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12-7 アキヒコ
あいつは絵を作らせると、なにか、おどろおどろしいようなもんばかり作ってた。
ほんまは悪い子やったんやな。
そうなんやろ、勝呂 。お前はほんまは、性悪 な犬やったんや。
それでも俺は、お前のことは嫌いやなかった。今もたぶん嫌いやない。
なんでやろ。俺はお前がいつも、可哀想 なような気がしてた。寂 しいなあって、困ってるようなところが、ちょっと前までの自分に、そっくりなような気がしたんや。
きっとお前と俺は、似たものどうしやったんやろなあ。
そう思って絵を眺 めると、犬はすやすや気持ちよさそうに寝てた。
その絵がものすごく可愛 いと、俺には思えた。
抱きしめたい、骨までばりばり食いたいような、そんな可愛 い犬や。
これぞまさに、自画自賛 やな。
「アキちゃん、何考えてるんや」
心なしか、ワナワナしながら、亨 が背後に立っていた。超怖い。
「お前にバレるとまずいことや。知りたいんやったら口に出そうか」
「出すな。出さんでくれ。だいたい分かるから。せやけどアキちゃんの口から直に聞いたら間違いなくキレるからな、俺は」
「怖いなあ」
心底ほんまに怖いと思って、俺は振 り返 った。亨 はちょっと思い詰めたような顔で突っ立っていた。
「犬の方が好きか、アキちゃん」
そうやて言われたらどないしようっていう顔やった。
ここまで来ても、俺がよそへ行くんやないかて不安なお前は、俺にはめちゃくちゃ可愛 く見える。
「いいや。そうでもないみたいやで」
「断言 してえな、そういう時には。俺、切 ないわ」
ほんまに切 なそうに、亨 はぼやいた。
それが可哀想 なような、可愛 いようなで、俺は亨の肩を抱いた。
京都はまだまだ暑い夏のまっさかりやった。亨の体はひんやりと冷たく、抱いてると気持ちよかった。
「ツレが切ないらしいんで、もう行きます。お邪魔 しました、西森 さん。祇園 の夜の蝶 によろしく言うといてください。本間 先生は焼き餅 焼きのツレが怖いて会いに来られへんて」
「ほな、そう伝えますわ」
ふっふっふと苦笑のような冷やかす笑いで、画商 西森 は請 け合った。
「先生、なんか描 けましたら、ぜひまたうちへ、よろしゅう頼 んます。犬でも蛇 でも、なんでも引き受けますさかい」
「蛇 はもう描かないです、西森さん。描けたらうちに飾っとく」
店を出しなにそう言う俺に、西森さんは、また、ふっふっふと笑っただけやった。
秋尾 さんは、こらもうあかんでという嘆 かわしそうな顔で、首を横に振 っていた。
「ほんまにもう、ごちそうさまやで。腹一杯 ですわ。甘辛 う炊 いた油揚 げ百枚食った気分やわ。甘いの最初のうちだけで、とっくに通り越 して胸焼 けしますわ」
「ほんまですわ。ムカムカしてしゃあない。今日は早めに店閉めて、伏見 あたりで一杯どうです? うまい地酒の生搾 り飲ませる店で、塩でも舐 め舐 め口直 しすんのは。伏見 の『鳥 せい』、焼き鳥うまいですよ」
「俺も行きたい、西森さん」
俺に抱かれて店出る際 に、漏 れ聞いた亨 が振 り返ってそう言った。
亨 。お前はほんまにどうしようもないやつや。
自分のことは棚上 げで、俺は腹が立った。
それでこのくそ暑いのに、亨の肩をがっちり抱いて、まだ人気 の薄い真昼の祇園 を歩いた。
花屋が店の仕度 をはじめ、店の女に貢 ぐために、酔眼 の客が夜買うような、不実 な蘭 を売っていた。
「焼き鳥ぐらい、俺が食わしてやるやん」
「なんや妬 いてんのか、アキちゃん。いい気味やわ」
亨は可愛い顔で憎ったらしいことを言った。
にやにや笑っている顔が綺麗 やった。
炎天 のまぶしい道筋 には、人気 がなかった。ここは夜の街で、昼間は人もまばらや。
「誰も見てへんし、キスしよか」
そうしたい気がして、俺は亨に意向 を訊 ねた。
「いややわ、俺は。もっと人のいっぱいおるところで、してほしい」
すねてるらしい、しかめっつらを見て、そう来るかと俺は思った。
お前はよう人前でそんなことを平気でやるよ。むしろ人が見てるほうが嬉 しいらしいで。変な奴や。
「わかった。そんなら四条大橋 のど真ん中でやったるわ」
俺が受けて立つと、亨はびっくりした顔をした。
四条大橋 は人の絶 えることがない、にぎやかな橋で、鴨川 を渡 り、田 の字 エリアと呼ばれる四条 河原町 の繁華街 と、八坂神社 へ続く参道 を繋 いでいる。
四条 河原町 は繁華街 でありながら、神社へと続く、聖域 への入り口でもあるわけや。
そんな神さんのお膝元 で、人は飯 を食い、酒を飲み、河原 でいちゃつく。八坂 神社の神さんは、それを鷹揚 に眺 めて鎮座 し、祇園祭 ともなれば、よっこらしょと御輿 に乗って、京都の街を清 め祓 いにご出張 なさる。気のいい神様やで。
そんな神さんを、京都の人たちは、親しみを込めて、八坂 さんと呼んでる。
この街には、いつも生活の隣 に神がいて、辻辻 には怪異 とも神威 ともつかない何かが、うずくまっている。
祇園 界隈 を出て、とろとろ橋まで歩いていくと、そこはいつも通りの人通りの多さやった。
この暑いのに、スーツ着込んで汗をふきふき歩くサラリーマンがいるかと思えば、祭りの仕度 で白い着物着た人が、白足袋 はいてうろうろしてる。
いかがわしい店のチラシを配る、白衣 着た茶髪 のミニスカ女の向こう岸に、笠 かぶってうつむき、経 を唱 える墨染 めの托鉢僧 がいる。
「キスしよか、亨 」
「ええ。マジですんの。ここですんのか。マジで?」
嫌 そうな言い方しながら、亨 は嬉 しそうにもじもじしてた。
それがおかしなってきて、俺は笑った。顔を寄せると、漏 れる息がくすぐったいんか、亨ははにかんだような顔をした。
そして亨は俺の首を抱いて、キスを受けた。暑苦しい橋の上の、熱く甘ったるいキスだった。
俺は心行 くまで亨の唇 を貪 った。それが何や、気持ちよかったらしくて、亨はヘナヘナになってた。
唇 を離すと、亨は、もう立ってられへん抱いといてみたいな顔で、うっとりと俺を見上げてきた。
「こんなことしてええんかな、天下 の往来 で」
「ええんやないか。誰も見てへんみたいやし」
俺がそう言うと、亨はむっとかすかに顔をしかめた。そして、橋を行き過ぎていく人の群 れを見た。
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