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20 白岡夕の日常〈2〉

 淡々と授業を受け、『友人』と笑い合い長い学校生活を過ごす。そして放課後には敷地内にある道場へ向かう。  先日まで生徒会長として名を轟かせていた夕は空手部員としても好成績を残している。小さい頃から華道は習っているが、運動もした方が良いだろうと入ったのが空手部だった。  もう引退はしたものの、受験がない為三年生でもまだ残って大会に臨む者は多い。後輩に慕われていた夕は後輩にせがまれる事もあってこうして時折顔を出していた。 「白岡、家庭教師がついたって?」  小休止に入り汗をタオルで拭っていると、三年の部員に話し掛けられる。女? と顔を輝かせる彼に首を振って否と答えると彼は残念そうに眉を下げた。 「女だったらイロイロ楽しめんのになあ。それこそ美人でおっぱい大きかったら最高」 「バッカ、白岡のカテキョなのにお前が楽しんでどうすんだよ」 「ちょっと位妄想したって良いだろ? 白岡だって楽しみたいよな?」  げらげらと下品に笑い合う部員達に白岡はくすりと微笑み混じりにそうだなと答える。 (俺が経験済みだってこいつら思ってもみないだろうな)  まだ中学生だ。セックスはおろか恋人さえいない男子は少なくない。もしこの事がばれればそれこそ質問攻めで面倒な事この上ないだろう。  盛り上がる部員達を尻目に、夕は件の家庭教師の事を思い浮かべていた。  雀谷利人。特別顔が良い訳でもない少し賢いだけの凡庸な青年。 (女じゃないけど、父さんの愛人なんだよな)  初めて彼らを見た時は怖気がした。男なんてあり得ない。何故その気を起こせるのか分からない。夕にとって同性愛は嫌悪の対象でしかないのだ。  けれど夕は同時に興奮を覚えた。つまらない日常に退屈し刺激を欲していたのだ。丁度良いしからかってやろうと思った。  いつもなら親の関係者に素を晒そうとは思わないが、父と肉体関係を持った学生なんていくらでも弱みは握られる。実際話してみれば、本物の真面目気質。それに気の弱そうな男だ。一度口を開けば罵倒は止まらなかった。  キスをしてやろうと思ったのは、ほんの出来心だ。  口止め代わりに辱めてやろうとしたのに、夕を心配するかのような思わぬ発言で拍子抜けした。  だから余計に、だろうか。父の声を聞いた時、もし『良い子』の息子と自分の愛人がキスをしている姿を見たらどんな顔をするのだろうとわくわくした。  優等生でいるのも疲れていたのかもしれない。ただその時だけでも父のものを奪いたかった。  けれどそうして利人にキスをした夕は少し驚いた。本当は男とキスなんて冗談じゃないが、利人の唇は予想外に柔らかく思っていた程の嫌悪はなかったからだ。  そもそも、夕は男同士の接触が苦手だ。父の知人にゲイがいて、偶然恋人とキスしているところや肩を抱いているところを見てしまった事がある。それ以来、そういう意図があるにしろないにしろ男に密着されるのは嫌いだった。勿論そういうのを見るのも、だ。  だからこのキスも自傷行為に等しい。それを覚悟して挑んだというのに、呆気なく出来てしまったものだから確かめずにはいられなかった。きっと案外出来るなんて思ったのは勘違いだと確認したかったのだ。  そうして予定より深いものとなったキスに利人はというと耳まで真っ赤にして狼狽えていた。  その垢抜けなさといったら。  早目に道場を後にして夕暮れの中バスに乗った夕はぼうっと窓の外を眺める。 (そういえば結局父さんも驚いた顔はしてたけどあっさりしてたな)  利人が走り去った後父に言われた事と言えば、「夕もやるねえ」だ。余裕ぶっていて面白くない。  それにしても問題は利人だ。  父と何度も身体を重ねているだろうにあの初心な反応はどうしたものか。セックスの時に恥ずかしがったり頬を染めたりする女はいたが、それも少なからず計算あっての事だ。そうすれば男が喜ぶだろう、その感情が垣間見える。年上でセックスに慣れた女だったからとも言えるだろうが、少なくとも夕は打算的じゃない女は存在しないと思っている。  あの真っ赤な顔がしばしば思い出されて調子が狂う。何だか憎むに憎めない。  あの翌朝、利人は取り乱していたのが嘘のように笑っておはようと言った。腕を引かれ、もうあんな悪ふざけはするなよとこっそりと言われたがそれ以外はもうそれまでと変わらない。父に陰口を言った様子もない。まるで何もなかったかのようだ。  むしろ『何か』あったのは夕の方。一度利人に素を見せている為以降利人と二人きりになると余計に繕う事をしなくなった。話してみると、利人は近づき過ぎるのでも放っておくのでもなく程良い距離感で接してくる。ちゃんと勉強プランも考えて練って来るし、教え方も悪くない。いや、多分良いのだろう。相手が分かり易い教え方を知っている。勉強が出来るのは本当らしく、難問を吹っ掛けたら解いてみせた事もあった。  そして今日は週に一度の利人が家を訪れる日だ。それももう三回目になる。 (相手はほも、ほもなんだよなあ)  世界で一番嫌いな類の人間だと言って過言ではない。  きっと今は面白がっているだけでどうせすぐに飽きる。そしたら適当に辞めさせよう、そう思っていたのに。  片手で顔を覆って俯き、バスに揺られながらうーんと頭を唸った。

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