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34 罠〈2〉
「いたた……」
「霞さん大丈夫です? もう年なんだし無理しないでくださいよ」
腰を擦る白岡に周藤は案じるように声を掛ける。
「ん。年を取るのはやだねえ。でも君僕とあまり変わらないじゃない。年三つしか離れてないでしょ」
えーでも俺まだ三十代ですし、と周藤はからりと笑う。ブルーシートに座り込んだ周藤はきょろりと周りを見渡した。
「夕は? さっきから見掛けないですけど」
「雀谷君と出掛けてるよ。何か用だったかな」
いえ別に、と返す周藤は「雀谷君とねえ」と呟く。
「ねえ霞さん、夕って雀谷君の事好きなんですかね?」
「直球だねえ。どうして?」
だって、ねえ。周藤は苦笑いを浮かべてペットボトルの水を煽るように飲む。
「夕、彼の事何度も見てましたもん。霞さんと二人でいる時なんか嫉妬まみれの目してましたよ」
周藤は周りをよく見ている上に勘が冴える。白岡はへえ、と興味深げに口元を緩めた。
けれど白岡もまた似たような事を考えてもいた。だからこそさっきも利人に断られる夕を不憫に思ったのだが、実際のところどうなのかは知らない。
「何、霞さん余裕じゃん。彼、霞さんが言ってた最近の『可愛い子』でしょ? 夕に取られても知りませんよ」
「それならそれで良いかなあ。というか、そうなった方が僕としては嬉しいかな」
張り合いないなあ、と周藤がつまらなそうに文句を垂れる。はは、と白岡が笑うとそうだと掌を合わせた。
「周藤君、ちょっと試してみようか」
白岡は悪戯っ気のある微笑みを浮かべ、ちょっと耳貸してとくいくいと指を動かした。
***
バン、と勢い良く扉を開け放つ。
「は⁈」
夕は目の前の状況に瞠目した。
「ゆ、夕?」
「おー、やっと来たか」
振り返る利人と周藤。二人は水着にパーカーやシャツを羽織るというごく普通の格好で乱れもなければテーブルを挟んで座っているから絡まり合ってもいない。
けれど部屋の中は狭い。周藤が手を伸ばせば簡単に利人を捕える事が出来るだろう。
夕は動揺するも肩で息をしながらずかずかと部屋の中に入り利人の肩を強く掴む。そして首筋から下半身に掛けて舐め回すように見た。見る限りではそれらしい痕跡はない。
「急に何だよ。何かあったのか?」
「何かあったのかじゃないです。今まで何してたんですか」
「何、って」
口早に捲し立てると利人は途端に狼狽え、頬を赤らめて口ごもり夕から目を逸らす。
何だ、この反応は。
さっと青ざめ、やっぱりと眉を顰めた次の瞬間。
「あぁんっ」
高い、でも低い。疑うべくもない男の喘ぎ声はテレビから流れていた。
「……は?」
誰よりも低い声を出す夕の視線の先では裸で激しくもつれ合う男二人の姿が小さい箱の中に収まっている。余裕もなく利人に意識を囚われていた為気づかなかったが、この状況から察するに扉の外まで聞こえた声は利人のものではなくこのテレビ音声のものだ。
呆気に取られた夕の視線はじとりとそのまま周藤へと向けられる。
「周藤さん、これはどういう事なのかご説明いただきたいのですが」
「雀谷君がゲイビ観た事ないっていうから持って来てたやつ流してたんだ。これネコの方美人だし細くて綺麗な身体してるから初心者にはお勧めよ? 夕にも後で貸そうか?」
「結構です」
「そうです駄目ですよ周藤先生! 夕はまだ中学生なんですから」
利人はそそくさとテレビのリモコンを取りテレビの電源を切る。その動作はぎくしゃくとしていてあからさまに動揺していた。
(そんな赤い顔で観てたって? 男と密室で二人っきりで?)
ちらりと周藤を見やると目が合った。周藤はにやりと含んだ笑みを浮かべていて、夕は唇を噛んで睨みつける。
「周藤さん、貴方は一体何がしたいんですか。この人に手を出そうなんて考えているんじゃないでしょうね」
「そうだとしても、お前がとやかく言う権利はないだろ? 人の恋路を邪魔するのは野暮ってもんだ」
挑戦的な目をして嗤う周藤に夕の眉がぴくりと動く。
状況を理解していない利人は「落ち着こう、な、な」と一人おろおろと二人を交互に見やるが不穏な状況は変わらない。
「ふ」
周藤は口元を緩ませ肩を竦める。きりきりと張りつめた空気を先に破ったのは周藤だった。
「冗談。暇潰しに付き合ってもらっただけだ。雀谷君、こんな時間まで悪かったね」
周藤の視線が利人へ向かい、利人はいいえと首を横に振る。
(面白くない)
むかむかしていた。夕は利人の腕を掴むとぐいと引っ張り立ち上がらせる。
「利人さん、行きましょう」
「えっ、あ、ちょっと夕!」
でも、と周藤を気にする利人にますます苛立ちが込み上がった。
「雀谷君、また後でね」
煙草に火を点けながら笑う周藤を尻目に慌ただしく部屋を出る。
(からかわれた)
きっと父と周藤はグルだ。まんまと釣られた自分が恥ずかしく、そして黙って周藤の言いなりになっている利人にも腹が立った。
「夕、待って」
「大体何黙ってあんなの観てるんですか! 用事が済んだのなら帰って来れば良いじゃないですかそれか一言メールするとか! スマホ繋がらないし!」
「え、ごめん電話くれた? 鑑賞中のマナーだからって言われて切ってたんだ。なあちょっと」
「映画館じゃあるまいし真に受けないでください!」
「悪かったから止まれって! 離せよ!」
ラウンジに出る廊下をぐんぐんと進んでいると突然利人が叫び掴まれた腕を振り解く。利人がそんな声を上げるのは珍しく、夕は弾かれた手にじんと痛みを感じながら呆然と立ち尽くした。
「あ……、ごめんなさ、」
「いや、その、俺もごめん。急に声上げたりして」
既視感。さっきもこうして無理矢理利人の腕を引っ張った。
(何してんだ、俺)
ぎゅっと拳を握りしめる。落ち着こう、そう思って息を吐き利人を見ると利人の様子がおかしい事に気づく。
「利人さん?」
利人は背中を丸め黙り込んでいる。触れようとするとびくりとその肩が揺れて後ずさった。
その反応にずきりと胸が痛む。
「ごめん、ちょっと」
トイレに、とか細く利人の声が落ちる。
あまりにも恥ずかしそうにしている利人の反応を見て一つの可能性が頭に浮かんだ。頬の紅潮は耳にまで及び半分伏せられた瞳は泳いでいる。
夕の視線はパーカーに隠れた利人の下腹部へ。
どろりと、粘度の高い液体が脳に交じるような錯覚を覚えた。
いけないと思う背徳感。
急激に襲い来る生々しい欲求。
見て見ぬふりも、出来る。
(出来る、けど)
は、と熱の篭った吐息が零れる。
じゃあ。そう言って通り過ぎようとする利人の腕を夕は咄嗟に掴んだ。
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