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06 蛙の子は蛙〈1〉

 つまらないな、と黒髪の少年はこれまでの人生で幾度となく口にして来た台詞を頭の中で呟く。星屑の散らばる空の下、まだ初夏だというのに湿気の多い空気を裂いて人気の少ない道を歩いていた。  隣では夏服の制服を着崩した高校生が二人下品な話をして盛り上がっている。大した内容でもないのに、隣に並んでいる頭一つ小さい金髪の少年なんて特に楽しそうに笑っている。  何がそんなに面白いのか。 (萎えたな)  一人だけ制服も温度も違う少年はそっと溜息を吐いた。少年とは言ってもその大人びた容姿と三人の中で最も高い身長はいっそ青年と呼んだ方がしっくりする。 「俺、やっぱり帰ります」 「は? お前ふざけんなよ。ユリコちゃんにはもうお前来るって言ってあんだぞ!」 「それ山下さんが勝手に言っただけでしょう」 「白岡ぁ、そこを何とか頼むよ。ユリコちゃんお前に会いたがっててさぁ。ジュース奢るから!」  隣に並ぶ金髪の少年、山下が猫撫で声で腕に絡みついてくる。ぞっと鳥肌が立った。  眉間に皺を寄せ、無言のままさっと擦り抜けると山下の頭を大きな手がわっしと掴む。 「山下、その辺にしとけ。お前ユリコちゃんに使われてるだけであの女はお前の事眼中にねえよ」 「うるさい橋田のバカ―! モテるからって余裕ぶっこきやがって! どうせあそこのラブホも行った事あるんだろエロ魔人め!」  山下がびしりと指を差す先、丁度向かっている通り道にいやらしく装飾が施されたラブホテルがある。釣られてちらりと視線を向けると、丁度車が出てくるところだった。その車はこちらへ向かって走って来る。 「いや、ラブホ高ぇから基本的に行かない」 「家とかガッコーとかかよ! くっそムカつく!」  二人の諍いをうんざりしながら視界の端で聞き、帰ろうと踵を返した時だった。  丁度横を通り過ぎて行く車の中、運転する人間とその隣に座る人間の顔が路上の灯りに照らされて一瞬だけ見えた。 「……は?」  あまりの驚きに間の抜けた声が漏れる。  カーブを曲がって消えて行った車の残像を、少年は呆然としながら見つめた。    ***        金曜日の夕方、最後の講義を終えた利人は珍しくも早々に帰り支度を済ませていた白岡に連れられ乗り慣れた車に乗った。 (一体この人はどういうつもりなんだろう)  利人は鞄と手土産の菓子折りを抱え緊張した面持ちで流れる景色をぼんやりと眺める。  教授とただ食事に行くのは分かる。けれどまさか家に招待されるだなんて思っても見なかった。  やんわり断ろうとしたが白岡の中では既に決定事項のようで結局覆す事は出来なかった。いつもそうだが、白岡は気分屋の癖に頑固な一面もあり、白岡がそうと決めてしまえばもう従うしかないのだ。加えて年長者は敬うようにと育てられた利人は教授たる白岡に失礼を働く事は出来ない。  利人の胸中は複雑だった。けれど利人の胸の内などお構いなしに白岡は饒舌に世間話を繰り出す。  そして適当に受け答えしているとあっという間に目的の場所へと辿り着いた。着いた先は予想を遥かに上回る堂々とした日本家屋で、利人は唖然として目をぱちぱちと瞬かせる。  きっと立派な家なのだろうと予想はしていたが、一般的な住宅の何倍もの土地を有しただだっ広いお屋敷だなんて聞いていない。  カジュアル過ぎない大人っぽい恰好をして来たつもりだがこの恰好で平気だろうか、もっと大きい菓子折りにすべきだっただろうかと内心汗を掻く。 「妻は古くから続く華道の家元でね。この家も百年以上前に建てられたものらしいよ」  そうなんですか、と目を見開いて相槌を打ちながら白岡の後ろを歩く。  瓦屋根の門を潜り抜けると緑に溢れた庭園が広がった。少し日は落ちてきているもののまだ十分明るく、綺麗に整えられた木々の様子がよく見える。軽く散歩出来る位の広さを持ったそこには池もあり、石畳の上を歩きながら眺めていた利人はほうと感嘆の息を吐いた。  白岡が家の戸を開け一声掛けると、廊下の先から着物を着た黒髪の美女が現れる。 「雀谷さん、ようこそおいでくださいました。お疲れでしょう? さあ、中へ入ってお寛ぎください」  その人は清楚で微笑みの柔らかな女性だった。藤色の着物に灰色の帯を締めた姿は上品で彼女によく似合っている。  そして二十代かと見紛う程に若い。女性に対して年齢を尋ねるのは失礼だが、気になってしまう程に若く見えた。化粧は薄いけれど唇だけ色があり、赤みのある桃色が目を引く。  部屋に通されると、テーブルの上には既に幾つか小鉢が並んでいた。中央には水の張ったガラスの器に花が浮かんでいて、テーブルの上を華やかに飾っている。

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