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22 利人と陽葵

 翌日、利人はとある駅の構内にいた。その手には先日買い替えたばかりのスマートフォンが握られていて、画面を操作する人差し指はたどたどしい。  長年愛用していた携帯電話がついにご臨終したのだ。無料で交換出来るからと同じタイプのものに替えようとしたが、伊里乃や越智姉弟に猛プッシュされついにスマートフォンデビューという訳である。正直どきどきだ。カメラの画質がぐんと向上した為に伊里乃の愛らしい姿を高画質で眺められるのは素直に嬉しい。冷ややかな目を向けられそうなので口にはしていないが。  そうして改札の方を気にしながら立っていると、わっと増えた人ごみの中から待ち合わせ相手の顔を見つけた。  茶色の長い巻き毛を垂らした女は、利人に気づくとぱっと目を輝かせてかつかつとヒールを鳴らし小走りに駆け寄ってくる。 「ごめん先輩、待った?」  媚びるように甘く話し掛けてくる女に、否と利人は首を横に振る。実際には十分程遅刻しているが、待つのは慣れている。 「今日もすごいな」 「可愛いでしょ?」 「……うん」  きゃぴ、と笑う彼女に利人はぎこちなく頷く。  いや、嘘ではないのだ。レースのワンピースには薄い素材のゆったりとした桃色のカーディガンが重ねられ足元はベージュのサマーブーツ。首元にストールを巻いて微笑む彼女の目元はきらきらと輝き長い睫毛はくるんと上を向く。艶々とした唇はぽってりとしたピンクで誰がどう見てもフェミニンで綺麗な、すらっと背の高い可憐な女性だ。  ――客観的に見れば。 「陽葵(はるき)、前も言ったけど女の服買いたいなら俺じゃなくて羽月(はづき)の方が良いんじゃないか?」 「だって羽月ちゃんと行くと喧嘩になって面倒臭いんだよ。俺のセンスに一々文句言うんだもん。冗談じゃないね」  彼女、もとい『彼』はつくった声から一転地声を出してべーっと舌を出し両手を上げて見せる。それでも男の中では高い方の声なのだが。 「今日は講義早く終わる日だし先輩も空いてるし丁度良かった。週末すごく混むんだ」 「俺見立てとか分からんけど」 「良いんだよ、大事なのは気持ちだから。俺の完璧なこの女装を見てくれる相手がいると盛り上がりが違うんだよね」  先輩良い反応くれるし、と胸に手を当てふふんと言ってのける陽葵に感心しているとぐいと腕に抱きつかれる。 「じゃ、行きましょうか先輩」  語尾にハートマークでもつきそうな甘ったるい声で陽葵は利人に腕を巻き付ける。利人は溜息を吐きながらされるがまま恋人同士のように歩き出した。  男としては若干身長の低い陽葵だが、女の格好をしている今その立ち姿はまるで長身のモデルのようで人目を引く。陽葵は健全な男であり同性を好む趣味はないのだが、お洒落好きが高じて何故か女装に手を出しこうして度々女の格好をするようになってしまった。  元々小柄な方で体つきも声も中性的な為本人のセンスと努力によりそれはそれは完成度の高いものとなっている。  そのせいで利人とその身内に甚大な被害をもたらしていた事には陽葵はおろか利人本人も気づいていないのだが。  利人が春先に伊里乃の怒りを買ったのは、実は女装した陽葵がふざけて利人にぴたりとくっついているところを伊里乃が目撃して勘違いしたから――なのだが、それはそうと知った伊里乃が黒歴史のように封じた為に彼らが真相を知ることはなかった。ただ陽葵は伊里乃に逆恨みされるようになったが、ブラコンなので仕方ない。 「先輩、白岡教授んとこの息子ってどんな子?」 「どんな子って……俺より背が高くて、すごく整った顔してる子だよ」  へえ、と陽葵は興味深げに利人の瞳を覗き込む。いつも少し低い位置にあった瞳は今同じ高さで「それでそれで」と続きを乞う。ばっちりメイクを施した顔が近づき利人は思わず顔を引いた。男だと分かっていても本物の女のようで少し緊張する。女装している陽葵を見るのはもう数え切れない程だが、それでもまだ慣れない。 「良い子だよ」  猫被りだったりふざけられたりしたものの、気を取り直して接してみるとだんだん彼が可愛く思えてきた。変に気を遣われない方が気楽だし、戸惑う事はあってもああして素直な反応をくれる方が嬉しい。初めは嫌悪を丸出しにして軽蔑されたけれど、最近はどうした事かそれも和らいだ気がする。 「何か、あの子見てると番長思い出すんだよな」 「ペットの?」  そう、と頷く。  子供の頃伊里乃と捨てられていた子犬を拾ったのだが、女好きのその犬は伊里乃には懐くものの利人には懐かず嫌われたものだった。今ではすっかり心を許されているが、夕はまるで当時の番長に少し似ている気がして妙に気になってしまう。  特定の人間の前では尻尾を振るのに、自分には咬みついていた番長。素っ気無くも少しずつ許されていく距離感に喜びを感じたものだ。 「犬みたいっていうのも何だか可哀想だね」 「そういう意味じゃないんだけど、何かあの子放っておけなくて。しっかりしてるんだけどしっかりし過ぎというか、一人っ子でご両親は二人共忙しいから家に一人きりでいる事も多いみたいなんだ」 「先輩って本当に面倒見良いよね。根っからのお兄ちゃんっていうか」  そうかなと首を傾げるとそうだよと頷かれる。  まだ嫌われてそうだが、辛抱強く接していけばいつか素直に笑ってくれる日も来るのかもしれない。  弟がいるみたい、とか。こんな事本人が聞いたら嫌がりそうだけれど。 (クッキー、夕君の口に合って良かったな)  あの時、何だか少し様子がおかしかったからもしかして地雷だったかと思ったがあの夕だ。気持ち悪かったらそう言うし、不味かったら不味いと言うだろう。  では彼は何が不満だったのか。お茶を持って帰って来た夕はしれっといつも通りに戻っているし、彼の考えている事はいまいち分からない。 「若い子って難しい……」  先輩って年寄り臭いとこあるよね、と陽葵の言葉がぐさりと刺さった。

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