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12-8 アキヒコ

 誰も俺らを見てへんかった。  往来(おうらい)のど真ん中に突っ立ってて、相当(そうとう)邪魔(じゃま)なはずやけど、人も、車の中にいる連中も、ぜんぜん気づいてないような知らん顔で、せわしなく普段通りに行ったり来たりしてた。 「なんでや。なんで誰も見てへんのや」  (とおる)は不満げにわめいた。それに何の問題があるんや。 「なんでや、アキちゃん」  抱きついてた俺の体を突き放して、亨は(くや)しそうに、さらにわめいた。それでも誰も見てへんかった。 「さあなあ。なんでやろ。そういうことも、あるんとちゃうか」  にやにやして、俺は答えた。 「ずるいわ、アキちゃん。何かしたんやろ」 「何かって、何やろなあ。そんなことより、もういっぺんキスしよか。悪趣味(あくしゅみ)なお前が、ここで抱いてくれ言うても、俺は平気やで。なんでもやったるわ」  にこにこ()け合うと、亨はあんぐりしてた。  抱き寄せて、またキスしようとすると、亨はじたばたした。負けるもんかと思うらしい。  ちょっと前なら、力技(ちからわざ)では俺より上だった亨も、今ではひ弱なもんやった。俺の方が、力が強い。  やっぱこうでないとあかん。格好(かっこう)つかへん。  そう思って満足しながら、俺はもう一度、亨の(くちびる)(うば)った。熱いなあと、甘くぼやきながら。 「あのねえ君たちね、(こま)るんやけどな。こんなとこで、いちゃつかんといてくれるかな」  唐突(とうとつ)に話しかけられて、俺はびっくりして(わき)を見た。  紺色(こんいろ)の制服を来たお(まわ)りさんが、俺らのすぐ横に、いつの()にか立っていた。  橋のたもとにある交番(こうばん)から来たんやろかと、俺は一瞬びびったけど、そんなはずなかった。なにしろ、そのお(まわ)りさんは、能面(のうめん)みたいな(めん)をつけていた。 「あのねえ。祇園祭(ぎおんまつり)やろ。みんな仕度(したく)(いそが)しいんや。橋に(ふた)せんといてくれるか。八坂(やさか)さんと()()でけんようになるやろ」  遠く八坂(やさか)神社のほうを指さして、お(まわ)りさんは言った。  (なが)めると、はよ道あけろとイライラしてるらしい、人ではないようなモンが、橋の両端(りょうはし)にたむろしていた。 「迷惑(めいわく)なんや。よそでやってくれるか」 「すみません」  俺は能面(のうめん)のお(まわ)りさんに、素直(すなお)(あやま)った。  軽率(けいそつ)でした。ちょっと()かれとったんです。それは認めます。  せやけど祭りの日なんやし、大目(おおめ)に見てもらえへんか。まだまだ新米(しんまい)なんやから。 「怒られよったわ」  気味(きみ)良さそうに言うくせに、口元をぬぐう(とおる)足下(あしもと)はふらふらやった。 「ふらふらやで、お前」 「誰のせいや、誰が俺をふらふらにしたんや。ちゃんと責任をとれ」  ()っぱらってるみたいに、亨は俺の腕に腕をからめて、すがりついてきた。 「橋の向こうにラブホあるろ。そこで一発やって行こうや、アキちゃん。家まで待ちたくないねん。今したい、今すぐしたいんや」 「病気やでお前」 「そうや。俺は病気や言うてるやん。アキちゃん恋しい病」  ()ずかしそうに、にっこりして、亨は言った。俺は真顔(まがお)でそれを見つめた。  なんかな、あまりにも()ずかしすぎて、リアクションできる限界をはるかに()えてたんやな。  こいつはほんまに羞恥心(しゅうちしん)がないわ。よう、そんなこと家の外で言えるわ。能面(のうめん)(まわ)りさんも聞いてはるんやで。 「はよ帰りなさい」  (あん)(じょう)(あき)()てたという声で、お(まわ)りさんは言った。  俺は言われたとおりにした。  いやや、いややて駄々(だだ)こねてる亨を引きずって、電車で出町(でまち)まで帰り、マンションに帰って、クーラーのがんがんに()いた快適な寝室で、心行(こころゆ)くまで亨を(あえ)がせた。  