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28 電話と我に返る夕
広い家の中を電話の音が鳴り響く。
たたた、と長い足で板間を踏み締め電話を取った。
「はい、白岡です」
『霞さん? 俺ですーどうもー』
夕は眉を顰め、一瞬の間の後ああと思い至る。
「すみません。父は留守にしておりますが、もしかして周藤 さんですか?」
『あれ、夕? 悪ぃ、あまりにも声が似てるもんだから霞さんと間違えたわ。久し振りだなー元気? 声変わりした?』
「ご無沙汰しています。ええ、お蔭様で元気にしていますよ。声変わりも大分前に」
からからと電話口で聞こえる笑い声に夕は少し不機嫌になる。電話口だと父と間違えられる事が度々あるが、正直あまり嬉しくはない。
「父に用事があるならスマホに直接掛けた方が良いですよ。いつ帰って来るか分かりませんし」
『それなんだけど、あの人全然出ないのよ。もしかして家かと思ったけど違ったみたいだな。椿ちゃんは?』
「母ならいますよ。さっき帰って来て、今夕飯の支度をしています」
『ああ、ならいいわ。よろしく伝えておいてくれ』
分かりましたと答え電話を切ろうとすると、声の主はああそうだと思い出したように言う。
『来月頭そっち行くからよろしく。うちの可愛い甥っ子も連れてくかもしれないから仲良くしてやってな』
じゃあな、と言って朗らかな声はぷつりと切れる。
子供かあ、面倒だなと思いながら台所に向かうと、帰りそびれて椿に引き留められた利人と椿が肩を並べて何やら楽しそうに会話を弾ませていた。
その背中を後ろから眺め、夕は目を細めてほくそ笑む。
すると椿が振り返りこちらに近づいて来た。奥に用があるのかと思いきや、その足は夕の下へ真っ直ぐ向かいくいくいと袖を引っ張られる。屈むと、椿は口に手を添え利人に聞こえないよう声を潜ませる。
「やっぱり雀谷さんは可愛いわ」
何を言うのかと思えば。ぷっと吹き出すと利人が振り返った。何でもないですと手を振り利人に背を向ける。
「俺もそう思います」
椿にだけ聞こえるようにそう言うと、椿は満足そうにうふふと笑う。
「夕も雀谷さんの事好きなのね」
良かったわ、と安心したように微笑む椿を前に言葉が詰まる。
ええ勿論、と建前半分の返事をしながら先程自分から利人にキスをした事を思い出していた。
ぱっと振り返り利人を見ると、視線が合い思わず目を逸す。
「ちょっと失礼します」
たっと小走りに板間を踏みしめ台所から離れる。
(あっぶな……!)
人間としては、嫌いではない。椿の言う『好き』はそういう意味だ。ならば、どちらかを取るなら『好き』で間違いはない。
けれど今夕の頭の中には別の『好き』がちらちらと顔を覗かせている。
(俺さっき、何でキスなんかしたんだ)
まずい。絆され掛けている。
それも、男として間違った方向に。
(落ち着け俺。あれはそう、欲求不満で。だから単なる事故、そう事故だ)
その不満を抱えた状態にも関わらず利人が原因で女を抱けなかったのは他の誰でもない夕なのだが。
まだ素直になれない少年は一人苦悩する。
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