですわ」
画商西森は言った。
駆 けつけ一杯で麦茶を飲み干して、俺を含 め全員が、ギャラリーの壁に掛 けられた話題の絵の前にぞろぞろ立ってた。
西森さんは、今日もピンストライプの趣味のええスーツ着て、ポケットに手突っ込んで絵を斜 に見た。
「ろくに絵も知らんような女が、一目惚 れして血迷 って、せっかくおっさんに跨 って稼 いだ虎の子の有 り金 全部つぎ込んで、それでも足 らんもんで、命より大事なクロコのバーキン全部売るんや言うてましたわ。せやからちょっと支払い待ってほしいて。まったくアホな話や。絵は、そうまでせな買われへんような女が手出すもんやないですよ。本間先生も罪な男やなあ」
西森はもっともらしく言っていたが、それを聞きながら、亨はずいぶん離れたところにかかる別の絵を眺めながら、くすくすと堪 えがたいように笑うてた。
「しゃあないわ、それは。欲しいうてんなら買わせてやったらええやん、西森さん」
「せやけど、可愛 い顔して、えげつない女なんやで、亨 君。絵買 うてやったんやから、本間先生に会わせろ、休みないから店に顔出せて言うとったで。まだ支払い終わってへんのにやで」
「なんやと、その女、美人なんか。図々 しいわ、絶対行ったらあかんで、アキちゃん」
亨は血相 変えて命令してきた。俺は苦笑して、それを眺 めた。
「そうは言うてもなあ。描いた絵がどんな人のところに行くんか、見てみたい気もするわ」
可愛 がってくれるんやろか、その女は、あの犬を。
俺はそれが心配や。また寂 しなって、ふらふら出てきたりしたら、まずいしな。
「そんなんあかんわ。絶対行ったらあかん。俺のいうこときいといて」
ずかずか歩いて戻って来ながら、亨は必死にそう言って、俺の前に立った。
そして向き合った俺の首を両腕で抱いて、唇 を合わせてくる亨の顔を、俺は間近 に見つめた。綺麗 やなと幻惑 されて。
やめなあかんで。みんな見てるやんか、亨。それにこの店、ガラス張りやで。ギャラリーなんやから、外から中が丸見えや。
そう思ったけど、ぼんやり許してるうちに、亨のキスはずいぶん長かった。やっと離れると溜 め息が出た。
「おいおい、お熱いなあ、亨くん」
呆 れはてたテノールで、西森さんは言った。
「お熱いで、めちゃくちゃお熱い」
まだ俺を見つめたまま、亨はうっとりとそう答えた。
「アキちゃん、浮気したら食うてまうからな。おぼえとけよ。ほんまに骨まで全部食うてまうから」
本気で言うてるとしか思えない口調 で、亨はうっとりとそう囁 いた。
「怖いなあ」
俺は正直な感想を言った。
「でも愛してるやろ」
そうだと言ってくれという、すがりつく目で、亨は俺を見つめてた。
それに苦笑して、俺は眩 しく亨を見つめ返した。
「まあ、そういうことにしとこうか」
「なんやと、こら。実は違いますみたいな言い方すんな、アキちゃん。まだまだ浮気する気なんか!」
首に巻き付いてた白い腕を無理矢理解 かせて、俺は売りに出した絵を眺 めに行った。
絵の中で、可愛 いような綺麗 なような、淡 い色合 いの犬が、うっとりとくつろいで眠ってる。お前の長い眠りが安 らかやとええんやけどなと、俺は絵の犬に心で語りかけた。
それでも、どうしても寂 しくなったら、また来たらええよ。あいにく抱いてはやれんけど、名前くらいは呼んでやれるやろ。
端希 って呼んでくれて、お前は何回頼 んできたやろ。
いつも聞き流して、いっぺんも聞いてやらへんかった。小さい男やったよなあ、俺は。
亨はまた、めちゃめちゃ焼き餅 焼くやろけど、別にええやん、名前呼ぶくらい。減るモンやなし。
それで片づく問題やったんかもしれへんで。誰も死なんでよかったんかもしれへん。
名前呼んでやるから、それで我慢 せえて言うたら、お前は我慢 したやろ。
そういう奴やったんと違うかな。貪欲 な蛇 と違うて、お前は健気 な犬やったんやから。
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