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09 蛙の子は蛙〈4〉

 洋室につくり変えられている夕の部屋はあまり散らかっておらずすっきりとしている。年頃の少年の部屋にしては娯楽が少ないストイックな部屋だが、大人びた印象を持つ夕にその部屋は合っているような気がした。 「これが最近の模試の結果と二年の通知表です」  テーブルの上に数枚の薄い用紙と二つ折りにされた紙を提示され目を通す。  一通り見た感想は、やはり頭は良い方なんだな、だった。  通知表は殆ど五でたまに四がある位。模試の結果もすべて全国平均を上回っている。 「夕君すごいね。この時の英語なんて校内上位だ」 「たまたまですよ。丁度得意なところが出ただけですって」  恥ずかしそうに眉を下げる夕を微笑ましく見やりくすりと頬を緩める。 (礼儀正しいし、控えめだし、白岡教授とは大違いだな)  息子がいるとは聞いていたからどんな子なのだろうと興味があった。少し怖いものもあったが、実際箱を開けてみれば何てことはない。とても良い子だ。 「夕君、苦手な教科はある?」 「数学がちょっと苦手ですね。今は何とか教材使って勉強していますが、高校の事を考えると自分で勉強するのに限界も感じています」  難しくて、と言って頬を掻く夕にうんうんと頷く。数学は苦手な人も多いし答えを見ても理解出来ない事もあるだろう。  利人の得意科目は数学だ。これなら教えられるし、他の科目も見られない事はない。 「雀谷さん、父が急にあんな事言ってすみません。雀谷さんもお忙しいでしょうに」 「いや、気にしないで。白岡教授の発言には驚かされたけどね」  はは、と笑って顔を上げる。  夕は申し訳なさそうに利人を見ていた。 (ああ、本当に良い子だな)  こう言ってはなんだがよくもまああのマイペースな父親からこんな上品で気遣いの出来る子が生まれたものだ。母親もおっとりしているように見えるが家柄からして礼儀には厳しそうだ。もしかしたらこういう風に育てられたのかもしれない。 「でも夕君、白岡教授は俺を君の家庭教師にだなんて言ったけど君自身はどう思うの? するとなったらしっかりやらせてもらうつもりではあるけど、家庭教師なら俺でなくたって仕事でやってる人はいくらでもいるんだし」 「そうですね……」  向かいに座る夕は顎に手を当て、伏せた瞳をちらりと横へ流した。視線の先には閉じられた扉があり、夕が黙ると部屋の中はしんと静まり返る。 「面白い事になりそうだなって思いました」 「え?」  顔を背けたまま夕の口元が弓なりに曲がる。悪戯っぽいその表情はそれまで目にしていたどの表情とも異なり胸がざわついた。 「雀谷さんは父が好きですか?」  その顔が正面に向き直り真っ直ぐに利人の視線を捕える。黒曜石のような黒い瞳に艶やかな光が宿る。  圧倒され一瞬怯んだ。けれど数秒の間の後、ゆっくりと唇を開く。 「尊敬してるよ。白岡先生は素晴らしい教授だから」  きっと家での父の顔しか知らない夕は教授としての彼の側面を知らないだろう。  だからこんな問いかけをするのではないかと思った。自分の父親がちゃんと『教授』をしているのか、学生に慕われているのか気になるのかもしれない。そしてもしそうなら君の父親は本当に良い教授なんだと伝えたかった。  けれどそんな利人の胸中を知ってか知らずか夕はふうんと大して興味のなさそうな反応を見せる。 (あれ)  違ったのだろうか、そう思った矢先夕の唇が開く。 「じゃあ、やっぱり父さんの事好きなんだ」  ぼそりと呟かれたそれに不穏なものを感じ頭を傾げた。  視線が交わる。  途端、カチリとスイッチを切り替えたように夕の表情が変わり弓なりになった薄い唇から嘲笑うかのような笑みがくすりと零れる。 「あんた、ほもなんでしょ? きもいね」  一変したその態度にぞくりと背筋に悪寒が走った。 (な、んだ、この子は)  化けの皮が剥がれる、とは今の彼のような事を言うのか。そう思う程に夕の態度はさっきまでのそれとは全く違う。  夕は可笑しそうにくすくすと笑いながら冷たい視線を利人へ向ける。 「俺見ちゃったんですよね。先週の水曜の夜にあんたがあの人とあの人の車に乗ってラブホから出てくるとこ」  さっと青ざめる。口を開くも喉は乾いて引き攣る。 「それ、教授や椿さんには」 「まだ誰にも言っていません。いやあ、驚きましたよ。愛人の一人や二人いてもおかしくないとは思っていたけど、まさか男、それも自分とこの研究生捕まえてたなんて」  ああ可笑しい、と夕は口元を押さえてくつくつと笑う。  一方利人は豹変した夕について行けない。戸惑いを露わに困惑していた。 「否定しないんですね。雀谷サンさぁ、色事に疎そうに見えてやる事やってるんですね。同性愛者ってやつ?」  テーブルの腕に両肘を乗せぐいと身を乗り出して顔を近づけて来る夕に利人は反対に上体を引く。 「ち、違う。別に同性愛者じゃない。そもそも言っておくけど白岡教授とはお互い好きだとかそういう感情がある訳じゃ、」 「セフレって事?」 「セッ、」  自分より何歳も年下の相手の口から淫猥な言葉が飛び出し利人は思わず顔を顰めた。じわ、と頬が熱くなるのを感じる。 (中学生ってこんなんだっけ。平然とセフレとか言っちゃえる年だったっけ。ていうかこの子のこの慣れてる感じは何)  妙に舌に馴染んだような夕の言葉に戸惑う。顔が良いからだろうか、唇や首筋、衿の内側から色気のようなものさえ感じてぎくりとした。 「ち、がう」 「でもシてるんでしょ。いつからですか?」 「えっと……三か月位前から……」 「三か月前って事は四月? 雀谷さんって確か二年でしょ? 何、配属早々な訳。うわあ」  信じられない、と蔑むような瞳が利人を射抜く。  もしばれればそういう目で見られる事は分かっていた筈なのに胸が刃物で切り刻まれるかのような錯覚を覚えた。  それも相手は白岡の息子。知られたくない人間のうちの一人だ。 「ショック……だよな。父親が他の人間と、その……関係を持ってる、なんて」  夕の目を見る事が出来ずテーブルの端を見つめて歯切れ悪く言葉を絞り出す。  夕はテーブルに手をつくと徐に腰を上げて立ち上がった。 「ショックじゃない訳ないじゃないですか。俺、あんたが寝てる男の息子ですよ」  頭の上から降り注がれる言葉に利人はきゅっと唇を噛み締める。ぺたぺたと歩き出す夕の足元が見える。 「……すま、」 「母さんにあんた達の事、知られたくないですよね」  隣に来た夕がしゃがみ利人の顔を覗き込む。引き寄せられるようにして夕に視線を向け眉を顰めた。

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