101 / 103
12-8 アキヒコ
誰も俺らを見てへんかった。
往来 のど真ん中に突っ立ってて、相当 邪魔 なはずやけど、人も、車の中にいる連中も、ぜんぜん気づいてないような知らん顔で、せわしなく普段通りに行ったり来たりしてた。
「なんでや。なんで誰も見てへんのや」
亨 は不満げにわめいた。それに何の問題があるんや。
「なんでや、アキちゃん」
抱きついてた俺の体を突き放して、亨は悔 しそうに、さらにわめいた。それでも誰も見てへんかった。
「さあなあ。なんでやろ。そういうことも、あるんとちゃうか」
にやにやして、俺は答えた。
「ずるいわ、アキちゃん。何かしたんやろ」
「何かって、何やろなあ。そんなことより、もういっぺんキスしよか。悪趣味 なお前が、ここで抱いてくれ言うても、俺は平気やで。なんでもやったるわ」
にこにこ請 け合うと、亨はあんぐりしてた。
抱き寄せて、またキスしようとすると、亨はじたばたした。負けるもんかと思うらしい。
ちょっと前なら、力技 では俺より上だった亨も、今ではひ弱なもんやった。俺の方が、力が強い。
やっぱこうでないとあかん。格好 つかへん。
そう思って満足しながら、俺はもう一度、亨の唇 を奪 った。熱いなあと、甘くぼやきながら。
「あのねえ君たちね、困 るんやけどな。こんなとこで、いちゃつかんといてくれるかな」
唐突 に話しかけられて、俺はびっくりして脇 を見た。
紺色 の制服を来たお巡 りさんが、俺らのすぐ横に、いつの間 にか立っていた。
橋のたもとにある交番 から来たんやろかと、俺は一瞬びびったけど、そんなはずなかった。なにしろ、そのお巡 りさんは、能面 みたいな面 をつけていた。
「あのねえ。祇園祭 やろ。みんな仕度 で忙 しいんや。橋に蓋 せんといてくれるか。八坂 さんと行 き来 でけんようになるやろ」
遠く八坂 神社のほうを指さして、お巡 りさんは言った。
眺 めると、はよ道あけろとイライラしてるらしい、人ではないようなモンが、橋の両端 にたむろしていた。
「迷惑 なんや。よそでやってくれるか」
「すみません」
俺は能面 のお巡 りさんに、素直 に謝 った。
軽率 でした。ちょっと浮 かれとったんです。それは認めます。
せやけど祭りの日なんやし、大目 に見てもらえへんか。まだまだ新米 なんやから。
「怒られよったわ」
気味 良さそうに言うくせに、口元をぬぐう亨 の足下 はふらふらやった。
「ふらふらやで、お前」
「誰のせいや、誰が俺をふらふらにしたんや。ちゃんと責任をとれ」
酔 っぱらってるみたいに、亨は俺の腕に腕をからめて、すがりついてきた。
「橋の向こうにラブホあるろ。そこで一発やって行こうや、アキちゃん。家まで待ちたくないねん。今したい、今すぐしたいんや」
「病気やでお前」
「そうや。俺は病気や言うてるやん。アキちゃん恋しい病」
恥 ずかしそうに、にっこりして、亨は言った。俺は真顔 でそれを見つめた。
なんかな、あまりにも恥 ずかしすぎて、リアクションできる限界をはるかに越 えてたんやな。
こいつはほんまに羞恥心 がないわ。よう、そんなこと家の外で言えるわ。能面 お巡 りさんも聞いてはるんやで。
「はよ帰りなさい」
案 の定 、呆 れ果 てたという声で、お巡 りさんは言った。
俺は言われたとおりにした。
いやや、いややて駄々 こねてる亨を引きずって、電車で出町 まで帰り、マンションに帰って、クーラーのがんがんに効 いた快適な寝室で、心行 くまで亨を喘 がせた。
地球に厳 しい設定温度にしてても、めちゃくちゃ汗 かいた。
それで、しゃあないから風呂 入って、そこで亨に襲 われて、やたら時間食って、ええかげんにせえ言うて風呂 から逃げ出して、浴衣 着て祇園祭 の宵々山 に沸 く四条 河原町 に舞 い戻ったんは、もう夏の長い陽 も、すっかり沈 みきった、暑い夜になってからやった。
録音されたのが再生されてるだけの、嘘 モンの祇園囃子 が、あちこちで鳴り響 いていた。
いつもなら車がひしめいてる四条 通りが歩行者天国になり、能面 つけてない人間のお巡 りさんが、この暑いのにスワットスーツ着て、一所懸命 街を守ってた。
お疲 れさんですと、俺は彼らを眺 めた。
やってることはずいぶん違うけど、この人らは俺の同業者 ってことになるんやろ。
京都の街を守ってる。日ノ本 を、秋津島 を、ニッポンを、呼び名はなんでもええけど、とにかくこの島を守ってゆくのが、我が血筋 の勤 めらしい。この屈強 な兄貴 たち同様 。
暑い中、向こうはスワットスーツで立 ちん坊 やのに、こっちは浴衣 で、綺麗 なの連れて、ちゃらちゃら歩いて、どうもすんません。
せやけどこれでも一応 、命がけなんやで。
本日、宵々山 、明日が宵山 、真夏の大掃除 イベント、山鉾巡行 まで、あと二日。
巡行 当日には国内外 から、ものすごい人出 が押し寄せる。身動きとれんような、ひしめく人混みが、山鉾 が辻回 しする四条 河原町 の交差点 を埋 める。
何が入ってくるやら、わからへん。元々 京都にはびこってたモンも祓 わなあかんけど、今時 、観光客にくっついてきた、外来 のモンも、厄介 やでえ。ルール分かってへんからな。
明後日 、めちゃめちゃ消毒 する神さん通りますから、逃げるなり帰るなり、しとかんとあかんですよって、教えといたらなあかん。
怪異 も神のうち、お客様は神様て、それがこの国のモットーやからな。
やっつけりゃええってもんやないねん。まずはネゴシエーションから。
時には偉 そうなボンボンの俺でも、頭下げて頼 まなあかん。相手は神さんやからな。
まあ、近頃ちょっと、俺もそれに近いような気がするけど、そう思うのは自惚 れか。俺の悪い癖 や。
ご奉仕 せなあかん。神さんには下手 に出てご奉仕 。
そしたら気持ちよく、仲良くなって、無難 に過 ごしてくれはるかもしれへんからな。
「亨 、錦市場 になんか食いにいこか。夜店 もあるけど、錦 の豆乳ソフトクリーム美味 いで。練 りもの蒸 してる店もあるし、魚屋が刺身 の串 売ったりもしてるで」
餌 で釣 ると、亨 は釣 られた顔して、色の薄 い綺麗 な目をキラキラさせた。
「そんなんあるんか。行きたい。ソフトクリーム食いたい」
「ほな手つないで行こか。ものすごい人出やし、迷子 んなったら困 るから」
「うんうん、手つないで行きたい」
デレデレして、亨は嬉 しそうやった。
まあ、しゃあないわ、こいつもたぶん、神さんの一種やから。精々 ご奉仕 。
ともだちにシェアしよう!