地球に(きび)しい設定温度にしてても、めちゃくちゃ(あせ)かいた。  それで、しゃあないから風呂(ふろ)入って、そこで亨に(おそ)われて、やたら時間食って、ええかげんにせえ言うて風呂(ふろ)から逃げ出して、浴衣(ゆかた)着て祇園祭(ぎおんまつり)宵々山(よいよいやま)()四条(しじょう)河原町(かわらまち)()い戻ったんは、もう夏の長い()も、すっかり(しず)みきった、暑い夜になってからやった。  録音されたのが再生されてるだけの、(うそ)モンの祇園囃子(ぎおんばやし)が、あちこちで鳴り(ひび)いていた。  いつもなら車がひしめいてる四条(しじょう)通りが歩行者天国になり、能面(のうめん)つけてない人間のお(まわ)りさんが、この暑いのにスワットスーツ着て、一所懸命(いっしょけんめい)街を守ってた。  お(つか)れさんですと、俺は彼らを(なが)めた。  やってることはずいぶん違うけど、この人らは俺の同業者(どうぎょうしゃ)ってことになるんやろ。  京都の街を守ってる。日ノ本(ひのもと)を、秋津島(あきつしま)を、ニッポンを、呼び名はなんでもええけど、とにかくこの島を守ってゆくのが、我が血筋(ちすじ)(つと)めらしい。この屈強(くっきょう)兄貴(あにき)たち同様(どうよう)。  暑い中、向こうはスワットスーツで()ちん(ぼう)やのに、こっちは浴衣(ゆかた)で、綺麗(きれい)なの連れて、ちゃらちゃら歩いて、どうもすんません。  せやけどこれでも一応(いちおう)、命がけなんやで。  本日、宵々山(よいよいやま)、明日が宵山(よいやま)、真夏の大掃除(おおそうじ)イベント、山鉾巡行(やまほこじゅんこう)まで、あと二日。  巡行(じゅんこう)当日には国内外(こくないがい)から、ものすごい人出(ひとで)が押し寄せる。身動きとれんような、ひしめく人混みが、山鉾(やまほこ)辻回(つじまわ)しする四条(しじょう)河原町(かわらまち)交差点(こうさてん)()める。  何が入ってくるやら、わからへん。元々(もともと)京都にはびこってたモンも(はら)わなあかんけど、今時(いまどき)、観光客にくっついてきた、外来(がいらい)のモンも、厄介(やっかい)やでえ。ルール分かってへんからな。  明後日(あさって)、めちゃめちゃ消毒(しょうどく)する神さん通りますから、逃げるなり帰るなり、しとかんとあかんですよって、教えといたらなあかん。  怪異(かいい)も神のうち、お客様は神様て、それがこの国のモットーやからな。  やっつけりゃええってもんやないねん。まずはネゴシエーションから。  時には(えら)そうなボンボンの俺でも、頭下げて(たの)まなあかん。相手は神さんやからな。  まあ、近頃ちょっと、俺もそれに近いような気がするけど、そう思うのは自惚(うぬぼ)れか。俺の悪い(くせ)や。  ご奉仕(ほうし)せなあかん。神さんには下手(したて)に出てご奉仕(ほうし)。  そしたら気持ちよく、仲良くなって、無難(ぶなん)()ごしてくれはるかもしれへんからな。 「(とおる)錦市場(にしきいちば)になんか食いにいこか。夜店(よみせ)もあるけど、(にしき)の豆乳ソフトクリーム美味(うま)いで。()りもの()してる店もあるし、魚屋が刺身(さしみ)(くし)売ったりもしてるで」  (えさ)()ると、(とおる)()られた顔して、色の(うす)綺麗(きれい)な目をキラキラさせた。 「そんなんあるんか。行きたい。ソフトクリーム食いたい」 「ほな手つないで行こか。ものすごい人出やし、迷子(まいご)んなったら(こま)るから」 「うんうん、手つないで行きたい」  デレデレして、亨は(うれ)しそうやった。  まあ、しゃあないわ、こいつもたぶん、神さんの一種やから。精々(せいぜい)奉仕(ほうし)

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